『蟲師』儚く哀しい異形世界

昨日は病院帰りの自分土産に漫画を買おうと思って買ったよ。

蟲師 (1)  アフタヌーンKC (255)

蟲師 (1) アフタヌーンKC (255)

以前、紹介されて読みたいと思っていた漫画に『もやしもん』があって、それとこの『蟲師』と粘菌臭いねばっとしたつながりで気になっていたんだけど、書店で双方を手にとって、『もやしもん』の絵よりこっちの方が美的にちょっといいかもと思ってこっちを買ってしまった。『もやしもん』もうまげなんだが・・・ついね。次は『もやしもん』にする。

まぁ個人的に絵の下手な漫画は嫌いである。人物が死んでいるのとか、もしくはどこかで見たような絵。だから最近のアニメ絵的な、萌え絵的な雰囲気をちょっとでも感じると避けてしまうんだな。オリジナリティがなさそうなのはつまらないという先入観が働いてしまう。きっとほんとはそうでもないんだろうけど、視覚的抵抗感から世界に没入できない体質なので。

で、『もやしもん』は下手なのかすらわからんくらい、判読がつかなかった。『しりあがり寿』系かもしれないと侮れない。『蟲師』は表紙のデザインの美しさに比べると絵が完成はされてないようにも思えるが、独自の世界観があり、個性を感じる。(絵面は宮崎駿+最近の漫画絵+和)主人公のギンコが『ワンピース』のサンジに見えて困るのが難点。真面目なドラマが進んでいるのに眉毛に渦巻きが見える気がするんだよな。

しかし物語の内容は、柳田國男か、『聊斎志異』か、諸星大二郎か・・ってなくらいあの世とこの世の境の世界というか異形世界と現実世界のいったり来たりの浮遊感が愉しい。漫画世界には異形モノ大王の水木しげるもいるが、彼の妖怪が大変に実存感と力強さを伴っているのに対し、漆原友紀の蟲たちは、儚げである。人間世界にひずみを及ぼす蟲たちは、蟲師にしか感知できず、そして感知する能力ある蟲師たちの元に集まってくる。害をなすものでありながら儚く哀しい存在のようにも見える。

昭和か何時なのか判別もつかないような、日本の田舎の風景が描かれていて、そういえば祖母もそんなこといっていたなという日本人の原風景的な世界が展開される。祖父が死んだときに墓場の上を漂っていった火の玉や、あるいは家の外を横切っていく謎の光とか、それらを包み込むようなどろりとした闇がまだあった頃、人は異形のものを闇に見ていた気がする。少なくとも蔵のある祖母の妹が嫁いで行った「あの家」にはそんな物語が存在するかのような空気があった。

こういう原風景の、異形世界的なものを宮崎駿なんかも『となりのトトロ』や『もののけ姫』で表現しているが、『蟲師』もその系譜ながら、まるでレクイエムを奏でるように、静かで哀しげでもある。

ナニか出典があるわけでもなかろうこの異形世界への想像力はなかなかだな、と、まぁ思った次第。