世間の『ダ・ヴィンチ・コード』熱に対し、ついに御大怒るの巻

テレビを見ないんで世の中がどれくらい毒されているのか判らないんですが、文学界の西洋文化知識人代表な大蟻食の佐藤亜紀先生、ついに怒りを爆発。
佐藤亜紀 日記
http://tamanoir.air-nifty.com/jours/2006/05/2006522.html
わぁ。怖いよう。
軽佻浮薄なマスゴミに怒り、カトリック教会を小馬鹿にする朝日新聞に怒り、レオナルドへの冒涜に怒っておられる。

朝日新聞が連日コラムでカトリックの怒りとやらを笑いものにしているのにもげっそりである(新聞整理してて気が付いたんだが、ほんと、連日だった)。正直申し上げて、宗教を笑いものにしていいのは当の宗教の信者だけという原則は作れんものかね(内部批判は常にあるべきだと思うし、それが弾圧された時には、それこそ世俗国家の出番であろう)。でもって日本のキリスト教信者なんてものは、全宗派ひっくるめてたった百万人(そのうち約半数は在日外国人)なのだ。話題にもならん、というのが当り前だろうに。無邪気にも、少数者に過ぎない信者を問題にしているのではない、キリスト教的発想の有害性を問題にしているのだ、とか口角泡飛ばす馬鹿もそこら中にいるが、あなた、五分でいいからじっくり考えてご覧なさい??そりゃ特定宗教の弾圧だ。

えええ?朝日新聞ってそんなこと書いていたのか。
木走兄が笑いものにするからこっちにとばっちりかよ!!!って、違うか。
まぁ朝日新聞ただの馬鹿ですから。相手にしても仕方ないでしょう。それは木走兄がしつこく証明し続けているので語るまでもありません。
しかし・・・・

レオナルドを冒涜しおって。

ですなぁ。
ガキの頃からあの「モナリザ」と呼ばれる黒い服を着たご夫人の絵を見て育った(つまり複製が居間に飾ってあった)わたくし的にはレオナルドは身近な画家なもんで、あのような軽佻浮薄な扱いはしらけてしまうのであるよ。とはいえ、絵画鑑賞にゃぁ妄想を膨らませる自由もあるわけだけど。
この辺りは今読んでる竹下先生の『レオナルド・ダ・ヴィンチー伝説の虚実』で口直しさせていただいておりますです。
因みにレオナルドに関して、竹下さんがセルジュ・ブランリのこの書を推薦しておりましたが激しく同意。ことに「レオナルドの謎」についてのあれやこれやが構築されていった過程を知るにも最適です。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチ

生涯をレオナルド研究に捧げたケネス・クラークの書もお勧め。

レオナルド・ダ・ヴィンチ (叢書・ウニベルシタス)

レオナルド・ダ・ヴィンチ (叢書・ウニベルシタス)

レオナルドに関しては、フロイト辺りが「アンナと聖母子」の絵をトンでもハイパーな見方で解説して「こ!こいつぁあ、同性愛者だ!!!」などと「精神分析」しておりましたが、レオナルドの絵というのは例えばボッティチェルリやピエロ・デ・ラ・フランチェスカのように言語化されるような言葉で語らないのでロールシャッハテストのように見る側の問題点をあぶり出すような意地悪さはあるかもしれませんね。実際、レオナルド自身「壁の染みとかって、いろんな世界に見えるよね!!!!」とロールシャッハみたいなことを壁に向ってやってたみたいです。語らぬ図像がもたらす結果を各人がどう受け止めるか的な愉しみ方をどこか持っていたかも。
「レオナルドは各人が自分自身のために作り直す、美術界におけるハムレットであり、出来る限りもっとも没我的に彼の作品を解釈しようと努力したにもかかわらず、結果は大幅に主観的であると認めなければならない」(ケネス・クラーク談)
実際、レオナルドは多くの手稿を残し、その中には絵画論なんかも含まれるわけですが、絵画というツールでは、文字言語化されないものによってなんらかの普遍の美を証明していこうとした人で、尚且つ、神の被造物である自然のなかでも、神の似姿とされる人間の造形探究にいそしんだわけで、余計な暗号とか、結社的なメッセージとかを作品に盛り込むってのは、絵描きとしてもやりたくないことだとは思います。そもそもこだわりすぎて一つの作品も満足に完成出来ないような画家馬鹿でもあったわけですし。ああいうメンタルってのは、つまり私にも内面にあるレオナルド的なモノってのがあるんですが(ボッティチェルリな文脈ならもしかしたらそういうこともやったかもしれないけど)レオナルド的感性だとそういうのは寧ろ自己の絵画世界への冒涜と見るんじゃあるまいか?などと告げるわけです。まぁこれも妄想的推測ですが。
ところでわたくしは、前述の通り「モナリザ」を見て育ったので、自分の絵画の原点がかの絵にあるなと感じる時があります。まだ学びの身であった頃、師に「絵が語らなさ過ぎだ」などと批判くらったこともありますが、冗舌な絵よりも沈黙する絵というものに魅かれる傾向はあります。極端なのではマーク・ロスコ(抽象画家、ただの壁みたいな絵を描いている)とか・・・。人物像における表情にビビっときたり。例えば先日も紹介したアントネッロ・ダ・メッシーナの「受胎告知のマリア」などにもビビッと来てしましますね。
http://art.pro.tok2.com/M/Messina/mess05.jpg
純粋にそれのみだからすごい。そういう「美」への姿勢に惚れ込むわけで。レオナルドはそういう点で実はシンプルな人であるとは思います。竹下節子さんはそういうレオナルドをバランス感覚のある人物だと評しておりましたが激しく同意。
(レオナルドに関しては、竹下センセのヴィンチ村の親父本読んでまた書きますので・・・続く)
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しかし朝日新聞。「バチカン様が僕ちゃんの中国をいじめている」から意趣返しか??????
某司教が「カトリックには恐れるようなワケワカメな修道会とか秘密結社なんかないけど、バチカン外交のほうがわけわかめで怖いと思うよ」とおっしゃっておられたがその通りだと思う。現在中国様をビビらせ中なバチカン。朝日がカトリックを笑いものにしたいのはその性ではあるまいか?などと陰謀脳を働かせてみる。ま、中国様もさっさとローマから独立して国教会でも造ればいいのにやらない辺り、バチカン様に負けず劣らずナニ考えているかわけわかめですな。