徳之島でヘリ炎上

今朝の島は濃霧だった。霧がたち込め視界効かず。しばらくしたら晴れたと母が言っていた。わたくしは寝ていたもんで知らなかったが、濃霧とは珍しいな。真夜中ずっと霧だったようだ。
そんな霧深い夜にこんな悲劇的な事故が。

陸自ヘリの墜落、乗員4人死亡

 救急患者を乗せるために向かった鹿児島県・徳之島付近で30日夜、消息を絶った陸上自衛隊第101飛行隊(那覇)の大型輸送用ヘリコプターCH47は 31日朝、徳之島北部の天城岳(533メートル)山頂付近に墜落し、大破、炎上した状態で見つかった。鹿児島県警によると、現場から乗員4人を発見、全員の死亡を確認した。

 福岡航空測候所(福岡市)によると、ヘリの目的地で墜落現場に近い徳之島空港では30日夜、濃霧で視界が約200メートルしかなく、雲が高度約30メートルまで垂れ込めるなど天候が悪かった。防衛省陸上幕僚監部事故調査委員会のメンバー5人を現地に派遣した。搭乗していたのは機長の建村善知三佐(54)、副操縦士坂口弘一・一1尉(53)、整備員の岩永浩一・二曹(42)と藤永真司二曹(33)の4人。〔共同〕 (15:40)
http//www.nikkei.co.jp/news/main/20070331STXKG020031032007.html

島で重病な患者が出ると島では対応出来ないので、ヘリで運ばれるというのはタマにある。離島の病院には専門医が常駐していないからだ。本土だって医療崩壊で大変というのに離島だからしょうがない。なもんで高度な専門医療を要する緊急な患者や、安静にしてないと拙い重病な患者はお隣の那覇から来る陸上自衛隊のヘリで運んでもらう。沖縄の陸自の方々は島人にとっての救世主だ。嵐だろうが濃霧だろうが人の危機の為にはやって来るんだなと。改めて驚いた。
だからこんな事故が起きると心が痛む。人を助ける為に向かった方が命を落とす。働き盛りの人々だ。遺族もつらいだろうし、こんな事故を聞いて待っていた患者さんも辛いだろう。陸自の方達の御冥福を祈ります。

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そいや、こないだ海上保安庁の人と話していたら「今度ボンバルディア機入れるんだよね〜」とか言ってた。YS11の代替。海上保安庁もうちの島では生命線。救世主っす。なんで、ちょっと(((;゚Д゚)))ガクガクブルブルしちゃいましたよ。まぁ今日も両親ボンバル機に乗って無事帰りましたけどね。


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現役のお医者さんがこの事故について触れていました。お隣日記で発見。
○新小児科医のつぶやき
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070331

以前も奈良の病院の医療事故で取り上げたブログです。医療現場のつらい現状とマスメディアの扱いにお怒りの先生。「医療崩壊」の現場の声。

で「ヘリは嫌」とのこと。

離島住まいだと、とにかく医者来ないんで、ことにうちの島ぐらいちびだと専門医なんて当然だけど贅沢品。犬の医者すらいないんだからね。その専門医も月に一回しか来ないとかだし。予約でいっぱいで来月まで待てなんてことも多い。なもんで緊急事態の生命線はヘリのみ。場合によっては専門医に同乗してきてもらわんといかんということもあるだろう。でもたしかに夜間のトンでもな状況でも来いなんていわれたら嫌だよね・・・泣)

で、島じゃ「救急車の音がしたら先ず『人が死んだ』と考える」なんて言葉を聞いたこともあるくらい「救急=どうせ間に合わん」的な諦めはどこかで持ってるのかもしれない。

コメント欄ではヘリ輸送の実績を載せている人がいる。以外と事故が少ないのには驚きだ。事故が起きたのは今回で2回目。総実績に対する事故率って自動車事故と比べるとどれくらいなもんなんだろうか?

