台風被害の報告をもらった

凶悪な台風4号によって家を破壊され、避難生活を余儀なくしていたSさんからメール報告をいただいた。家が直るまで一旦東京に行かれて、壊れてしまったMacintoshやら、様々なものを買ってリベンジ準備をなさっておられるようだ。一段落し、心配している島内島外の友人達に報告メールを出す余裕もできたという感じで、わたくしもいささかほっとした。

彼の住むところは普段は穏やかなビーチで背後には畑が広がったのんびりした牧歌的なところである。海風に吹かれたSさんの家は海側の窓が嵌め殺しの分厚いガラスで、かなりの風圧に耐え得そうな造りで、その窓前に沢山の花を育て、ワインセラーにはビンテージのワイン、趣味のこれまたビンテージのギターを弾きながら、まぁ優雅な隠遁生活を愉しんでいた。地所の並びには我が家の島犬の兄弟が住んでいる一家もおられ、赤いハイビスカスの咲き乱れる芝生の庭で、島犬は元気に駆けずり回って、ことの他、幸せそうだった。(近所に設置された激しく煩い騒音スピーカー以外)
そのおうち達がことごとく被害に遭った。

島の伝承にこんな物語がある。

ハキビナぬ地や、盛り立てぃてぃ、田作りば、ゆう成てぃ、アブシぬ、作ららじ、成てぃてゅーさ。
ハキビナの地は、盛り立てて、田を作っているのに、水に流されてしまい、畔なども作られなくなってしまった。

穏やかで、太古から島の穀倉地帯ともなっていた土地ではあるが、高潮の暴風によって被害に遭うこともしばしばあったようだ。この伝承ではその後、島の開祖の神がその地での耕作を可能にし、農の事はじめをしたという内容になっている。
与論島は山がなく平べったい島なので、海岸沿いの普段は穏やかな土地でも、いざ台風となると低地では潮が上がってきてしまうことはよくある。我が家は中心の市街地よりも高度が高いところにはあるが、しかし高潮と台風が重なると、崖下で砕けた潮水が、屋根の上に雨のように降ってくる。更に凶悪な暴風が思いもよらぬものを吹き飛ばしてくるので、島人達は雨戸をがっちりと閉じる。昨今は建築術も上がったので海沿いに住むものも増え、我が家のガラスも風速90メートルに耐え得る、風洞実験済みの仕様になっている。Sさんの家も堅牢なコンクリ建築に、我が家同様、かなりの風圧にも耐えそうな分厚いガラスを嵌めていて、更にその外から雨戸をがっちりと打ち付けて、象が踏んでも壊れなさそうなサザエの殻を背負ったアマン(ヤドカリ)のごとく、来るべき暴風に備えておられたようなのだが。
写真をいただいたが、テラスに巨大な流木があり、広々とした彼の家の居間の窓辺は突き破られたガラスが綺麗に無くなっていて、屋内は饅頭型のiMacと大型の液晶テレビが転がり、ワインセラーは倒されている。あらゆるものが反対側の壁によっていて、床のど真ん中には家を守るべき雨戸が鎮座し、大きな観葉植物の植木鉢がそのうえに横倒しになっていた。とにかく悲惨このうえない。何故か台所のカウンター上部のグラスなどは無事なので、床に置いたものだけが石垣を越えて来た波によって翻弄されたのであろうと推察される。
どうも突き破られた原因はその巨大な流木のようだ。庭には巨大な石まで転がっていた。これってのは、アレだ。中世の城攻めの時に用いる丸太とか、投石機のレベル。こんなのに襲われたらもうひとたまりもないっす。

今年の台風はいつになく規模がでかく、尚悪いことに大潮が重なり、その最高値の時に襲われたらしい。

Sさんはメールで柏崎での地震災害の避難者達の気持がよく判るとおっしゃておられた。避難生活はかなりストレスが溜ったそうで、それでもホテルを避難所にしたからよかったものの、柏崎における被災達は体育館での長期の避難生活で、プライベートもない、食事も満足にとれぬそういう状況で日々を暮らしている。Sさん曰く、日常の当たり前のことがないということ、ネット環境もなく情報が収集出来ないこと、あるいは今までの日常を復元出来るのか?保険は降りるのかとか、これからのことが不安で大変なストレスになった。ゆえに中越地震の被災者などはもっとつらいのだろうと。そう述懐しておられた。

地震被災者の対応にもっとも早く、あるいは有効に反応したのはかつての被災者であり、またそれらを体験した自治体であり、やはり当事者的な思いをどこかで体験し共有できる人々のケアは違うのだと思う。
これは介護なんかの現場でもそうなんだとは思います。

台風被害に遭われた方、長の梅雨で被害に遭われた方、そしてあの中越沖地震で被害に遭われた方、みんなの日常が戻ることを切に願います。