『葬送』平野啓一郎:読了

あの長ったらしい『葬送』を読み終えた。
いやはや、疲れた。盛り上がりがあるようでない小説だったなぁ。
先ず、最後までドラクロワは延々絵画のことで悩み続けるだけで終了した。よき理解者の愛人との関係もお互い相手の真意を探りつつ遠慮しあうような、そういう関係性があるだけのあまりドラマチックなこともなく、しかし体力の限界を感じながらも描きあげた天井画を眺め、到達したその世界を初めて客観的に見た時の画家の感動。「天才」と呼ばれる人間の「仕事」を描いたという点で、やはり面白い小説ではあった。
他方、ショパンはとにかくサンド夫人親子に振り回されて第一部は終了。この女々しい音楽家は平野氏の手にかかるとなんだかあまり精気はないようにも感じられる。比較されるサンド夫人のあまりにもえげつない描写と比較して善良過ぎるというか。結果として面白味のない人物に感じられて仕方がない。まぁショパンはどーでもいい。ここではサンド夫人という人物を浮き彫りにしていくことが重要だったようだ。自分の価値しか認めないような独善女としてのサンド夫人。家族に対し自分こそが絶対に正しいのだという「家父長」的な振舞いをし続ける愚かな革命家。愛は既に存在しない別居した夫への侮蔑。ショパンへの侮蔑。かくして父親不在の状況を作り、子供たちに対して支配的に振舞おうとする愚かな母としてサンド夫人は描かれている。本当にそういう人物像だったのかはいささか疑問である。
とにかく第一部と第二部の読む順番を間違え、導入の方をあとに読む羽目になった性で半端な状況で読了。どうも消化不良で仕方がない。順番の性だけでなく、結局、平坦に描かれていく人物群像の描写が盛り上がりに欠けるんだろうなぁ。娯楽として読むというより、ドラクロワの絵画における悩みの方が面白かったし。それはおそらく平野氏の芸術論でもあるのだろうれど。まぁ19世紀のロマン主義的な印象、あの時代を書いてみたという点では成功はしているのか?(あの時代の小説ってどことなく冗長な印象だし)

・・・・・・・というわけで、今度はS社から貰った『哀歌』曾野綾子を読む。
こっちはすごく早く読めるんで実はもう読了してしまった。あとで書く。