平和の道具

今日はジェット機がぶんぶん飛んでうるさい。厚木基地から飛んでるのかね。なんせ海の向こうで不思議な国、北朝鮮様が核実験を下のしないのと大騒ぎになっているようで。チキンハートなわたくし的には、もうね、怖いですよ。核なんて。止めてください将軍様
そういう世の中が騒然としていた昨日、わたくしは六本木にあるフランシスコ会修道院で行われたフランシスコ会の第三会、つまり在世会の集まりにのこのこ出かけておった。集まりのお題目は
「平和について」
いやぁ、タイムリー過ぎというか。
フランシスコは何故か平和の聖人などといわれている。フランシスコの生きた時代、彼の生まれた街アシジは戦争に巻き込まれていた。教皇側についたアシジの市民と、皇帝側についた貴族達との抗争とか、アシジし自身が内部紛争をしていたとか、ペルージアと戦争していたとか色々あったらしいよ。そういう戦乱の中でフランシスコは和平を求めて説教していたとか色々エピソードがある。そういえばフランシスコに賛同して集まった人々がやがて第三会を作り、そしてその会の決まりに「武器を持ってはならない」という兵役拒否の条項があったそうな。良心的兵役拒否ってヤツの先駆者ですね。その第三会員が増え戦争が出来なくなってしまったがために戦争が下火になったなんて話もあるようだ。

で、昨日の演者は私の霊的師匠、濱ちゃんである。学生運動時代、「右翼」だといわれ、石原慎太郎の会に誘われたという経験を持つ濱ちゃんはいわゆる「市民運動家」的な平和運動はなんとなーく嫌いなんじゃが、どういうことを言うのか微妙に興味深かった。

濱ちゃんは実は平和論者ではある。単に「平和」といいながら仮想敵を作るような平和ではない人が嫌いなようです。「アメリカは平和の敵」と言っちゃうような平和主義者ね。そういうのは「矛盾してる」などといってました。うむ、奥が深い。まぁ、政治的には現実性はないが、聖なる世界の視点ではそういう考えは成り立つ。だから宗教ってのは霞み食って生きている人の世界なんだけど、視点としてそういうのは大切だったり。
濱ちゃんは、日常世界で平和を構築できない人が遠い世界の平和を説くのはどうもねぇ・・と、どこかで思っているようで、まず自らの家族、隣人の平安を思わないといけないと申してました。特に在俗に生きる人にとって囲まれた俗の世界、家族、会社、近所の隣人・・あらゆる共同体で生じる不和の解決とか、平安の為の努力とか、まぁそういういうことが最終的に世界平和へと繋がっていくでしょ。・・・という気の長い話だけど、実は大切なことだったりする。
これはマザーテレサも言っていることだけど、遠い所の飢えよりまず足元の飢えを見よ。というような、そういう話に繋がっていくと思います。大層なことをする必要はなく、日常の平安からはじめようと。大層なことをして家を省みず家族を泣かすようなやり方とかはどうよ?ということですね。
もっとも、第一会(男子修道会)や第二会(女子修道会)というのは既に世俗を棄て、そういう活動に身を投じることが可能な環境にあるから話は別になるけど、第三会員という世俗と関わり生きている人へのメッセージとしては至極当然な話だとは思います。

・・・つっても、君達、第一会の人々はどうしてそう仲が悪いんだ?
師匠は「神父はわがままが多い」などとぼやいていたけど、
「そういう師匠も、すこぶるわがままだと思う」と言ったら
「え?僕ってわがままだったの??」と、しばし考え・・
「自分では気づかないってトコでわがままなのかもねぇ」
・・・などと納得していたです。素直すぎるよ。師匠。
いい人だなぁ。


久しぶりにそういう師匠の話を聞いてほっとした。なんというか考え方がしっかりしていて動かない人は安心するよね。

で、チキンな私は戦争なんて真っ平ごめんなんで、一応平和を祈りましたです。キム君もなんか妙なプライドとか棄てて下さいですよ。変なプライドが国を滅ぼしたらそれこそ間抜けだと思うよ。

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他、師匠が言っていたことの備忘

師匠より前の世代の爺さん神父が「わしの時代には平和なんて言葉なかったよ」「戦争している時代だったからね」「平安という言葉はあったかもね」なんていっていたらしい。
・・・・「平和」っていつごろでてきた言葉なのかねぇ?

戦争の反対が平和などというなら、北朝鮮は現在どこかと戦争しているわけではないのだけどあそこの国民は「平和」という状況にあるのか?
・・・・平和ではないよね。国民は。。。
「平和な時代」というのは戦争を準備している時代といえるのではなかろうか。少なくとも人類の歴史では。
・・・・今の北朝鮮はそういう状況まっしぐらだな。いやはや何考えているのかさっぱりわかりません。