『ポーの一族』萩尾望都 永遠の時間

先日は、モトさんの『トーマの心臓』に言及した。友人が早速それを読んでトーマについて「ゲーテの『若きウェルテルの悩み』を『ヴィルヘルムマイスター』にした感じ〜」と指摘してくれたが、ゲーテなんぞ「イタリア紀行」かなんかでシシリアのバゲリアにあるパラゴニア荘を酷評していたのを覚えているくらいだ。(まぁ酷評しても仕方ない安いへんてこな内装の館だったけど。ボマルツォとどっこいどっこい。)
ドイツ文学ってのにはどーも「修養物語」というか「教養文学」というのがあるらしい。で、その最高峰として「ヴィルヘルム・マイスター」なる小説があるようで(しかもこいつがすごく長くて読む気がしない。遍歴まで入れてなんだか長そう・・)要するに若造が成長しましたよ小説か。このジャンルに相当する小説例*1 がウィキにいくつかあったけどあんま読んでないや。教養ないからな。
トーマの心臓』もこの流れにあるとは思う。社会共同体における自我の形成というか。そういう話であるということは先日も書いた。

『トーマ』の根底ではキリスト教モチーフが使われていて、キリスト教文学として読むことも出来るということを自己体験で紹介したけど、萩尾さん自身についてはキリスト者かどうかわからないと書いた。単純にヨーロッパ文学のある特定のプロトコルを知っている人かもしれない。それは例えば『ポーの一族』などではヨーロッパ的「伝承」の世界をうまく描いていると思うし。

ポーの一族 (1) (小学館文庫)

ポーの一族 (1) (小学館文庫)

ポーの一族』ではおよそキリスト教的なるものは影を潜める。せいぜいが小道具程度。微妙にケルト的な太古からの伝承をあからさまに引用するのではなく、なんとなくそのエッセンスめいたものを「ポー」というバンパネラに託し、200年〜300年にわたる歴史世界をエドガーという少年を通じて描いていく。ここでの萩尾さんは「永遠の時間の輪」という概念を持っていて、「いつか溶け込む」と考えている。これは「トーマの心臓」でいうとトーマ・ヴェルナーの父親がエーリクに語った言葉「人間が永遠であるしるし」「宇宙はめぐる」「私達もいつか同化し一体となり」としても喚起されるが、そういや手塚治の『火の鳥』もそういう発想で、このあたりは東洋人の面目躍如というべきか?

で、吸血鬼モノというと欧米人は好きらしく、ブラム・ストーカーからアン・ライスまで、数多の大量の小説にもなり、映画にもなり、セサミストリート*2にまで登場している人気者だが、萩尾さんは微妙にその系譜を継承しつつも、世界観をずらして、オリジナルな「バンパネラ」世界を描いている。「薔薇の花を散らす」とかね。どっか他にあったっけ?そんな設定。

萩尾さんのすごいのはこの数百年にわたる近代の時代の時代考証をきちんとやっていたあたりだろうな。服装についての細かい言及。「ギリシャ風のドレス」とか「バッスルスタイル」とかちゃんと時代の流行なんぞを押さえている。英国にいるときのポーツネル伯爵夫妻が教会のミサに出ていて「彼らは敬虔なカトリック」などと評されていたけど「たぶん、アングロ・カトリック英国国教会)だよねぇ・・」とか細かい突っ込みいれたくなるのは悪い癖だな。我ながら。まぁ当時の貴族階級は英国国教会がデフォルトだろうというこって。(英国におけるローマ・カトリックアイルランド移民とか、貧乏人のイメージなんよ)
散りばめられるモチーフとしては「マザーグースの歌」があり、これがまたいかにも「英国風」な味付けに一役買っている。横溝正史の『悪魔の手毬歌』では童謡が怪しいモチーフとして使われていて余計に「怖いよ〜」な空気を濃密にさせていたけど、『ポー』ではこの謎に満ちた詩が叙情的な空気をさっと作り出す。のちに摩耶峰夫が『パタリロ』でギャグ化してしまったが、承前としてギャグ化できるくらい印象深く読者の頭に刻み付けてくれた。

ポーの一族』を最初に読んだのは近所の医者の待合室でだった。そこにあった少女コミックに作品としては二作めに当たる『ポーの村』が載っていたんだが、当時小学4年生だったわたくしにはなんとなく難解で「なんじゃか判らないけど不思議漫画」として記憶された。あまりに強烈だったのか他の漫画は全然覚えていなくて、それだけ覚えていた。「グレン・スミス」とかいう名前を意味不明に記憶していた。

その後、中学に入り、自分で漫画が買える身分になってやっと再会したわけだが、自分がエドガーと同じ年齢になる年『エディス』をもって完結してしまった。ううむ。すこぶる寂しい。寂しいので単行本を擦り切れるほど読んだよ。

ポーの主題は「永遠」というシロモノなんだろうケド、あるいは「記憶」とか「伝承」というもの。歴史好きがある時何か小説なり漫画なりのごとき物語を書こうとすると、人物設定を始めながらその人物の系譜、人物を取り巻く歴史、そういうのに凝っちゃって肝心の物語より、設定に凝るなんてのに陥りますが・・って、そういうのは私だけか?!なんかとにかく家系図まで作ったりしたことがあるケド・・萩尾さんも歴史好きでもあるようで、時間の軸をいじりながら「世界を俯瞰した物語を書けないかな〜?」とか思っていたのかもしれない。それともエドガーの生きた「近代ヨーロッパ」という時代を書きたかったのか?
しかし物語はエドガーの個人的な世界であり、壮大な「激動する近代」というような歴史物語ではなくパーソナルな人から見た歴史絵図である。この物語の魅力はそこにあり、また過去と今が個人に於いても連綿と繋がっていくのだということを気づかせてくれる。亡くなった人、去った人の思いは綴られていく。

主人公であるエドガーは妹のメリーベルの幻影をどこかで常に追っている。彼はなんとなくどこか孤独で儚い。人間と同じ時間を共有できない自分をどこかで呪っている。しかし、メリーベルの記憶を共有するアランと共に、長いそれぞれの時代に溶け込みながらもたくましく生き延びている。儚い雰囲気があるのにたくましい・・・って、そういえばドラキュラ系はどっちかというとしぶとそうなの多いね。『ヘルシング』のアーカード*3とかナニやっても死なないしな。

今、エドガーが生きていたらネットなんかしたんだろうか?ブログなんか書いていたら困るなぁ。イメージじゃないよね。

*1:教養小説Bildungsroman:ウィキによると下記の如し『トム・ジョーンズ』ヘンリー・フィールディング『ディヴィッド・コパーフィールド』チャールズ・ディケンズ『緑のハインリッヒ』ゴットフリート・ケラー『晩夏』アーダルベルト・シュティフター『大いなる遺産』チャールズ・ディケンズジャン・クリストフロマン・ロラン車輪の下ヘルマン・ヘッセ『人間の絆』サマセット・モーム『若き詩人の肖像』ジェイムズ・ジョイス魔の山トーマス・マン『鋼鉄の嵐の中で』エルンスト・ユンガー日本での、教養小説はこれ→『三四郎夏目漱石『青年』森鴎外次郎物語下村湖人・・・って、こんなかで読んだの3作くらいかもしれんぞ。教養ないな・・_| ̄|○

*2:セサミ・ストリートの吸血鬼:カウント 彼は数を数えたがる。数え終わると雷が鳴る。不思議キャラ

*3:アーカードはてなキーワードアーカードの説明は酷いよ!!!というか笑えるよ!!!