島的休日

なんや、ぶろぐを更新出来んかったのは、島が晴れたからだ。
島が晴れると島人達はアマン(ヤドカリ)のように家から出てきてあちこちお出かけるわけだが、日曜日と月曜日、梅雨入りしたかもとかするかもというこの季節。異常気象の所為かすこぶるさわやか過ぎるほどの日和となり、島住人達が我が家に入れ替わり立ち替わりやって来た。そして、何故か家の食料が充実した。


日曜日は、午前中、腕の痛みの治療の為のマッサージの先生が来たんだが、その家で採れた野菜とヨモギを下さった。人参は不格好だが、今や懐かしい気もするような人参臭い人参で葉付きのを二本。それとセロリを大量に。これをジュースにして飲んで健康になれと言われた。それとヨモギは煎じて風呂に入れるといいそうだ。
先生が帰ったので、その処理をしていたら、東区に住んでいるT間さんが食パンを焼いたからと、丸々とした食パンを持って来てくださった。
午後、晴れているので庭の芝刈りをしないとと、すごい勢いで芝を刈っておったら、城(ぐすく)に住むNさん夫婦がやって来た。ミモザの一年下の兄弟犬をうどのすビーチの散歩に連れ出すんだと、言っていた。丁度浜の潮が引きはじめたので海岸伝いに行けるよといったら、旦那さんが歩きたがったので、一緒に海散歩。

出ようとしたところに島に観光で来ていついている、ユカさんが、夕飯にとスペアリブを持って着てくださった。


その後、庭が楽園の島人Tさんちの楽園庭見物につれて行ってくださった。帰りに道端の雑草化しているウイキョウをゲトして帰ってきた。

家に帰って芝刈りの処理をしていたら、隣のゆーこが、宴会やった残りだけど・・と煮物とサラダをくれた。

かくして飯が充実した日曜日になった。

昨日は昨日で、祖母のところに出来たての野菜ジュースを届けて帰ってきたら、Eさんと楽園庭のTさん夫婦が「夕日を見に来たよ〜と、庭にいらした。お土産に大量のトマトを下さった。これはまたまた野菜ジュースが作れるではないか。
んで、みんなで夕日が落ちるまで、ぼや〜んと夕日を見ていたですよ。

このように島の日常は天気に左右されるのであり、何故か食い物に充実することが多いのである。
しかし私もなにか皆様に御礼をしたいが、菜園にはイタリアンパセリとミントしかなく、バジリコは芽が出たばかりであり、ウイキョウはまだ根づいてもいない。とほほ。

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映画「めがね」の公式サイトにコンテンツがやっと出来た。
http://www.megane-movie.com/
映画情報にはミモザの母犬、島犬ケンの姿がある。

その映画情報にこんな言葉が。

人とは。旅とは。生きるとは。登場人物たちとゆるやかな時間を共有するうちに、心はいつしか大きなものへと向かいます。が、もちろん映画は、そんな命題を軽々と飛び越えたところで成り立っています。南国ならではの透明感あふれる日差しのもと繰り広げられる、生命力を呼び覚ますおいしい食事。心地よい暮らしの風景。凛と胸に響く音楽。そしてそれらをともにする、同志のような仲間の存在。スクリーンから五感のすみずみに届く、ひろびろと手足を伸ばして生きる歓びを、ただ素直に受け止めればいい。たそがれる、それこそが旅の、そしてこの映画の醍醐味なのですから。

なんというか島暮らしってこんな感じである。
島にはナニもない。だから観光でくるとすぐ終る。買い物するところもない。売ってるものの種類も少ないし。だから時間を持て余すかもしれない。
なんせ島は小さい。でも生活しはじめると、それがいきなり広くなる。人と関わるとより広がって深くなる。時間が悠々と流れるなかで、島の天気に流されながら生活することになる。素直に受け入れた時はじめて暮らしは豊かになる。海のように身を委ねるならゆりかごにもなるが、あらがうならば沈んでしまう。便利な場からやってくるなら島のなにもなさに不自由を感じるかもしれないが、あるがままに受け入れるならとても自由になる。島は島のアイディンティティがあってその懐に我々が飛び込むかどうかが問われる。

島人達がきずいてきた時間と空間によりそうことで、自由になるんだと思う。

ところで、島かえってくる時に乗った飛行機の中で隣合わせになった女優さんって、もしかして映画情報見て市川美日子さんという人ではないかと思ったが。疎過ぎるのも考えものである。情けない。

近所の浜で一人で本読んで、島満喫してらしたよ。