『魔の山』読了 こいつはスラップスティックか?

なんとかこの激しく人を疲労させる魔の山を登りきったわけだが。

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

魔の山 下 (新潮文庫 マ 1-3)

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ええと、どんな話が続いていたかというと、「低地」から戻ってきた軍人である従兄弟は早々とこの世から消えてしまった。己のポルックスを失った主人公はこの衝撃に意外と冷静である。

従順なふりをした主人公を間に論争していたセテムブリーニとナフタは相変わらず議論し続けている。セテムブリーニはメーソンの一員であることをナフタ氏が暴露し、ひとしきりナフタ氏のメーソン薀蓄を読まされる。ナフタ氏曰く、メーソンはその伝統主義的な、あるいは入会に伴う儀式的なことなど、彼らが敵視するカトリックのいいパロディだと馬鹿にするが、そーいやそうだな。なかなか上手いことをいう。ナフタ曰く「自由を標榜しながら激しく保守でやんの」などというたぐいの揶揄にセテムブリーニいきり立ち、負けじと言い返すが、この人たちは自分達の陣営がいかに革新的であるか競い合っていて、実のところまったくの鏡である。互いにハンス君の関心を自分の陣営に引き入れんと延々争っている。馬鹿である。

そんな二人の目の前に最大のライバルが登場する。
ディオニシウス的魅力を誇るジャワのオランダ人農園主、名前を忘れるような変な名前のおっさんでカリスマ性を備えた「人物」である。

そもそも、あのハンス君の愛しい人であり、いつのまにか「上のここ」であるサナトリウムから去ってしまった扉の開け閉めが乱暴なロシア娘が舞い戻ってきたのだが、彼女の連れがこのおっさんであった。

ハンス君の先生となるあの屁理屈親父達と違い、このおっさんはそんな屁理屈を吹き飛ばす魅力の持ち主でたちまちにしてハンス君を魅了する。このおじさんの前ではコムズな形而上学も、自由平等友愛という啓蒙思想の理想へと向かわんとする堂々たる論理も小市民的なものへと堕ちてしまう感じ。ディオニシウス的な饗宴を好むこの人物の前では、ハンスの先生を自認するお二人も調子が狂うらしい。かなり笑える。

このおっさんの最期の幕引きはなんともみごとというか、ハンス君に同じ女性への愛を確認し、兄弟杯を交わしてのち、この世から消えてしまう。その性でハンス君の心を占めていた愛しきロシアのベアトリーチェの存在もどっかに軽く吹き飛んでしまうのでありました。(つーか、そんなに簡単に吹き飛んでいいの?ってなぐらいあっさりと意識から消えたなぁ・・・)

その後続く、心霊騒ぎや決闘騒ぎ、そしてラスト。病人達によって右から左へ熱に浮かされたようにめまぐるしくこの閉鎖空間の人々は翻弄されていくが、結局「低地」とかけ離れた天上世界、アルカディアのごとき「ここの上」の世界も時代を揺るがす大きな事件と共に崩壊する。

で、上下巻何百ページも費やして啓蒙されてきたハンス君はその啓蒙がまったく不必要な状況に陥っている光景で終わっているわけですよ。

結局、この物語はコムズで偉そうな顔をしているが、その実スラップスティックだったんじゃないか?と本を閉じて思ってしまった。この小説を面白いと思うのはそういう笑える部分かもしれないとおもったのだが、他の人はどうなんだろう?ネットにある数多の書評などを読むと純粋に感動している人が多いのでますますわからなくなった。


中学生並の感想文をいうと「小説と時間のかかわりについての話は面白かった。」