入院日記・2

闘病仲間の猫まんだらのりりさんも、わたくしより二日早くシャバに戻ってこられたらしい。よかった。

●手術後1日目(24日)
デビットリンチなチューブ人間にされたまま一夜が明ける。看護婦さんが歯磨きをさせて顔を拭いてくれるがイマイチ覚えていない。「看護婦さんはいいなぁ。お母さんみたいだなぁ。」と朦朧とした頭の中で思いつつうつらうつらとしている。熱が38度以上ある性だと思うけど、とにかく激痛でありながらよく寝る。
食事はまだ無し。
手術のあと着させられていた服から、病院のパジャマに着替えさせてもらう。病院のパジャマは意外とかわいいのだけどこのときはそんなのを愉しむ余裕まったく無し。

尿管を抜かれる。少し楽になる。歩いてみよと起こされるがとにかく起き上がれない。要介護4くらい?寝返り打つことも出来ない状態で、どう起き上がれと???
病院のベットは背もたれが上がる仕組みで、仰向けになりベットを起こし座った状態にもって行ってベットから立ち上がるという手法でなんとか起き上がることが出来た。3日目ぐらいまでそういう状態でベットから寝起きしていた。腹筋がまったく働かないという状態は、寝返りが出来ない、つまり寝るという行為にまで支障をきたすということを痛感する。また多少動けるようになっても、このような機械を用いて起き上がることしか出来ない、或いはベットの策を利用して手でなんとか身体を引き上げて起き上がったりするしかなく、祖母の気持ちがよくわかった。

午後、熱の性で足元がふらつき、どーにも歩けないのは代わりはないが、しかしトイレの為にも癒着や血栓予防の為にも歩かねばならないので介助を受けながら部屋の中をぽち(点滴)をつれて歩いてみる。一気に要介護3ぐらいまでバージョンアップした気がする。因みに小水は腹筋が働かぬ為に出はよくない。
歩けたことに気をよくして、度々部屋の中で歩く練習をしていた。

夕方、重湯とポタージュスープの流動食が出る。起き上がるのも辛い中での食事であったが、臓腑に食物が沁みていくのを感じる。まだ固形物を食べる気は起きないがそれでも流動食でも飯の有難味というのを知る。

熱は相変わらず8度代の高い所を示していた。

痛み止めのための麻酔を背中から流入しているにもかかわらず、痛みが断続的に襲ってくる為、痛み止めを度々処方される。夜中、薬が切れると痛くて眠れない為に、看護婦さんに頼んで処方をしてもらっていた。

痛み止めは劇薬なので間をおいて用いなくてはならないため、三種類の痛み止めをローテーションで用いていた。
・点滴による痛み止め:一番効く代わりに劇薬で数時間間をおかなくてはならない。これを打たれるとすぐ眠くなりうとうととして気持ちがいい。熱も下がる性もあると思う。

・座薬による痛み止め:多少緩和される程度。結局私に処方されていたこれは全部を使い切ることがなかった。痛み止め要求を頻繁に出してはいたものの他の人よりマシだったのかもしれない。

ロキソニン(錠剤):流石に一番酷いときはまったく効かないのでこの日は飲まなかった。

●手術後2日目(25日)

午前中、熱は7度台に下がる。
この日一日のごはんは5分粥と煮すぎてくたくたになったみたいな野菜。

ポチ(点滴)をつれて歩く練習。あの点滴器具はしばらくわたくしの杖であった。「ポチ。頼もしいよポチ。」という気持ちになりますよ。マジで。

背中のチューブが取れる。一気に楽になった気分でポチつれて廊下まで散歩に行く。まだ歩くと疲れるが、回復を早くしたいので運動も兼ねて廊下を何度も往復していた。一往復でロザリオ一環であることを発見したので。祈りながら歩いていたが昨日時事ネタでも書いたように「天使祝詞」にいちいち突っ込みいれたくなるので結局やめてしまった。

歩いている性か腸の蠕動運動も活発になり、ガスも無事に出て、便意もあり。開通したようだ。

寝ているときにF神父から電話。入院したことを師匠から聞いて見舞い電話くれたのである。実家の近所の近くの病院の仕事をしているとのことで仕事の電話も兼ねてだった。受け答えが元気そうなので話を持ち出したらしいが、しかし本当は絶不調だったのでイマイチ話に乗れず正直すまんかった。

