表現することとは

わたくしは一応、絵描きである。なんらかの思想なり考えなりを視覚伝達する行為が生業である。ものを作るにあたって無から創造しなくてはならないわけであるが、結局は自らの経験。おかれた環境に左右されることはいうまでもない。自らがある社会共同体にいて、その共同体の誰かに向かって作品を通じて語りかける。作家にしても音楽家にしても、創造行為をする人間というのは受け取り手をある程度は想像して制作する。
ここで「伝達」という関係性がある。
作家は「何故、誰に、何を、どのように、伝えるのか」ということをたえず自問する。何を伝えるか?言いたいことは山のようにある。なにかに感動した、なにかに憤りを感じた、悲しくてたまらないその心情、辛い思い、或る種の法則性を見いだした、あることの本質を掘り下げてみた、発見をした。色々あるだろう。それらを今度は誰かに伝える。どのように?ということでそれぞれの芸術家は自分なりのlogosー音楽であったり美術であったり言語であったり映像であったりーを駆使して伝える。ここでの表現世界は無限であり、人間の知覚に訴えかけるあらゆる方法論、あらゆる思想、それは芸術家の手に委ねられる。この世界でクリエイターはまさしくー彼、ないし彼女の限定された世界ではあるがー唯一神となる。ここでは芸術家本人が法の施行者であり、国家である。
しかしクリエイター世界には場合によっては世俗的な倫理、法とぶつかる場合もある。
ただこの場合、独りよがりな、誰の共感も得られない場合において、その作品はただの屑である。粗大ごみだ。やはり受け手がどれだけその作品に共感してくれるのか?が問われてくる。だから「どのように?」という手法に悩むことになる。
「なにを?」という場合、その思想によっては圧制に対抗しなくてはならない。あるいは無知なる大衆に対抗しなければならない。完全に孤立する場合もある。過去にはゴッホルノワールといった今は評価されている画家でも、酷く辛酸をなめたこともある。ゴッホは死んでのち評価された。あるいはピカソゲルニカのように母国の政治を訴えざるを得ない作品を描くこともある。政府に反発し死を受け止めざるを得なかった作家もいる。あるいは政府のプロパカンダとして使われながらも、それを越える普遍の美を探求しつづけた写真家もいる。いつだって芸術家はその世界と関わりながらも、最終的にその世界を一人で守り抜くしかなく孤独だ。

たしかに芸術作品はなにか社会に対し訴えたいとするときに、場合によっては受け手を怒らせることもあるのは当然なわけであるが、今回の風刺画とマスコミの対応は、元の作品もそれがなにかを通りこして普遍へと昇華されるほどには他者の琴線に触れる代物ではないし、マスコミも「連帯」などしてまぁチキンな雰囲気このうえない。「表現の自由」を叫ぶにしては、なんだかぬるくてそれに値しない行動に表現者としては「どうもなぁ」と感じるわけですよ。
(マイノリティという問題を敢て度外視しての話ではあるが)イスラム側も国境を越えて数を頼みに圧力を加えていく光景や、暴力を伴ったりしているといういつものパターン辺りにいたってはもうどうしようもないとは思うが。それでも欧州のマスコミに同調出来ないのはその甘さゆえだ。
◆◆
今回の整理でもしてみる。
色んな問題があるので箇条書き。

表現の自由について
→上記に述べたことに尽きる
●政体の中に於けるマイノリティ
→初動の時点においてデンマークムスリムはマイノリティであった。
●移民の問題
→移民とは国内に別な文化の人間を抱えることである。
●西洋合理主義の限界、近代主義の限界
→日本においてもそうであるが、これが至上のものと思う事は歩みを止めることである。
●宗教のタブー
→世の中には、敢て触れてはならないものがある。
 一度、破壊されたものはもとには戻らない場合がある。
 イスラム社会には敢て近代を取り入れないことで守ろうとするものがある。
●国家とそれと重なる共同体
→国家の一員となる以上、
 その国家の中に於いて解決しないとややこしいことになる場合がある。
 外部の圧力を頼みにするのは容易いが確実に溝を作る。「互い」の譲歩も重要
●弱者対強者
→経済世界におけるこれらの対立は難しすぎる。
 経済面だけではなく、前提により多くの場面で立場が入れ替わる場合もある。
●無知
→相手への無知こそが暴力に繋がる場合がある。

