装飾画家

ヨーロッパ中世はまだ印刷術がなかった。だから本というと手書きである。羊皮紙にイカ墨のインクで描いていくんだが、作業としては大変である。たいてい修道院の写字生が行う。修道院によってはこれが大切な収入だったりする。印刷がないので、目的の本がある修道院まで行って書き写したりする。そういう光景は『薔薇の名前』にも出てきた。
貴族や偉い坊さんが所有する本、或いは寄贈される本は特別に装飾が施されたりする。これらの装飾は装飾画家が担当する。修道士などの手によって本文が写されたものを受け取りその空白に絵を埋めてゆく。挿絵画家は依頼されると依頼主の修道院に住み着き、そこで作業をする。昔は明かりなんぞ貧弱だったので昼間の作業となる。でだしの文字などは特別な装飾が施される場合が多く、装飾写本の古書店ではこれらの文字を切り抜いて売っていたりすることもあったらしい。
書はパーチメントと呼ばれる写字用に整えられた動物の皮に書いていく。子牛の皮を持ちいたものはヴェラム紙などと呼ばれるが。とにかく植物繊維で漉かれた「紙」より遙かに嵩が張るので、本自体がすごくでかくなったり、分厚かったりする。観想修道会などでは食事時に詩編を朗読するという習慣があるが、この朗読用の本はとにかく分厚くて重いものが多く、私が南仏で見たのでは30キロなんてのもあった。これらを運ぶ作業は罰当番だったらしいと聞いて笑った。そういえば映画『薔薇の名前』のラストシーンで、燃え上がる図書館の上空を紙が舞う光景が在ったが、あんな燃え方をしたんだろうか?ありえない気もするが。
面白いのは内容と関係ない変な動物やら、或いは修道士達の生活などを絵にしたものなどが描かれたりすることもあり、うっかり本文から抜け落ちてしまったセンテンスを挿入する為に、下の空白に描かれた文字列から植物の蔓が挿入すべき該当個所まで延び、その蔓をよじ登っている人物がその個所を指し示しているなどというユーモラスなものもある。得体のしれないドラゴンや、魚の化け物などが描かれたものもあり、モアサックの柱頭彫刻やガーゴイルを見て、ぷんすか怒っていた聖ベルナールにしてみれば困ったことだろう。その彼のシトー会所有の書にはこうしたユーモラスな挿画が残るものが多い。創設者の理念はどうもあまり継承されなかったようだ。
時代が下がるにつれてこれらの装飾はどんどん複雑になり華麗になっていく。国際ゴシック様式の時代の装飾写本はその頁そのものが芸術だったりする。有名な「ベリー公の時祷書」などは「いとも華麗なる」などと修辞がついた名で呼ばれたりする。その修辞が示す通り豪華絢爛な書である。ヴァン・ダイクやベアート・アンジェリコといった初期ルネッサンスの画家達もこれらの写本の挿画を手がけていた。写本で修業を積んでのち一人前の画家になるというステップがあったのかもしれない。フィリッポ・リッピなんかは駆出しの頃にデッサンの狂いまくったフレスコ画なんぞを残しているが、彼も装飾写本などを扱ったことはあるのだろうか?ルネッサンス期辺りになると印刷術が発達してくるとはいえ、印刷されたものにやはり装飾するってのはまだ在ったはずなのだが、その手の書の話はあまり聞かないなぁ。どうなったんだろう?やはり中世の流行ものだったのかな?
「これらの画家は今でいう処のイラストレーターだね」「同業者じゃぁないか」などとS社の編集と電話で話していた。編集さんの話では、現代、これらの写本の修復家が多数いて、彼らは分業でその作業に取り組んでいるらしい。青、概ねラピスラズリという準宝石を用いるのだがそればかり塗っている修復家もいるらしい。色で分業されているというのは驚いた。金箔係とか大変そうだ。常に息詰めていなきゃいけない作業だもんなぁ。空気の動きのある部屋ではまず作業が出来ないし。