典礼と伝統・中国宣教

一輝師匠が長期入院から復活した。まことにめでたい。入院中はとても繊細な俳句をあげておられてそれもまた楽しみになっていたのだけどやはり退院は何より嬉しい。師匠も嬉しかったらしくブログのデザインが春めいたデザインになっていた。もう秋なんですけど。
で、復帰後第一発の記事で何をブログに書くかと思ったら、いきなりこれ↓
金田一輝のWaby-Saby
http://d.hatena.ne.jp/kanedaitsuki/20061025/p1
[キリスト教]Joseph Cardinal Ratzinger with Vittorio Messori "THE RATZINGER REPORT"★★★

ラッツィンガーレポート。要するに現教皇ベネディクト16世がまだラッツィンガーさんだった頃のインタビュー集ですね。
翻訳が出ています。師匠は英文の本で読んだみたい。

信仰について―ラッツィンガー枢機卿との対話

信仰について―ラッツィンガー枢機卿との対話

病院で心細いんだろうなぁと思っていたのに、こんな本を読んでいたのか。私だったら漫画読むのに。『ワンピース』全巻とか。
で師匠は改めてラッツィのそのバランス感覚を評価しておられる。そうなんですね。ラッツィンガーはまったく中庸を行くカトリックで、ルフェーブル派のごとき保守でもなく、レオナルド・ボフのような過激リベラルでもない。物事の本質から生じる何かを探求している。だから教義に於いてはルーテルのような聖書主義者とも共通した福音解釈をするし、ラテン語のよき伝統が作り上げた遺産も高く評価する。

第二バチカン公会議についても、それによってすべてが新しくなったなどと妄想して根本的な教義や典礼様式などの伝統を破壊しまくる過激自由主義を非難する一方、第二バチカンを全否定するルフェーブル派のウルトラ保守主義をも同時に批判している。第二バチカンだって、教会の権威によって是認された「公会議」なんだと。

師匠がこのように要約し指摘しているように、教皇は教会至上主義者で、このあたりではいくつか反論を持つ神学者も多い。しかし多くの事象に対してはまことに中庸ではあると思う。個人的には教会機構の問題として「ではどうなのだ?」という若干の結論の出せない問題はあるものの、信徒が関わる多くの直接的な事象に対してはまったくその通りだと思う部分は多い。

さすがにファチマ第三の予言のようなスキャンダラスな話題には口が重い。逆に典礼のような本人お家芸の分野では、「それは俺の命、もとい教会の命だ」とばかりに熱い。

教皇は前教皇が残した極端なマリア信仰とも言っていいほどのマリア崇敬に対してはある程度の距離を持っているようだ。積極的に関わりもしないが否定もしないという態度ではあろう。そして個人的な信仰ではいささか批判的なのではないか?

で、あるドイツの母親が「小学生の宅の息子は、七秘蹟使徒信経も聞いたことがないっていうざますのよ、ほほ」という嘆きを紹介している。昨今、日本でも未洗礼者へのカテキズムの過程がかなり省略されていると仄聞するがいかに。

昔は試験とかあったらしい。イタリアでも堅信に臨んで試験があるという話を聞き、イタリアで要理教育を受けていた人が日本の要理教育のいいかげんさに驚いていた。そういえば「カテキスタ」があまり存在していないですね。昔は沢山いたはずなんだけど。というかうちの母教会だけか????師匠濱ちゃんも「聖霊が教えてくれるさ〜」などとのんきなことをいっていたので「そんなところてん式でいいのか?をい?」と思ったことがある。まぁ三位一体がナニや根本的によう判らんのは相変わらずだが。「イサクの犠牲って神様はマッチポンプじゃね?」とかアホな質問をしていたのでいいかげんうんざりされたのかもしれない。


しかしカトリック信者でない師匠がこんな風に杞憂してくださるのはうれしいが、外部から杞憂されてしまうほどにカトリック世界は内輪だけで物事見ているということに他ならない。カトリック内部の人がいかに世俗に疎いというか。世俗的なものを取り入れることがただ良いのだという浮世離れした感覚が既に矛盾しているのに早く気づいた方がいいかも。
伝統的な賜物のよさを気づいているのは多くは外部の人だ。教会が主導してやっているのではない「グレゴリオの家」の活動にもカトリックだけでなくプロテスタントの方も多く参加していると聞く。興味を持ってくださる方は信者じゃない人も多いと聞いたことがある。「下からのエキュメニズム」とはこういうのを言うのだな。
所詮カトリックは相変わらず上位下達な権威主義であるというのは典礼におけるやり方に如実に現れている。リベラルだと思いこんでいる人が本質的に権威主義だったりするのはよくある。

