過激な恋愛論5 ヨーロッパ中世の生理学

uumin3さんが江戸時代の武士の房中術についてのエントリを挙げてくださいました。
○uumin3の日記
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20060330#p1
■[宗教] 武士道とは精液を保つことと見つけたり
中国道教の房中術のなかに「精を漏らさず」というものがありました。これは体内における煉丹術で、精をもらさぬ性交を重ねることで、仙人を目指すというシロモノですが、これを応用して独自の思想を生み出した武士の話が紹介されています。
転じて西方ヨーロッパでは、性交は生殖の為に行われるものであり、快楽もまたそれに結びつけられて考えられていました。道教のような精神性を高める存在としては捉えられてはおりませんでした。肉体と霊(精神性)という二つの概念が存在していたからですね。その関係性についてあれやこれやと想像を巡らせ様々な論が展開されていったようです。ことに「快楽」の問題は重要だったようです。これは「罪」の問題が絡むからなのですが、夫婦間の生殖に於いて引き起こされる「快楽」の問題を数世紀にわたって多くの学者が真面目に論じていたというのですから「馬鹿」としか言いようがありません。

12世紀の学者ギョーム・ド・コンシュによると、妊娠するには女性が快楽を感じなければならない。というのは、快楽を感じることで女性の精液が排出され受精が行われるからである。しかし金の為に体を売る娼婦は行為の間なんの快楽も感じないので、精液の排出もおきないし子供を宿すこともない
「快楽の中世史」ジェン・ヴェルドン 原書房 p45-p47

いやはや、なんというか粗雑な・・・・。
ここでいう女性の精液とは要するに卵のことなのでしょうが当時は「卵」の概念はなく、上記の思想では女性は男性同様の「精液」を持っていると考えられていたようです。また「快楽」とは「精液が放出される際におきる現象」と考えられていたようです。
上記の説に対しアリストテレス学説に立つ学者達は、いわゆる胚の形成における女性の「精液」の役割は大きくない。つまり「女性の精液の排出ー快楽は妊娠するために欠かせないものではない、」つまり女性側の快楽は妊娠するしないに関わるものではないのであるから、女性の快楽を省みる必要はない。という結論に達したようですね。
これらに関して、ドミニコ会アルベルトゥス・マグヌスは経験豊かな女性達に調査を行っています。まぁアンケート取ったんでしょうね。その報告から「女性が妊娠するには、子宮が射精後の精液を引き寄せ、受胎するまで留めおけば充分である。その為受胎は新たな射精なしに、つまり快楽なしに起きることがあるのである」などと結論つけたようです。
まぁ、内容がどうという以前に、こんなことを真面目に考え続けた学僧達って・・・・。とは思いますね。
とにかく中世ヨーロッパの坊さん世界において「精液」「快楽」は「生殖」に不可欠なものではあるが、女性においてはただ受ける器的なものとして考えられていったようです。
転じて、世俗の医学者達は「性交」についてどのように考えていたかと申しますと、

聖職者と異なり医者達は、性交をなによりもまず健康であるための決定的な要素とみていた。13世紀の無名の著者によると、多くの男性が性交を望むのは快楽を感じたいためであって、息子をもうけたいからではない。
(同書 p48)

普通だ。当り前と言えば当り前過ぎる。
(ちょっと小休止)