島ナショナリズム

昨日ナショナリズムの話になったんだけど、今読んでいる本がかなりナショナリズム

しまぬゆ 1 ―1609年、奄美・琉球侵略

しまぬゆ 1 ―1609年、奄美・琉球侵略

これは南方新社から出版されたもので、奄美という、「ヤマト」でもない「沖縄」でもない、琉球の島の、奄美と言う観点から見た、被侵略の歴史である。

http://www.nanpou.com/book/bok_209.html

で、これを読んで辟易としていた。
奄美という島が、沖縄の琉球王から侵略されたとか、薩摩から侵略されたとか、「日本という国が、本土中心で成り立っていて、おれっちの島のような辺境は、まぁスキヤボデスとかが足を広げて寝ているような化け物だらけの地ぐらいの認識してるだろ。ゴルァ。」って感覚は激しくよくわかるんだが・・・というか実際住んでるとそういうのは日々実感することも多いのだけど、この著者の日本に対するバイアスというか、「日本」批判、天皇制への批判的立場がボロボロとでまくっていて読んでいて見苦しい。
そもそも中世以前の歴史記述で、そこんとこの記述は「日本」と書かずに「大和」と書いとけよ。とか突っ込みいれたくなる表記や、中国、朝鮮と比した日本の描き方のバイアスのかかりまくりっぷりが、どーもこの著作への信頼性を失ってしまう。倭寇の位置づけや定義もなんとなく雑というか変だし。(倭寇は幕府にもまつろわぬ存在だったりもするわけで)。あと中国の中華思想と大和の中華思想的なるモノの描き方の温度差などは噴飯ものだ。大和がやれば偏狭このうえない代物で、中国様がやれば歴史的な伝統芸みたいな。そういう非対称性を感じさせる書きっぷりのバイアスの連続攻撃に疲れてしまった。

そこんとこ感情抑えて事実のみを列挙していったほうがより凄みの増す著作になるのにねぇ。逆効果。

歴史というのは事実の記録である。イデオロギーによる修辞が入ると途端にそれは違う性質を持ってしまう。危険このうえないシロモノだと思う。

というわけで、どーもおらが民族が一番的な右翼的ナショナリズムにドン引きするわたくし的には、この奄美的右翼ナショナリズムが炸裂した著作が読みづらくってしょうがなかった。やはりこの手の民族ナショナリズムは性に合わん。安倍晋三君の「美しい日本」ってのも、「美しい」などというような精神世界を政治という律法世界に持ってくるのはナニだぞ?!とか、そもそも安倍君の考えるところの「日本」の定義ってナニよ??とか突っ込みいれたくなるわたくし的には。

奄美の置かれた立場、過去の峻烈な体験、差別、侵略に苦しんできた民人の歴史ってのは、色々な著作を読んで知っているし、住んでいるといろいろな面でそのような歴史証言を聞く機会もある。ゆえに、大和民族を中心とした歴史ではない、琉球弧の島人という日本人の歴史として奄美を中心に据えるという試みは面白いと思うのだが、いかんせん修辞がイデオロギー臭強すぎて、残念である。