飼うことの矛盾

ミモザはまだまだちんまい。カナは病弱なので痛々しい。
主としてはこやつらを守らねばいかん義務があったりする。

ミモザ兄弟に出会って、同じ大きさだった兄弟達がなんだかミモザより一回りも小さいのを見てしまった。子犬はご飯を沢山食べる。でもお産後の母犬も餓えていて。飼い主が与える食べ物じゃ不十分なようだ。母犬はタマに狩りをしている。子犬達にご飯を与える為。足りない時は自分が我慢してあげていたらしい。飼い主は母犬は自分ちの犬だけど、子供たちは勝手に産んだ犬なんだから母犬が面倒見るなり何とかしろという感じ。餓えない程度のご飯は上げるけど他はどうにかしなさいと。まぁ要するに犬とて一人前なんだからある程度は自立しなさいよみたいな。ええっ?犬にそんなの通用するわけないのにと思ってしまうんだけど、「雄犬を追い払えばいいじゃない。わかってんの?また妊娠しても知らないわよ」と、犬に怒ってる。いやはや犬も人間様の子供と対等というか・・・すごいなぁ。と逆に感心してしまう。だから母犬はいつも子供が出来ると苦労して捨てにいくとか狩りをするとかナンとかやろうとしている。

私はミモザの小さなすべっこい体を見て、こやつを守らないでどうする?などと思ってしまう。発情期の時期が来るなら当然雄犬が来てしまう。目を離した隙になにが起きるか判らない。子供が産まれてしまったら困る。ミモザの実家のように「自分でしでかした事は自分でなんとかしなさい」とはとても言えない。残されたミモザ兄弟の一回り小さな痩せた体を見ると言えない。きっとミモザも避妊させるだろう。都会なら放し飼いがないからなんとかなりそうだけど、島はそうもいかないから。島は犬のインフレで有り余っている。だからみんな捨ててしまう。なら避妊しか道はないではないか。

でもそれはカナの時にも感じた痛みをおもうと苦しい。
カナは永遠に大人にならない。でも小さな犬が好きだ。子犬が好きだ。ミモザを怒っているといつも間に入って来てかばおうとする。そんなちびっこいのが好きなカナの「母」という選択を奪ってしまったことは今も済まないと思う。
かすかに残る傷跡に触れると済まないと思う。

人が野生を飼うというのは辛い事だ。

ミモザはもらわれていってよかったねぇ。と島人はいう。やせっぽちのミモザ兄弟より幸せだというけど、本性である母を奪われるのはどうなんだろう。
島でのびのびと暮らせてよかったねぇと。と街人はいう。でも、のびのびとしている環境だから避妊しないと大変になる。

そういう場面だけでなく、街で暮らす作法。吠えない躾。トイレをいたるところにしない躾。他の犬を威嚇しない躾。靴を持ち込み噛んだりしない躾。さまざまなルールを覚えないといけない。人間の子供も社会で生きる為のルールを親が教えなければいけないように、犬達も社会で生きるルールを覚えさせねばならない。吠える為の遺伝子を組み込まれた犬にとって辛い。狩りをする本性を押さえ込まれた犬にとって辛い。でもそれは社会のなかで困らず生きていく為のルールの中では仕方が無いことだったりする。
だから頭もまだ柔軟な子供の頃から徹底してたたき込まねばならない。

島ではそんな事、ほとんどしない。当然いけない事をしたら怒るけど、そのいけないことの数が都会より遙かに少ない。それになにより島はカナもミモザも大好きな広い広い砂浜がある。思いっ切りかけ回れる白い浜。いくら掘っても怒られない大きな砂場。だから比較すると島の方が幸せなんだろうとは思う。

犬とか猫とか飼っている人はきっとこうやってナニが幸せなのか考え続けているんだろう。
人間の考える幸せなどほんとは違うのかもしれないと思いながら。