核武保有是非論をすることの是非論というややこしい話

ニュース聞いてると、我がカトリックが誇る口の悪い政治家代表、麻生太郎が野党から突っ込みいれられている。イメージとして、麻生さんが核持ちOKな印象を受ける扱いに?でも、なんかよく聞くと変。

どーも「核議論の是非」を問われているようだ。「核を保有することの是非」じゃなくて「核保有議論をすることの是非」だそうだ。なんだそりゃ?言論の自由のある国でそりゃないだろう。「神はいるのか?いないのか?という議論はしちゃ駄目」などというのと同じぐらいおかしくないか?

これについては愛蔵太さんとこで麻生さんの言が取り上げられている。他の記事もなかなか為になる。
○愛・蔵太の少し調べて書く日記
http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20061105/kaku
■[時事]日本核武装論ってそんなに盛んだったのか。あと麻生太郎氏の発言は会議録のほうが面白い

・・以下が愛・蔵太さんが抜粋した麻生太郎の言

基本的に言って、なぜ核を持たないかという話をもう一回きちんと頭の整理された国会議員って何人ぐらいいらっしゃいますでしょうね。もう、あの時代えらくやらされたときにおられた方、今ほとんどいらっしゃいませんから。何となく持っちゃいかぬというような固定概念だけでやるのは甚だ危険なんであって、なぜ持たないかという理由をきっちり議論をしておいた方がいいと私自身はそう思っておりますんで
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/daily/select0104/165/16510240059002a.html
第165回国会 外交防衛委員会 第2号

何故持たないのか、今一度コンセンサスを取ろうよ。という話。結論としてわが国は、核兵器なんぞ糞な武器は持たない。というのが概ねの国民の合意にあると思う。ただその結論に至るロジックなプロセスを今一度確かめておかないと、力の強い他国の思惑で「核持てや、核」などと圧力かけられた時に「はい〜ご主人さまぁ〜」などと、へなへなになる馬鹿がいつ出るとも限らないと思う。国民が今一度確認する為に、コンセンサスを得る為に徹底した議論を尽くすのは重要じゃないかと。この辺りの議論を「するな」というのは麻生氏ではないけどもう言論封殺に他ならないというか、寧ろ今こそロジカルに「核非所有の道理」を構築しておかないといけないんじゃないか?
他方であたかも彼らが「核解禁」的な方向を模索していますよ的なイメージを流布するのは、あきらかな風評被害。誤ったイメージの流布。敢えてそのようなイメージを印象付けようとする方がおかしいと思うのだけど。

とはいえ、麻生さんも・・・

うちは共産党と違っていわゆる自由にしゃべれますんで、そこは間違えぬでくださいよ。その自由にしゃべれるというところまで封殺され、封殺されるのだけは断固認められぬという意見を申し上げておるんであって、自由のために我々は働いております。
http://www.sangiin.go.jp/japanese/joho1/kaigirok/daily/select0104/165/16510260059003a.html
第165回国会 外交防衛委員会 第3号

・・・・・なんて煽ってるんだな。ローゼン閣下も要らぬことを。
てゆーか共産党って、自由にしゃべれないんですか?ほんとに?緒方靖夫議員(共産党)はここ突っ込みいれた方がいいと思う。

我々は、やはり自由に討論するって当たり前なんですよ。

・・・なんて簡単に一言で流している場合じゃないというか(笑)

しかし緒方先生。締めくくりで・・・

しかし、職分を考えてほしいと、立場と国益をしっかり考えてほしいと、国際的影響をきちっと考えてほしいと、そのことを申し上げているんですよ。

アジア諸国に要らぬ風評垂れ流しているほうが国際的に害悪だと思うんですが。

この批判。規視観、覚えます。ローマ教皇べね16をめぐるイスラムのあれ的な煽りに通じるものがあるなぁ。外務大臣とか教皇ってのは自由に語れないってことかにょ。まぁべね16さんのは確かになんとなく誤解受けても仕方ない内容だったけど、麻生さんのは明らかにそうじゃないけどね。

で、麻生先生こんな風にイライラしている。

何回も申し上げてきましたように、この非核三原則という原則、これはたしか佐藤栄作内閣ぐらいのときにさかのぼるんだと記憶しますけれども、この原則を今の政府として変えるというようなことはないということはもう累次にわたって過去の内閣もこの安倍内閣も同様なことを申し上げて、堅持していくということを申し上げております。加えて、これ原子力基本法という法律もありますし、NPT条約というものもありますし、そういったものも考えて、基本的なことはないと、そういったことは変更はないんだということはもう何回となく申し上げてきたということだけは御理解いただかないと、何となくその後ろの話ばっかりがわあっと出てくる。ところが、まあ大体そういうものですけどね、世の中というのは、そちらの方ばっかりが出てくるんですけれども、最初に言った前提の話は全然なさらぬ

なにをどのように言ったかという厳密な話がそっちのけで周辺の部分を膨らませていいように変なプロパカンダ方向に行くのは怖い。

しかし、言論上の議論を尽くして為されるべきことが、なんじゃかわけの判らぬタブーによって封殺されていく光景というのは欧州の移民問題によく見られるという話を聞くけど。欧州での話をなんとなく見聞するにつけ、言論だけではない様々な「封殺」が別な怒りを蓄積させているように感じるときがある。話し合いが自由に出来ていれば起きなかった負の感情が暴発するほうが怖い。

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ところでべね16っていつの間にはてなキーワードになったんだ?使ってるの私しかいないみたいだけど。