今日の我々の世界に足りないものは、畢竟「愛徳」の精神ではないか?ギョーカイでいう処の「カリタス」と訳される精神。
これは相手への想像力から始まる。東横インの社長もこれが足りん。姉歯一派もいずれその建物に住むであろう住人へのこれが足りん。大峰山に登って顰蹙を買った運動家もこれが足りん。他者への想像力の欠如という現象があちらこちらで起きているのはなぜか?自己の権利や都合ばかりが目に付き、配慮が無くなっている。殺伐とした世界になって来ているのが嫌だな。

○KIYONOBUMIE
記事クリップ??ベネディクト16世教皇勅書
http://d.hatena.ne.jp/kiyonobumie/20060125
それから教皇は、「愛徳・慈愛」(charit?)という言葉の重要性も強調している。これまた現代社会において「けがされている」言葉のひとつだと彼は認識している。かつてマルクスは、教会の唱える「愛徳」は社会の正義とは別物だと看破し、これを批判したのだが、教皇はこの議論を退けている。ニーチェマルクスという、近代における反キリスト教の代表的な二論客を批判しながら、キリスト教的な愛のあり方を擁護している格好だ。

教皇は「愛徳」の概念を「正義」に近づけ、これらが今日の政治行動に欠かせないものだという。愛徳の精神に根ざした教会の活動や人道的な支援活動を積極的に奨励する一方で、政治的措置が正義とともにあるよう求めている。「教会にとって、愛徳は、他の所に任せておけるような一種の社会福祉ではない。愛徳は教会の本質そのものに属しているのである。愛徳は教会の本質そのものの表現であって、それを諦めることはできないのだ」。

まさしく今必要なのはこれか。
ラッツィ頑張れ。

○karpos
http://d.hatena.ne.jp/karpos/20060209/p1
■[心] 仲裁
イスラム教徒が、カトリック教皇に「何とかあなたも一言発言してくださいよ、こんなんじゃまずいでしょ」と支えを求めていたという・・・。宗教による戦争が取り立たされることもあるが、こういう話は、宗教による仲間意識というのも生まれるんだという可能性を示す一面か?

