『クライマーズ・ハイ』横山 秀夫

飛行機に乗るんでなにか読む本が欲しかった。pataさんからもらった『中世の身体』を読もうと思っていたが気圧の変化で脳が働かない可能性もあるので軽い読み物はないかと本屋に行った。

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

平積みになっていたこの本が目に入った。「そういやクリスチナさんが書評書いていたな」と思って手に取った。よく考えたら飛行機に乗るのに悪趣味ではあるな。しかし結局寝ちゃったので昨日読んだ。

物語の中心にあるのは500余名の命を奪った「日航機墜落事故御巣鷹山に墜落したアレ。
なにか世間を揺るがすような大きな事件が起きた時、その時なにをしていたのか記憶している人は多いだろう。この事故もそういう「大きな事件」の一つだった。わたくしは当時或るギョーカイ誌に漫画を描く仕事をしていた。まだ学生だったが、その雑誌の編集者に「描いてみなよ」といわれてはじめた仕事だった。何故かファンもぼちぼちといて、そのファンの一人が「コミケに同人誌を出そうよ」といってきたので協力する羽目になった。で、彼女のマンションで缶詰めになりながらその作業を徹夜でやっていた。ふと作業が煮詰まったので深夜のテレビでもやっていないかとつけた画面にいきなりおびただしい名前の羅列が飛び込んできた。延々と呼び上げられる名前。なにが起きたのか判らないが何か尋常じゃないことが起きたのだけは判った。
事故現場に近い北相木村に行った事がある。事件の前か後かは覚えてはいない。ただとにかく山間の過疎化した村で日が落ちるのが異常に早かったのを覚えている。山は苦手だ。あの黒々と迫り来る閉鎖的な空間が恐ろしい。海も恐ろしいが、山のもつ力、土地の力とは、その人間を受け入れるか受け入れないか山の側が決めていくような、そういう怖さである。絶対的なモノを感じる。私のイメージでは山は父で、海は母だ。なんとなく。

クライマーズ・ハイ」とは登山家のギョーカイ用語で興奮が極限状態に達し、恐怖心がマヒするという状態らしい。
この小説の主人公は群馬の地方紙の新聞記者である。未曾有の航空機大事故の地元の新聞記者。彼はデスクを命じられる。だからこの小説の舞台はほとんど新聞社における光景であり、事故そのものの現場、御巣鷹山も、遺体が運び込まれた上野村も出ては来ない。遺族達も出て来ない。登場人物達は新聞社の人間達である。大事故に直面した新聞社の光景である。地方紙の社内のさまざまな政治地図、各人の思惑が描かれていく。事故の物語ではなく新聞社の物語だ。

主人公悠木はなんとなく山に登っている。本格的ではない山岳愛好会みたいなのに参加して山登りを続けている。息子との距離感が掴めずに悩む悠木は自らの父親像をどう置いてよいのか判らずにいた。父と息子の問題という家庭内での悩みを抱えながら友人安西に誘われるまま難所といわれる岩壁の登攀を約束する。
安西は前日なぞめいた言葉を悠木にいう。ナンの為に登るのか?安西はその質問に答える。
「下りるために登るんさ」
その登攀の日の前夜、安西はクモ膜下出血で倒れる。
そして悠木も日航機の事件のデスクに指名されていた。

「山は父である」と書いた。拒絶しながら待ちかまえている。永遠に到達しえない父なる神的な。
そしてこの物語で山はその懐に墜落した飛行機を迎え入れる。無残にも傷ついた山肌の写真は覚えている。現場に向うのは困難を極めたらしいことは当時のニュースでも伝わってきた。山は散りじりになった航空機は受け入れはしたが、しかし人を自ら寄せ付けはしない。ただそこに在る。

そのニュースの現場。あくまでもフィクションではあるがリアルとも思える緊迫感がこれでもかと描かれていく。それは事故そのものへの取材が困難を極めたというのではなく、以前から抱えている社内の力関係の問題によるものである。大事故を扱うというなかでの、駆け引きと、失望、怒り、現実と理想、さまざまな緊張感が悠木を取巻いていく中で次第に彼は「クライマーズ・ハイ」と化していく。彼だけではなく、現場にいち早く足を運んだ若い記者、スクープを目の前にした専門知識のある記者等、それぞれがハイテンションの中で動き回っている。極限に追いつめられていく男達。


私は新聞ってのは毎日朝淡々とやって来る事しか知らない。紙面をどのように使うか一つでこんなにもめるとかそんな舞台裏など知らない。スクープすることの歓びとか達成感とか知らない。でもよく考えたら彼等の現場は毎日締切があるってことだ。1ヶ月に一回の締切ですらひいひい言ったりしてしまうわたくし的には想像もつかない現場だ。毎日が修羅場。そりゃもうハイになる罠。

正直、昨今のマスゴミたぁしょうもねぇ。とか思っているけど、この手の修羅場をくぐり抜けている人々ってのはやっぱりすごいな。この小説を著者が書こうと思った意図は判らないけど、放火しちゃうマスゴミ君とか、捏造記事を書くマスゴミ君とか、マッチポンプマスゴミ君とか、「お馬鹿な読者の啓蒙活動目的よ」なますごみ君とか、そういうのまでいたりする現場。やはり極限の中で生きている尋常じゃない世界なんだろうな〜〜〜とか、寝っ転がりながら考えましたよ。マスゴミ君はいらんけど、気合い入ったマスコミ諸氏は頑張って欲しいなと。