「葬送」

平野啓一郎の「葬送」を読み続けている。
ショパンスコットランドにいる辺り。ショパン像が平野の手によるものとはいえ、女々しい野郎だな。ジョルジュ・サンドの思い出に浸り切ってぐじぐじしている。どつきたくなるうじうじ性格である。革命の暴力を嫌い、革命に距離をとりながらも、サンドは好きというアンビバレント男として書かれている。まぁ音楽家にとって食えない貧乏臭い「革命」派よりは、音楽環境を保証するパトロネージが重要だ罠。
そしてそのサンド夫人はというと「革命」に失敗し大衆に裏切られて蟄居している。フェミで不倫関係の愛人多数の革命家。うーん、某赤軍派のどこぞの女性を思い出すな。(オウムみたいなものとしか思えん暴力セクトのあの女性を殊更にもちあげるマスコミも馬鹿だよなぁ。)サンド夫人は家庭面ではうまくいっていない。娘に憎まれている。この辺りはどこぞの赤軍派とは違うな。
ドラクロワはあまり動かない人として書かれている。自己の芸術が革命によって壊されることを悲しみ、革命にたいし冷ややかである。そういえば東京芸大はあの学生運動の時にノンポリを貫くためにバリケードを造って東大からの運動家を阻止したという話を絵の師匠から聞いた。絵の師匠は学生運動まっただ中の世代だ。ど真ん中の団塊
私も絵描きなので「革命」を取巻く暴力行為が嫌いである。思想によって、そこに存在するなにかを廃棄したり破壊してもよいという発想が嫌いである。文革フランス革命もろくでもない破壊者が登場する。エミール・マールの書物なんぞにも、文句がたびたびでて来るけど。
犠牲になるものがいて当然的な破壊行為はむかつくだけだな。概ねそういうのは反発を産むので利口ではないと思うよ。
・・・・・・・・・・などと、だらくさと「葬送」を読みながら過ごす。