記憶術

忙しい。〆切である。
ぱそはういんどーずのインターフェイスが相変わらず気に入らなくて近づく気も起きない。マカーって、やーね。根性悪すぎ。我ながら。
なもんで、チェックに非常に間が開いとりますがすまんです。
ところで、仕事していて気づいたんだが・・・・
昼間、絵の背景をべたべたと塗っていて「香山リカって、すげー馬鹿」という意識が絵からわいてきて困った。絵を描くという行為について香山リカさんがナニか言っていてそれについての批判というのではない。偶々、昨日電話していたサッカーヲタの友人とそういう話になって「サッカーの応援をナショナリズムだという香山リカはすげー馬鹿」と彼が力説しまくっていたのである。(彼はナショナリストではない)その時、今日塗っていた箇所の下塗りをしていたんである。
今日になってその箇所を再び塗り始めたら、それをなぞるようにして記憶がフィードバックしてきたのだな。そのあとに続いた話もそれに呼応した箇所を塗ると記憶がよみがえっていく。
そうなんである。わたくしの記憶術というのはそのように構成されている場合が多い。絵面とはまったく関係ないのに、そこにその時考えていた思考や出来事が封印されるのだな。
昔落書きしながら授業聞いていて怒られたものだが、実はそのようにして話を記憶していったので、その時の図像を思い出すと内容が出てくるって按配で、そのようにして聞いていた授業は成績がよくて先生を困惑させていた。(つってもそれが対応できるのは人文系というか、理系・・つまり数学とか物理とか、語学系・・英語とかには役たたんので、それらの成績はすこぶる悪かったであるよ。)
未だに十二単の女の人の絵を見ると夏目漱石の『こころ』を思い出すのはその性である。『こころ』の解説聞きながら十二単の女の人を模写していて、先生に怒られたんだな。