摂理とかカルトとか

先日「摂理」というエロカルト教団についてのニュースを紹介したけど、それについて産経系のサイトにこんな記事。

韓国SEX教団、日本女性100人被害?有名大学が標的に
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/world/12635/
日本での脱退者や脱退支援者らによると、「教祖をキリストの再来であるメシアだと信じこませる教義は、統一教会と非常に似ている。大学などで演劇やスポーツのサークルを装って勧誘をする手口も同じだ」という。

 日本では87年ごろから、東大や早稲田、大阪外語大など、首都圏や関西の国立大学や有名私立大学で布教活動をはじめて、徐々に信者を増やしてきた。

 一部の信者は、全国で約40カ所にある「教会」と呼ばれる住居(主に集合住宅の一室)で数人で集団生活を送っている。教団内での男女の交際は禁じられているが、時折、信者の男女を組み合わせる合同結婚式が行われているという。

 また、チア部やモデル部と呼ばれる組織があり、美人の信者らが集められ、信者勧誘の“武器”にもなっている。教祖自身は国際刑事警察機構(ICPO)を通じて国際手配を受けるまでは、何度か来日していた。

サークル活動通じて若い人を釣る。しかも美人局的に。ってすごいなぁ。出会い系とか、スーフリとか、世の中の若い人のニーズを把握してると申しますか。いやはや。

カトリックなんぞも「若い人を集めるにはイベントだよな」的な発想がどこかにありますけどね。なんで若い人にはこれが有効なのかねぇ。大学でクラブなんぞに入るのは馬鹿馬鹿しいなどと所属しなかったひねくれたわたくし的にはこういう「つるむ」ってのが苦手なわけだが、今思えばそういうとこに入っっておけば「結婚」できたのか?「合同結婚式」ってのは自然な流れなのかね。少子化対策に乗り出そうとする猪口センセも見習ったほうが。


それはともかく、このモトネタ、zakzakの記事らしいんだけど、

日本名で「摂理」と名乗るこの教団は、韓国では「JMS」と呼ばれるカルト教団で、自称15万人の信者が全世界の各地にいるという。教祖の鄭容疑者は元々は統一教会の講師で、1978年ころに独立し、プロテスタント系の宗教団体として教団を設立した。

エエエ?プロテスタント系って?
そりゃプロテスタントの中の人は困惑すると思う。「教祖が再臨したキリストだ」とかいっちゃってる時点で「プロテスタント系」って定義は成立しないというか。広義な「キリスト教系」ならともかく、ギョーカイでの定義では現人神的な発想する教義はカトリックプロテスタントも採択しないから。だから「キリスト教系」ではあっても「キリスト教」に包括されるプロテスタントカトリック、正教ではそういうのは除外されるのでござるよ。


しかもこのサイト。はてな並みに用語辞典を作ろうとしているんだけどリンクされている「プロテスタント」の説明がなぁ。

新教を奉じるキリスト教徒のこと。ドイツのルター(1483?1546年)が始めた16世紀の「宗教革命」に端を発し、プロテスタントの名はローマ・カトリック教会に「プロテスト(抗議)する者」の意味。宗教改革はドイツ、スイスなど、主にヨーロッパの北部で推し進められた。また一部の教徒たちは、「メイフラワー号」で、イギリスからアメリカに渡り、多くの宗派に分かれながら、教徒を増やしていった。宗教改革後のキリスト教には、プロテスタントローマ・カトリック東方教会という大きな流れが生まれた。

うわ。なんだこりゃ?
カルヴァン先生にも触れてくださいよ。
あと宗教改革以前から、西方教会(ローマ・カトリック)と東方教会という二つの大きな流れがあってだな、宗教改革後、西方教会が大きく分裂したというか。大雑把には間違っていないけど、試験に出てこの解説を書いても65点ぐらいしかもらえないかも。
というか私だったらあげないや。厳しすぎかな?
でもマックス・ウェーバーとかにも触れて欲しいしね。

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ところで、こういう事件のときにいつも「宗教やってるやつは・・」的な表現する人がいるんだけど、宗教って「やる」ものなのか?といつも思いますね。あんま能動的なものとして捉えていないんで、違和感を感じます。
哲学とか思想とかそういうものみたいに考えることはあるけど、基本的に思考の軸としてあるみたいな、無意識にあるみたいなそんなシロモノかも。


あと「思考停止」って言葉もよく聞きますけど、そもそも教義なんて後付みたいなもんで、大抵は先ず疑ってかかりますね。「三位一体ってナニそれ?」とか「復活ってなんだそりゃ?」とか、「永遠の命っていわれてもなぁ」とか。そもそもこういうのを「クレド(信じる)」などといわねばならないなら、一応、どういうことか考えますわな。

「信じる」なんて簡単にいえませんから考え続けます。一生かかって答えを見つけるのかもしれませんですし、答えなど見つからないかも知れない。
そもそも物理現象に反する「永遠の命」とか「復活」「処女懐胎」なんて簡単に信じることが出来るほうがおかしいというか、少なくとも現代社会で教育受けてしまったら疑うよね。それをあえて「信じる」っていうのは一体これまたどういうことかいな?などと哲学的にあれやこれや考える営みをすることはありますね。イエズス会の老神父に聞いたら「私にも判りません。一生かかって見つけることですねぃ」などといわれました。様々な神学解釈などが生じるモノでこうだという答えは実はないし、根本となる前提すら疑うこともあるよ。

これらの命題を2000年もあーでもないこーでもないと論争し続けまだ論争してるんですから、思考停止というより、思考過剰といった方がいいと思う。無駄に思考しているというか。「思考停止」などと馬鹿にするのではなくどーでもいいことを思考し続ける過剰思考として馬鹿にする方がいいと思うよ。

例えば仏教なんて私のギョーカイではない宗教のその深遠なる世界を知ろうと思ったらふだん使っていない脳みそを駆使しないと理解の片鱗にいたらないし、結局、理解すら出来ないと思う。
そういう世界でうごめいている人の「信じる」という言葉の重さは単純ではないだろうなぁとか思います。

確かにあの手のあきらかに怪しげなカルト教団に騙される人ってのは疑うことを知らないかもしれないけど、自分が知らない世界をひとくくりにして「思考停止」などといってしまう人も同じように疑うことを知らないのかもしれない・「宗教は思考停止」という単純化に於いて。


で、まぁそのカルト教団の手口ってのは、実はかなり巧みみたいなんで、最初からなんでも疑ってかかるひねくれものの私でもマジに来られたら洗脳されてしまうかも。実態がどういうものかよく知らんのだが監禁されてどうにかされたりするみたいだし。怖いよなぁ。近づかないに限るな。

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ぜんぜん違うシチュエーションだけど
とっても信じやすい素直な人々の一例↓
http://atkinson-web.hp.infoseek.co.jp/atkinson/vipper.htm

サンミちゃんかわいそうだよ。