まぁ自衛隊が飛ぶような緊急事態には通常は医師は同乗しないんではあるまいか?そこんトコどうなんだろうね。

ドイツのヘリの実績なんてのは昔番組で観た。ヘリのお陰で助かる人が増えたとか。離島はもう病院をインフラ整備しろなんて無理に決まってるからヘリ命だけど、本土だと、その辺りどうなんだろ。それで道路整備してるわけだがそれも税金の無駄と批判されるわけで、ヘリ輸送とどっちがよいんだろね。ああ、あと、「だから都市部に住めよ」なんて言わんで下さい。泣きます。

自衛隊101飛行隊の活動
http://www.mod.go.jp/gsdf/wae/1cb/information/kyukan/kyukan.htm

第一〇一飛行隊(隊長 橋本良補 二佐)は、平成十八年四月五日(水)十八時五十六分、沖縄県知事からの要請を受け、久米島在中の左大腿骨骨折の男性(七十一歳)の緊急患者空輸を実施。二十時四十六分、無事、患者を沖縄本島に搬送し、任務を終了した。今回の出動で昭和四十七年十二月六日の粟国島への第一回出動以来、緊急患者空輸七千回を達成した。
 橋本隊長をはじめとする飛行隊隊員達は、同隊のエプロンに待機する救急車に、無事、患者が引き継がれると、レスキューを終えたUHー60JAヘリの乗員(機長 藤原武俊一尉以下四名)を出迎え、七千回達成の功績を分かちあった。
 同隊は、昭和四十七年、本土復帰と同時に米軍から災害派遣として、同任務を引き継いついで以来、沖縄県はもとより鹿児島県の奄美沖永良部島等の広範囲(沖縄本島を中心に南北約五百キロ、東西約千キロ)にわたる担当地域で緊急患者空輸を実施しており、平成十年に五千回(与論島)、平成十四年には、六千回(渡名喜島)を達成し、同年、防衛庁長官から安全功労者として第一級賞状、また内閣総理大臣からも国民安全功労表彰を受ける等、輝かしい実績と功績を誇っている。しかしながら、その輝かしい飛行隊の歴史の中にも悲しい事故は起きている。平成二年二月十七日深夜、緊急患者空輸のため宮古島に向かったLRー1連絡機が消息を絶ち、機長の伊久良健二三佐、副操縦士の上野博信三佐、整備士の新崎新一一曹、そして添乗医師の知花哲医師が帰らぬ人となっている。
 当時と比べ、機体の性能は向上し、また、この事故を機に安全基準や疲労軽減等のレスキューに対する改善等なされてはいるが、年々、出動回数は増加傾向にあり、現在は年出動回数約三百回、そのうち深夜の出動は全体の約四十パーセントを占め、気象の影響による危険性は従来と変わらない。また、医師や看護士が添乗しない場合、同乗している整備士が代わって看病(過去には、妊婦を搬送中、機内で分娩が始まり整備士が新生児を取り上げたというケースもある)することもあり、パイロットや整備士にとっては極めて危険かつ負担の大きい任務というのが現状である。
 橋本隊長は、翌六日に行った七千回達成のセレモニーで、「七千回を達成したことは、患者さんや殉職した四名の隊員・医師の方々のことを考えると決して喜べるものではないが、確実に県民の皆さんの役にたっている」「引き続き安全・確実なレスキュー任務を継続してやっていこう」と同隊隊員に訓示。また、同セレモニーに出席した藤粼団長も「七千回達成を誇りに思う」「これからも離島住民の命の架け橋として献身的に任務を遂行してもらいたい」と訓示した。
 現在、ほとんどの島には診療所があり、最新の医療機器等整い始めているが、脳や心臓の疾患等は、依然、本島の総合病院まで搬送しなければならず、同隊の実施する緊急患者空輸は、住民の安全を守る上で必要不可欠である。風雨・暗闇等の悪条件下であっても任務に邁進する姿は「フライングシーサー(空飛ぶ守り神)」として離島の人々に大きな安心感を与えている。

「空飛ぶシーサー」って・・・(^^;琉球エアコミューターもそれだよ。
しかしほんとに有り難いです。