◆◆
で、最近のバチカン情報を見ていたらこんなんありました。

○世界キリスト教情報 2006/10/02号
http://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/SKJ.nsf/504ca249c786e20f85256284006da7ab/b002b22e58ea9c48492571fc002da013?OpenDocument

◎中国で最大のカトリック神学校が北京に誕生

 【CJC=東京】中国天主(カトリック)教会が同国最大規模の神学校を北京に開設したと9月28日発表した。国営新華社通信が報じた。
 「中国天主(カトリック)教愛国会と中国カトリック司教会議の指導の下に、健全な神学をもって聖なるカトリック教会に全身を献げ、その宣教に奉仕する司祭を養成することを中国天主教神哲学院は目指す」とリュウ・バイニアン愛国会副会長は述べた。
 神学校建設に中国政府は7371万元(約11億円)を助成している。
 敷地は北京市大興区で面積4・8ヘクタール。教室、講堂、教学棟、図書館、小聖堂、宿舎など10棟の延べ床面積は約2万平方メートルある。国内外の教授24人が教鞭を取る予定。
 中国天主教神哲学院は1983年9月に設立され、カトリックの聖職者養成の最高学府として、これまでに10期、合計419人の学生を送り出した。その内、240人以上が司祭になっている。
 中国天主教は北京のほかに瀋陽、上海、武漢西安成都など5ヵ所に地域神学校を設立している。

いつの間にか中国とバチカンは和解していたようです。以前の記事には司教叙階について中国とバチカンは和解。叙階に関してはバチカンの意向を汲んだというのも載っておりました。
同じ日付の記事にこんな情報も。

◎中国裁判所が地下教会指導者への強制労働判決取り消し
【CJC=東京】中国の地下キリスト教会指導者の1人、李会民氏(48=女性)はこの3月12日、イースター礼拝を行っていたところ、警察に「違法集会」だとして拘留され、翌13日に労働による再教育を申し渡されていたが、河南省濮陽市の人民法院地方裁判所)は9月25日判決を取り消した。

カトリックプロテスタントの地下教会の指導者は弾圧されていたのですがここへ来て急に緩和されてきた。このプロテスタント地下教会の女性牧師に対する措置取り消しもその一つ。上記のサイトの紹介記事を見るとカトリック新聞にも中国の陝西省の司教が釈放された記事が載っているようだ。詳細はよく知らないんだけど、連行されたときに脳震盪を起こしたらしく釈放されてすぐに入院しているという記事タイトルが出ている。

この急展開な姿勢は中国が欧米諸国と連動していこうという表れがあるのかもしれない。北朝鮮との不和、米国との対話。中国の外交姿勢が変容しつつあるのではないか。
しかし他方で上記の最後に・・・

◎北京の「直訴村」摘発、キリスト教団体の食料配布禁止

 【CJC=東京】中国当局は1日までに、官僚腐敗などを当局に直訴するため地方の農民らが集まる北京の通称「直訴村」の野宿者を大量に拘束した。産経新聞が報じた。
直訴を目的とした北京の野宿者は、9月にはピーク時で数千人に膨れあがったといわれる。当局は9月に入り、直訴村に複数の監視カメラを設置し、キリスト教団体の食料配布なども禁じた。さらに26日夜から27日未明、直訴村の摘発に踏み切った。

・・・とあるように国内の人民に対しては相変わらず厳しい。

因みにこんなニュースも。

中国の人権蹂躙映像、世界へ チベット亡命少年僧ら銃殺
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061022-00000000-san-int
【北京=福島香織】9月末に中国チベット自治区とネパールの国境近くで亡命を試みたチベット尼僧(25)や少年僧(15)らが、中国の国境警備隊の銃撃を受け少なくとも2人が死亡した事件の映像が世界中で放映され、国際社会を騒然とさせている。

ようつべで以前見たんだけど、酷い。
欧米(キリスト教)には表面的にいい顔しようとしても、民族弾圧、宗教弾圧姿勢は実は変わりはない。

中国様のネタではこんなのもあった。↓
切込隊長BLOG(ブログ)〜俺様キングダム
http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2006/10/10_175502.html
■中国政府とは、どうしてこんなに知能犯なのだろうか

ネタ記事としてだけど・・・。
絶滅種のトラを中国と北朝鮮国境の自然環境で放し飼いにしするというニュースを受けて「中国がトラを放し飼いにして来るべき難民対策に・・・・」っていうネタがちょい前に流行ったらしい。

うええ。