社会司教委員会

タイトルみたいな委員会が靖国問題とか、神社参拝について論議しているって聞いてぞっとした。面子に社民党がいるからなぁ。
インカルチュレーションとか都会の人にはその切実な必要性など判らないのかもしれない。カトリックが超少数派の土地の実態をもっと知っておいて欲しいです。うちの島みたいにカムアウトしてるのはうちだけってのは珍しいにせよ。で、島には実は親族の中で肩身が狭い思いをしている隠れの切支丹の方とかいるんですよね。そういう方が二人ほどいる。神事に参加しないキリスト教のイメージがあるみたいで、家を優先させろと、教会に関わることを禁じられたそうです。なもんでわたくしはカムアウトしてるのを幸いに神事にも誘われれば、断らず参加しています。初詣なんかも行ったりして「カトリックっておおらかなんだね」と誤解を解いて下さる方もいますので、そういうのを水の泡にしないで欲しいものです。簡単にそういう個が自立しない社会が悪いとか言う人もいるかもしれませんが、そういう環境があるから都会では失われた善き精神性が島には存在しているという側面もあるんですね。一つの個性的な文化が守られてはいるのです。
で、みくみくを見ていたら、教会が著しく左翼化して、牧師の説教が政治組織の集会みたいな説教になったのか、とにかくプロテスタントからカトリックに移ったという人がいました。プロテスタントの場合、単立とか、教会ごとに独立しているところもあるので、政治信条が異ると居辛いんだろうな・・と思ったら、大坂教区でつまづいたという人の話が出ていた。大坂教区もすこぶる政治色が強くて左傾化している。
正直、政治信条なんてそれぞれなんで、右も左も、聖職者にも信徒にもいるだろうし、色々な立場がいるのが健全だと思うんですね。自分的にはそういう自由さを望むので政治に関しても、「愛国心」なんて言葉を条文に盛り込むとか、「共謀罪」のようなぁゃιぃものはついつい警戒してしまうんですけれど(一応、伝統主義である。小泉さんは嫌い派)自由なスタンスがとれない状況ってのが嫌いなだけなんで。
そういう意味で今のカトリック教会の左傾化というのはすごく息がつまる。正直、M裏5老司教とか、さ○球教区のT司教とかもう聖職者やめて政治家になれよとか思うし、尊敬も全然していない。ピンセットでつまんでどっかに封印しておきたいぐらいむかつくよ。
この声のでかいクソ・・・いや司教さん達の性でカトリック教会もはなはだ居心地が悪くてしょうがないです。祈りの場にいながらいちいちむかつくのは不健康だ。政治信条が一致する人にはすごく居心地がいいんだろうけど、異る人間にとっては、「どっかに移ろうかな?」とか思いたくなるほどです。とはいえ正教会聖公会も島にゃぁないうえに、来てもくれないだろうから移れませんね。幸いにして我教区の神父はそういう政治からは距離をおいて、ただひたすら司牧に徹している昔堅気のドイツ人なので、そういう思いをすることはなくほっとしています。これがもし頭の軽い左巻きの若造神父でも来た日にはいじめ抜いてやる。などと思いますよ。ふん。

・・・・・・・・・・と、昨日の中国ネタの怒りがまだおさまっていないよ。
困ったものだ。
祈りの空間から離れ過ぎているってのも時にはよくないですね。怒った時にちょこっと祈りにいけるような、ちょっと愚痴りに神父のトコにいけるような環境というのはいいですね。かといってブログで抹香臭い信仰の話なんかつっこんで書けないしなぁ。信仰ってのは自分的には個人的なものなのでこんな公開の場で「私はこれこれこのようにこう信じています」なんて書いたそばからなんとなく嘘書いてるみたいな気持になるし、信仰を分かち合うなんてのはきもいからできないづらよ。シンコー体質じゃないんだな。たぶん。

かくして、相変わらず俗まみれな日々である。