大学崩壊

美大というのは特殊な学問を扱うので、文部科学省からのトンでも通達には度々悩まされ、そのお馬鹿な通達のために現場の先生達は激しく怒りまくる場面も多いんだが、内田樹先生のところでこんな記事を知る。
内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/archives/001962.php
不適格教員からひとこと

行政は学校のことを放っておいて欲しいと書いたら、その日の毎日新聞の夕刊の一面に「教授、研修して下さい」と大書してあった。
どうも放っておいてはくれないようである。

なにかというとこれ↓

▼大学教員:研修義務化 講義レベルアップで 08年度にも
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/edu/news/20061021k0000e040067000c.html
文部科学省は大学・短大教員の講義のレベルアップのため、全大学に教員への研修を義務付ける方針を固めた。来年度に大学設置基準と短期大学設置基準を改正し、早ければ08年4月にも義務化する。研究中心と言われる日本の大学で、学生への教育にも力点を置く必要があると判断したもので、「大学全入時代」を迎え、学生の質の低下を懸念する経済界からの要請も背景にある。具体的な研修内容などは今後、中央教育審議会で検討する。【高山純二】

しかし、各大学で現在行われているFDの内容は講演会の開催や研修会、授業内容の検討会など座学中心で、実効性や効果を疑問視する声もある。また07年度に大学・短大の志願者数と定員数が同じになる大学全入時代を控え、経済界には「企業で戦力として使える人材となるように教育してほしい」と、大学教育の充実を求める声も強い。

え〜。大学って就職専門学校じゃないんですけどね。ナニかカンチガイしているよ。この国は。しかも美大ってのは「企業に入る人間」ってのはほとんど想定されていないんで、一律にこうしろってのを適用されたら困るわけよ。

そういう美大なので特殊枠ってのを設けてくれるものかと思うと、昨今そうでもなさそうな仕事が増えている。最近も講師についての詳しい情報をよこせというので、講師が今までどういう仕事をしてきたのか出せというそのフォーマットが学術論文とかそういうのを想定しているシロモノなんで、絵描きとしてはどうしろと?と教授連中が頭を抱えてしまった。「共著」「単著」とかあるが、絵に共著もへったくれもない。イラストの仕事を果たして共著といってもいいのか?しかも十年前の展覧会の情報なんて忘れたよ。何月にやったかとか出せというけど年号しか記録してません。

教授陣はこの手の文部科学省対策の為の会議や書類作成に追われていて、生徒と接する時間が大幅に削られてしまっている。講師である我々がカバーするが、優れたあの教授が生徒と接する時間が削減されるのはもったいない。こんなアホな研修とかって対役所仕事が増える一方で、本当の教育の現場が崩壊していくんじゃないか。役所は自分が仕事している実感を感じたいとか影響を与えたいとか思っているのかね。トップが馬鹿だとそのうち現場もどんどん馬鹿になるよ。

内田先生は「ほっといてくれ」と仰っているがまったくだ。これ以上美大のクリエイティブな空気を崩壊させないでくれ。美大治外法権な空気があることが大切だったりする。
文部科学省のためのバリケードでも作るか。


ファカルティー・ディベロップメント
これはなにぞ?
これを行うことが義務化される?

■FD(ファカルティー・ディベロップメント) ファカルティーは「教員」、ディベロップメントは「開発」の意。「大学教員資質開発」などと訳されている。米国が起源とされ、英国ではSD(スタッフ・ディベロップメント)と呼ばれる。文科省は「教員が授業内容・方法を改善し向上させるための組織的な取り組みの総称」をFDとしている。

そもそも個人的活動を行う芸術で、メタレベルのことを討議しても時間の無駄だよ。文部科学省が海外の美術大学を視察させてくれるとかそういうの義務付け金出しでもしてくれるならまぁいいかもね。けど結局は個人の個性と才能に左右される美術世界に、そういうの生きるとも思えんけど。そもそも食えないことを四六時中考えたり実行する学問だからね。世の中の枠組みから外れても尚生きていることを教授がその生き様で教えるほうが早いという特殊世界だもんよ。

◆◆
美大に於いてもっとも優秀な逸材はナニかというと、世俗で活躍している。というこれに尽きる。日頃生徒に言葉で言う以上の教えを教えられる。日ごろ飲み会の席で生徒相手にクダを巻く先生の「言葉」とは、「実践としてこうなのだ」と形にして見せるほうが早い。
なもんで文部科学省がもし規範を出したらそれこそ欠陥教授、欠陥講師のオンパレードだろうね。休講してしまうほど忙しく働くような先生こそ素晴らしかったりするんで。あと飲み会に強いとか。
しかし「美大はそうなんだ」とそういうコンセンサスをとると、現場仕事をしていない先生もいるわけでそれも困る。そういう先生も必要。というのも世俗的に受けている先生でなくマイペースな隠者みたいな人もこれまた重要だったり。あと普段の仕事なにしてるかよくわからんのに生徒の教え方が巧いというのもいる。トンでも教授と生徒に丁寧な教授と様々なのがご用意されていないと。

こんな職場で、教授・講師の研修って一番時間の無駄だな。そんな暇あったら絵を描け。作品作れってなもんで。目的が教育者の啓蒙というならそれを目的として、集団でなんかするって発想が既にもう美術世界では意味を為さない。

あと、文部科学省的に欠陥教授となると、レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロもダメダメ。使えないよ。彼ら。レオナルドが飽きっぽすぎて締め切り破りまくる困ったやつだし、ミケランジェロは同僚とまったくうまくいかない上に上司を怒らせ、部下も使えない。使えるのはアカダミアを作ったヴァザーリだけど、教育者としては優秀かも。でも彼、純粋な芸術家と言えないし。彼みたいなのばかりだとつまらないと思うよ。というか本人自身がそう思っているから芸術家列伝書いたんじゃないか?
哲学世界でもソクラテスはダメダメそう。優秀な弟子に恵まれてよかったね。って感じで。イエスも駄目かも。ニーチェなんかマスコミにスキャンダルで格好の標的になりそうだ。