食欲はまだあまりない。おかずは残した。

夜再び8度近くまで熱が出たので、薬を処方してもらって寝た。

●手術後3日目(26日)

ぽちがいなくなる。点滴が終了したんだな。抗生剤とか、栄養とか色々して働いてくれたポチともお別れである。ポチがいないと歩く姿がアウストラロピテクスのようでな。カッコがつかんよ。人間という生き物がいかに歩行という困難な体位に移行したのか謎だ〜とか考えてしまう。

病院の廊下に入る朝日が美しいのでケータイで写真取りした。既にそれくらい余裕が出来ている証拠で要介護1くらいになったと思われ。なもんで暇だし洗濯をした。気分がいい。

傷跡の洗浄とチェックをする。腹の傷の大きさは12㎝から13㎝くらいのようだ。そこからごっそりと一キロ近い内臓を取り出したそうで、筋腫を含めた子宮の大きさは子供の頭ほどあったそうだ(母談)なんせMRIの検査以降もすくすくと筋腫は育っていたらしく、あの検査のあとまた1センチも大きくなっていたとのことです。ほおっておいたらどれだけ大きくなったんだか。

わたくしの傷の縫合は所謂ホッチキスみたいなアレはなく、解ける糸で細かく縫うという技術だった。皮下4箇所の層をその都度、溶ける糸で縫い、表皮のすぐ下の皮膚もその糸で細かく縫うことであのホチキス止めのあとがなくなる美容的配慮のある方法論らしい。つまり「抜糸」という手順がないのである。これはかなりありがたい。

傷跡の洗浄ののちはシャワーを浴びてもいいということで、髪の毛と上半身だけ洗った。こういう行為も出来るというぐらい回復している。人間の復活力というのはすごいなぁ。

咳をしたりくしゃみをするとまだ腹に激痛が走るので、咳止めを処方してもらった。ナニもしていないときでも相変わらず痛みはあるのでロキソニンを飲み始める。

夕方また熱が出るがたいしたことはない。

●手術後4日目(27日)
腹痛い以外は実は暇だ。暇なので行動範囲を増やしたいので院内をだらくさ歩きたいと希望したら許可が下りたので売店まで行ってみる。久しぶりに下界に降りたはいいがすれ違う人の多さが怖いのと、とにかく歩く速度の亀っぷりに我ながら驚く。
食事はまだおかゆではあるがお菓子なども食べていいですなどといわれる。刺激物以外なら。「暴君ハバネロは駄目っすか?」と聞いたら「それは駄目」といわれた。まぁ本人が辛いの大丈夫ならいいですけどねぇ・・とのこと。
ハバネロはビールと共に食したいのでまぁ食べる気ないけど。それ以前にお菓子を欲しいと思わない。つまりまだ食欲が出ないのであるよ。
暇なのでまた洗濯をした。
午後に妹が来る。馬鹿話をし続けて、程よく疲れたので夜はぐっすり眠れた。
微熱あり。ロキソニンの世話になる。

●手術後5日目(28日)
午前中傷跡の消毒。
洗濯をシャワーを浴びる。毎日の務め化しているよ。

完全に暇こいているので仕事をはじめる。二時間ほどで疲れてしまって片付ける。
退屈すぎて読書が進み、手持ちの本がなくなりつつある危機に陥る。
医療崩壊
『きみのいもうと』エマニュエル・ポーブ
『私を離さないで』カズオイシグロ
ローマ人の物語 14巻』塩野七生
文春、新潮

・・・だけでは足りなくなるのは当たり前である。そういうわけで友人に塩野さんの最後の巻を持ってきて欲しいと頼んだ。

午後、別の友人が来て、その友人が手がけたキリスト教美術の本をもらう。ありがたいこっちゃ。泣)

それっくらい暇を持て余している。回復と共に反比例して暇度があがるという仕組みだ。医者に「暇なので早く退院したいっす」といったら「気持ちは判るが、まだ完全じゃないんだし我慢しなさい」と苦笑された。

