キリスト教と教派

先日のエントリでたまちゃんさんとcica_さんから、プロテスタントのご事情等を教えていただきました。
キリスト教は古代の初期キリスト教から多くの派が発生し、さまざまな形に発達していったのですが、色々なセクトが生じます。今日のキリスト教の中心となる教義「三位一体」「イエス・キリストの完全なる神性と完全なる人性」といったことの議論から、色々な立場の教派が出て来ます。以下は初期のキリスト教の中で出てきた幾つかの教義の異る立場のものです。

(WIKIの説明から抜粋)
アリウス派
 父なる神と子なるイエス・キリスト、および聖霊は全く異なる(ヘテロウシオス)とする。この説は一時、東方で支持者を得る。
ニケア公会議で異端とされた。アリウスの死後、3派に分裂しつつも皇帝コンスタンティウス2世の支持を得るなど勢力を保っていたが、カルケドン公会議で再び異端を宣告された。
ネストリウス派
 キリストの位格は1つではなく、神格と人格との2つの位格に分離されると考える。それゆえ、人性においてキリストを生んだ「マリア」が神の母(テオトコス:Θεοτοκο?)であることを否定する。(マリア崇拝が女神崇拝と結びつくことを恐れたと考えられる)
・単性説
 イエス・キリストには神性のみが存在するという思想。語源はギリシャ語で1つを意味する「mono」と本性を意味する「Physis」という言葉である。カルケドン公会議で採択された、キリストは神性と人性という二つの本性を持つという立場(両性説)によって反駁された。

他にも色々ありますが有名どころだけ。アリウス派は東ゴート、ヴァンダル族の地に、ネストリウス派景教)などはアジアの地に広まっていきますが後に消滅。単性説を採択するコプト教会派今もエジプトに存在します。
ダ・ヴィンチ・コード』などではカトリックが古代の記録を抹消したなどということを書いていますが単に上記さまざまなセクトが存在する中で、今日まで生き残り「キリスト教」の中心を為すことになった一つのセクトが自らの教義には異論を採択しなかっただけで、それ以外の上記のセクトも他教派として存在していただけで、後にイスラム教が生じ、イスラム支配の時に緩慢に消滅していったと見るのが正しいでしょう。
尚、上記を見ても判る通り、神性のみを採択しようとした単性説を退けていますので、ダビ公本はここでも何か頓珍漢なわけですが・・・それはさておき、中世ともなると、東ローマ帝国ビザンツ)を拠点とする東方教会西ローマ帝国のローマ大司教の所轄の西方教会とがシスマによって分裂します。更に宗教改革期に西方教会が数多の分派(ローマカトリックルター派カルヴァン派、アングリカン等々)に別れて今に到ります。今日は更に多数の教派に別れていますね。

キリスト教以外の人にとってこれらの違いがなにか判らないし、ましてやその違いから他者を攻撃、批判している光景ってちゃんちゃらおかしいと思うのです。つまり教義の違いから来る論争って、所謂「女の好み」とか「男の好み」みたいなもんですね。
こんな感じ↓
い「俺は巨乳が好きだ。巨乳最高」
ろ「いや貧乳こそ最高だ、お前は牛みたいなのがいいのか?」
い「お前こそ洗濯板みたいな女のどこがいいんだ?」
ろ「なにを?お前はホルスタインの乳搾りしてろ。このマザコンめが!!!」
は「ちょっと待て。巨乳ったって、色々あるよな?俺も巨乳が好きだが、流石にスイカップは・」
い「ばかいえ、でかけりゃでかい方がいいんだ。男らしくないな!」
は「いや、ヤパーリ形と質感が重要だろ?」
ろ「でか乳は俺からするとどれも同じに見えるけどな」
い・は「違う!!断じて違う!」
この後、巨乳の定義とかどこからが巨乳でどこからが貧乳なのか?等々の議論が延々続く。


・・・・・・・・・・・・・・え〜。こんぐらい馬鹿馬鹿しいと思うんですけどね。
基本的に「乳が好き」には変わりないわけで。