いじめネタ

いじめ問題に関してはわりと取り上げている人が多かったけど、わたくしは興味なかったというか、いつまでたっても無くならないいじめに関しては、その論調もいつまでたっても同じ所を空回りしているんで、ナニか言おうにもコメントすることもない。なもんで色んなトコを流し読みするくらい。
したらこんなんみつけました↓
○煩悩是道場
http://d.hatena.ne.jp/ululun/20061022/1161507804
■あなたは他人を「死ね!」と思った事は無いのか

たくさんの人が、福岡で起きたいじめの「悪者・犯人」をつくろうと

しているわけですが「いじめられるだけの理由」も思うわけです。

かれは、頭も良く成績もトップクラス、いじめた側にしてみればハナにつく存在

に見えたのかもしれないですよね。

どれくらいの人が、産まれてこのかた誰かを「死ね」と思った事がないでしょ

うか。私も何度か「死ね!」と口走った経験はあるし、人を恨んだ事もあります。

みにくいこころを持って生きています。確かにいじめは良くない事ですが、

てばなしで、いじめをする側を「悪である」と言えるわけでもないのです。

おお?これはあのイエスの石打ちの女理論だ!
「罪のないものが石を投げよ。」
もしくはあれだ「心の中で姦淫するものは姦淫したも同然だろがゴルァ」ね。

で、まぁ、ululunさんらしくないなぁと思ったら、ネタだった。ブログで縦読みたぁ、ネタがすべってるとしか思えないので、失敗の巻って感じでしょうけど、(てゆーか「釣り」実験だった臭い)ただ、上記の如くイエスの理論にはそういうのがある。

いじめる馬鹿はもう馬鹿で救いようがないし、いじめられる側に問題があるなんてのはよく聞く詭弁だと思うけど「いじめられる」って経験は多かれ少なかれ誰にでもあっていじめられるスパイラルから抜け出す為にあれこれ苦労した人がもしかしたら「いじめられる側に問題があった」とか思うかも知れないな。禁煙した喫煙者が嫌煙家になるみたいな。どうなんだろう。

率先していじめる側の立場ってのは私は判らない。周りにつられて(つまりチキンハートなので付和雷同的に)敬遠するってのはあっても、いじめたことってあまりない。わりといじめられていた子と話したりもしてたし、なんでこの子がいじめられてるのかも判らなかったり。それにいじめるって行為は面白いものじゃない。正直つまらない。
消防のころにいじめに遭った時期があってやはりいじめる側の悪意ってなんだろうね?と思ったことがある。気になるから手を出したがるんだろうから相手にしない方がいいと思った。無視して流しているうちにいじめがなくなった。のちに親に聞くといじめた子の親が我が家を一方的にライバル視していたらしい。親の因果が子に報いという仕組みだったようだ。当時は会社の社宅だったのでそういうこともあった。ガキとしては迷惑千万である。

いじめってのはなにが原因で起きるか判らないし、いじめられる側に問題ありなんてもう千差万別で言えないし、いじめる側の問題もこれまた千差万別で。ただ「いじめる」って行為そのものは良くないと教えるしかない罠。
だから心に思っていても「いじめる」という行為に出たらそれはもうね駄目なんよ。イエスは厳しいこというけど、心の中まで聖人君子でいられないのは、人間の弱さの証拠だ罠。赦せや。つって、まぁそういう風に祈るのがキリスト教だったり。だからニーチェに弱虫毛虫っていじめられるんだな。