ネット村社会2 私がまだ田舎モノだった懐かしい話

以下のエントリにブクマいただきました。
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20060511/1147325233
utsutsuさん、有り難うございます。
で、kanoseさんから「 ネット パソ通時代は越境が難しかったからだと思うけど。今でいえばmixiみたいなもの。インターネットになって誰でもアクセスできるようなったから起きやすい事象」というコメントを。
そうだなぁ、パソ通時代のシステムってのは村を形成するシステムだったよね。
・・・・・・・・・・・などと遠い目をしてしまいました。
パソ通時代のコミュニティというのは細分化され、例えばニフティならニフがあってその中に、ジャンル別カテゴリがあって、カテゴリ内に幾つかのフォーラムがあり、そのフォーラム内に部屋がアリ、さらに題材があってその下にコメントがツリー状に形成されていくというあり方で、図像で言えばフラクタルゴシック建築のような様式を形成していました。パノフスキーがスコラ学をゴシックに形容したようなそういうのを想像してください。つまり、ウィンドゥズのファイル構成。エクスプローラー開けると細かい階層がツリー状にどんどんあるみたいな。ミクシィで言えば「コミュ」に相当。それ以外にパティオという小部屋があってそっちは個人の自立した部屋でしたね。)マイミク繋がりの日記とコメント欄みたいなそんな存在か?)
で、ハテナをはじめとしたブログの世界ははマックのフォルダみたいにだら〜〜〜っと様々にあるようなそんなイメージですね。適当なトコに違うジャンルのが同居していたり、フォルダの整理の下手な人のマックと申しますか。
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ところで、ニフティのフォーラム時代。当然ネットというのはトラブルが付き物で、そういうのをこれまたヲチする人々がいて、その代表格に「バトルウォッチャー」というパティオ(コミュニティ)がありました。哭きの竜さんという人が始めたパティオで、ニフティ内で起きたトラブルをこっそりみんなで観察するという悪趣味といえば悪趣味な人々の集うところでした。(ハテナの場合、そういうのはブクマを通じて観察していたりしますが、本来ブクマというのはそういう役割ではないよね)
バトルウォッチャーに関しては以下参照のこと。
◇バトルウォッチャー・哭きの竜さんの12年◇
http://tiyu.to/n0502_sp.html
とにかくニフ内で起きたバトルを影で見守るということを行っていたのですが、いつのまにかパティオ内で紛糾が起き、そのバトルを2ちゃんねるで観察されるという事態に哭きの竜さんががっくり来てついに閉めちゃったという、ちょっと情けない結末でした。このヲチ対象の中にはネット世界で(確か、はじめて)電脳バトルが裁判沙汰になってしまったという「現代思想フォーラム」というコミュニティがありました。ここは一つのネタを一年以上かけてバトルしているというすごいところでしたね。参加者がバトルに飽きないのが不思議でした。現代思想を扱うはずが目の前の即物的な事態(概ねプライバシーの問題)即ち自分自身そのものの言論が議論のネタになっている、ラカンとかソシュールとかについて議論しているわけではない現代思想のフォーラム。かなり変なフォーラムでした。(そういえばネット上のパブリックとプライバシーという問題を意識するようになったのはここの性か?)
で、哭きの竜さんにとっては格好のえさ場だったわけですが、やがて2ちゃんねるという罵倒専門、パレスチナのごとき恒常的紛争地帯みたいな場が出来てしまいヲチ対象がそっちに向ったことで、哭きの竜さんはネット上のバトルをおいかけるのが大変だと実感したようです。ニフ村の人間が都会に出てどうしていいか判らないような、そんな感じ。私自身、はじめて2ちゃんねるに行き、どんなコメントをしていいやらよく判らないまま書き込んで「オマエモナー」とか言われてしまい、がっくり来たことがあります。罵倒が下手だったようです。慣れもしないことをするものではありません。更に「バスジャックをしたかもしれない人が書き込んでいた!!!」「ここのスレの>>1が犯人みたいだ!!!」などという状況を目の当たりにして「ええええ???と、都会は怖いづら・・・・」と思った事はいうまでもありません。
今、哭きの竜さんがハテナにいらしたら喜んでブログ社会のバトルヲチブログを作ったかもしれません。でも「ちゆ12歳」さんの話では「哭きの竜」さんはニフのぱそ通フォーラム閉鎖と共に消滅したらしいです。
そういえば哭きの竜氏、ひろゆき氏のどっちもお会いしたことはありますが、非対称的なお二人ですね。非モテとモテみたいな非対称と申しますか、どちらも激しくその非対称ゆえに個性的でしたね。