夜、退屈すぎて友人と長電話。

実は結局個室のまま動かなかったのだ。そのお陰で電話が出来る。母が個室での面会は見舞い客も気が楽でよいことに気がついてしまったからで、「私が出したるからこのままでいなさい」と太っ腹なことになったのだな。おかげで仕事も出来るし。まぁ、たすかりました。

●手術後6日目(29日)
血液検査と尿検査がある。退院前の確認の為だ。

日曜日の性もあって朝から客が途絶えず。
入れ替わり、立ち代わり見舞い客が来る。大学時代の友人が塩野さんの本を届けてくれた。持つべきものは友人であるよ。

ところで、あまりに無菌な状態にいた為か匂いに敏感になっていることに気がつく。特に下界に降りると、様々な人が放つ匂いが強烈に感じる。エレベーターに乗ると前に乗った人の残り匂、例えば、煙草や整髪料、化粧品等のにおいがすぐ判る。今の状態なら。「ネ」つまり香水のパヒューマーになれるかもしれないぞ。などと思った。

友人がおフランスのセシルの近況を教えてくれた。4月に性転換手術を受けるらしい。子供を産めない女としてお互い仲間だぁなぁ。とか、手術は痛いので頑張るように伝えて欲しいと頼んでおいた。手術前のセシルの為にナニか送りたいがやはり漫画だろうな。セシルは自覚症状が女の癖に、描く漫画といい、彼女が好む漫画といい男の子な趣味があるので、安彦さんのガンダム漫画豪華本でも贈ろうかと思うがどうだろうか?

結局、この日一日は客相手で仕事が出来なかった。しかし退屈しきった身の上としてはありがたい一日だった。

既に痛みも傷周りのみという印象。歩くのはやはり遅いし困難だが、それでもゆっくりながら行動はできる。
回復が早いねと医者にも看護婦さんにも誉められる。

●手術後7日目(30日)
退院前のあれやこれや。
抜糸がないことは前述したとおり。傷を押さえていたテープははがれ、代わりに薄いテープで止められる。自然に取れるがままに任せるように言われる。

医者から退院前検診と説明を受ける。
はじめて切除した筋腫の写真を見る。
医者は「大丈夫ですか?」などと聞くが「グロ注意」するまでもなく自分の腹の中にいたものだもんな。

子宮とこんもりとした中華まんの如く膨れた筋腫が二つ。全体の大きさとしては腎臓方のあのトレイの大きさだそうで。うへ。こんなでかいもんがつまっていたならそりゃ疲れる罠。と改めて思う。写真は記念にもらった。

塩野さんの最後の巻もほとんど読破してしまう。
書評は[あとで書く]

この日仕事を出しに宅急便の荷造りをしてみたが、荷造りごときで息が切れてえらく疲れてしまった。本を読んでいても気づかなかったがこういう簡単な労働ですらこなせぬほど、まだ完全に復帰していないとわかりちょっとショック。

●手術後8日目(31日)退院

早朝、妹に来てもらって荷造り。
昨日のことがあったので、荷造りは妹にお願いした。妹も何故か一月頭に足の指の骨を折ってしまい心配していたのだが、痛みもなく日常生活にも支障をきたさない程度だということで、お願いした。
なんせ三度の飯より片づけが好き。つまり片付けるとか荷造りするのが趣味なので、嬉しそうにやっていた。
9時半に支払いに行きようやく出所可。

娑婆の空気を浴びて嬉しかったがとにかく車で家に帰る。
家ではカナ・ミモザがで迎えてくれる。カナは嬉しそうにやってきたがミモザは微妙に距離。ミモザは人見知りが激しいので妹がいた性もあるが、二階に行ってはじめてその理由がわかった。
私の帰宅にあわせて母が干しておいたくれた布団の上で、絵の具を粉砕して、布団を絵の具まみれにしてたのだな。しかも母の布団も綿を出してしまっていた。ものすごく反省していますの態度でにじり寄ってくるが・・・腹が痛くて怒る気にもなれず・・ひたすら落胆した。

母と妹で飯を食いにいこうということになり近所のご飯やさんまで出るも。その「近所へ」の距離が辛い。疲れてしまい腹も痛み出す。まだ距離を歩けないようだ。そして速度も異常に遅い。

日常生活が完全に戻るにはまだ時間がかかるようではあるがとりあえず娑婆に戻れたことに感謝であるよ。