孤独ということ

まぁ、前のエントリから更に。
家族の中で孤立して不安だったり、苦しんでいるのに気にかけてもらえなくて淋しかったり、そういうのはすごく淋しいと思う。
うちの父なんかなんというかやっぱり自己中な僕ちゃん体質で、師匠以上にすごい。人が苦しんでいるとか全然気付かないうえに、風邪を引いてようが熱があろうが「飯を造れ」とか「洗濯を何故しない」とか言ってくる。母はよく持ったなぁと感心する。先日も母はもう重いものを持ってはいけないと言うのに、父は自分のボストンバックだけ持ってさっさと行ってしまい、母が父と自分のゴルフバックと自分の荷物とを持ってタクシー乗り場まで向かわなくてはならなくて、それで身体の調子を崩し、家に帰ってから咳をしていたら「なんだそれは?」と怒られたらしい。いやはや鬼畜な夫としか思えんのだが、これが単に本当に相手の苦境に気付かないというか、愛情がないのではなく、鈍いだけ。寧ろ母をすごく(気持の中では)大切に思っていたりする。だから母の怒りが爆発するとおろおろしていたりする。実は一番母に弱い。こういう変なひとも世の中にはいる。とにかくまぁこういう人だと一緒にいると色々むかつくのではあるが、父なので仕方がない。年齢も年齢だけに治らないと思うので諦めている。母も達観しているのと、やはりどこかで自分のことを実は大切だと見つめている父を知っているから、持っているんだろうと思うけど。
だから大変な関係だとは思うけど、私などは羨ましいなぁと眺めてしまう。どっちの愚痴も聞かされるけど、それは結局、愛情の裏返しゆえだったりもするわけで。
私の場合、昔の好きだったひとには、その視点の先には別の人がいたりしてそれを横から眺めていることが多かった。ずっとその人の愚痴なんか聞いていたりした。その人は私しか頼るものがなくて私の元に来たものの、その別の人への思いが常にあることを知っていたので、それはすごく孤独だった。結局なにも語らずに往ってしまったのだが、以来、臆病になってしまった。誰かを好きになっても、少しでも別の人の影が見えるともうそれで臆してしまう。それだけで激しく孤独になって落ち込んでしまうので、それ以上のことは諦めてしまおうと自分の中で完結させて逃げてしまったり。そんなことをしているうちにまぁ恋愛ベタになってしまったのか、恋人という存在が出来なくなってしまった。友達は出来るんだけど、恋人が出来ない。ただでさえ滅多に人を好きにならないのにタマに好きになってもこの調子なので自業自得の淋しさなわけだけど、最近、世の中の人はどうやって同伴者を見付けることが出来るのか不思議だと思ったりする。昔は容易く出来たことが今は出来なくなっているなぁと。結局、いいかげんトラウマを克服しないといけないとは思うんだけど。
まぁ、そういう自爆型、孤独ってのもあります。世の中色々あるということで。