一応、平和を愛するフランシスカンとしては、目が離せませんです。

イスラームの世界観とムスリム少数派」中田考先生の講演
http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/lecture3.html
現在のわれわれの憲法にあるような人権の概念は、おおざっぱにいうと二つの流れがあって、一つはアメリ憲法の流れであるといってもいいと思います。今のブッシュ大統領の言説を、私たちは新聞その他で見られるようになったので、彼が非常に宗教的であるということが一般の人にもわかるようになりました。それは彼だけではなくて、そもそもアメリカというのは非常に宗教的な国なのです。そのことは同志社大学神学部長の森孝一先生が御専門であるわけですが。あれが本当のキリスト教の教えに則っているのかどうかは別問題として、少なくともブッシュ大統領本人が、自分はキリスト教の教えに則って物事を進めているのだと思っていることは疑いないと思います。
 それは今の話の流れのなかでいいますと、人権というのは神によって与えられたものなのだと。人権があるというのは、神が与えたからあるわけです。このことはアメリ憲法のなかに明示されています。人権というのは神から与えられたものなのである。それゆえに永遠のものであって、普遍性をもつものである。これが一つの流れです。言い換えると、人権というのは神の意思であるわけです。ここで意思という言葉を使ったのは、先ほどの権利という言葉は、事実としてあるものではなく、人間が幸せに生きるべきなのである、生きる権利があるといった場合、それは必ずしもすべての人間が幸せに実際に生きていることを意味していません。実際にはそうではない人間がいっぱいいるわけです。そこで権利があるということは、そういうものを望ましいと思う意思の問題に最終的には帰着するわけです。そのときにその意思は誰の意思なのかということです。それが神の意思すなわち神意であるといった考え方の流れになるわけです。
 これとは反対に、それは人間の意思であるという流れがあります。われわれはそれを望むのである。人間というのはそういうものであって、そういうことを望んでいるのだ。それは人間の本性なのだという考え方です。これはとくに神をたてないわけです。これは歴史的にはホッブス、ロックというイギリスの社会契約論の思想家、それからルソーからフランス革命の人権宣言に至る流れです。この流れは神をとくに必要としないわけです。もちろんキリスト教が背景にはあるのですが、明示的にはそうではなくて、人間というものが価値の源泉であるという考え方です。
 日本の憲法、人権の流れはこちらにあるわけです。といいますのは、日本の憲法アメリカの占領下でつくられましたから、アメリカの大きな影響を受けています。しかし、日本はキリスト教の国ではありませんので、権利は神から与えられたというような言葉を入れる余地がないわけです。ですから、その部分は日本の憲法を読むと曖昧で何も書いてないのです。人権はありますと書いてございますが、なぜあるのかという根拠の部分が曖昧なままに残されています。要するに、超越的なそういう背景がないので、人間のこの世界で完結させるしかなく、そういう流れになるわけです。
 要するに、人権の概念にはそういう歴史的な背景がありまして、日本はホッブス、ロックの流れを汲んでいます。なぜこういう話をしているのかというと、いちばん最初に申しあげたとおり私は思想史を勉強していますので、概念というのはどの概念にしても歴史的な制約を負っていると考えます。どの時代にも、どの民族にも、どの文化にも共通するものというのはないとはいいませんが、非常に少ないものであって、たいていの概念は歴史の制約を受けています。その意味で、人権という概念もあくまでも近現代のヨーロッパの文脈のなかで生まれた概念であって、けっして普遍的なものではなく、イスラーム世界にはまったく別のものがあるということをいいたいわけです。
 それはイスラームに特殊な話ではないのです。私はイスラームには人権という思想が基本的にないと思っています。今のような前置きの話をせずに、そういうと、あっ、イスラームには人権がないのか、なんと野蛮な宗教か、そういう反応が返ってきたりしますので、今まで延々とお話をしたわけです。今いったような意味で私はイスラームには人権がないと思っています。それはイスラームだけではないわけです。
 人権という概念は非常にヨーロッパ的なものですので、それ以外の文化圏にはもともと存在しません。いいのか悪いのかではないのです。それは人権がないというのではなくて、人権があるともないとも、そもそもそういう考え方が存在しないのです。それはイスラームだけではなくて、それ以前のキリスト教にもありませんし、ユダヤ教にもないし、仏教にも儒教にも道教にも存在しないのです。そういうものが存在しないのです。ただし、現代の日本語のなかには人権という言葉が入っていますし、世界観のなかに組み込まれているので、われわれが古典を読んでいくと当然それに似たものはあります。アラビア語の書物でも、現代の日本語に直すと人権と訳せるものがいくらでもあります。その対応物があるわけです。その話をいたしまして、似ている部分と違う部分、その両方のお話をしたいと思います。(以下略)

eireneさん経由で知った中田氏の論考。「人権」という問題についてヨーロッパ法治国家下における人権と、イスラムをはじめ他の世界の「人権」の定義の差異。今回のずれのヒントがここにもある。アメリカとヨーロッパにも差異がある。

●関連ブログ
○uumin3の日記
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20060209
ムハンマド風刺画問題について、イスラムという社会そのものとはなにか?
 幾つかの主立ったニュース等の考察
○eirene
http://d.hatena.ne.jp/eirene/20060209
ムハンマド関連資料、リンク等の紹介、及び考察。
 eireneさんはかなり早くからムハンマド風刺画問題について追いかけているので遡って下さい。
○Emmaus’
http://d.hatena.ne.jp/Emmaus/20060209/p1
[考察] 多元的共治と人間尊重
→多数の価値が共存するということの様相、共存とは?

▼ヘッドライン
ムハンマド風刺画掲載のデンマーク紙、3年前キリスト風刺画掲載を拒否
http://today.reuters.co.jp/news/newsArticle.aspx?type=worldNews&storyID=2006-02-09T132023Z_01_NOOTR_RTRJONC_0_JAPAN-202675-1.xml
ダブスタかよ?!
 デンマーク紙は唯一ネ申又吉イエスに地獄の劫火で焼いてもらった方がいいと思われ。
 根底に透けて見える無意識にイスラムが怒るのは当然である。
○「関係者殺害に金百キロ」 風刺漫画でタリバン
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060209-00000005-kyodo-int
→出たよ。たり番。どこにいたかと思ったら。
 やれやれ、同朋を苦しめる結果になるというのに。というかおまいらの性でムハンマドが・・以下略。
イスラム教侮辱は「犯罪」 国連人権理決議案で対立
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060209-00000149-kyodo-int
→国連の場でムハンマドネタに賭け引きが。
○英大使館に投石、当局黙認か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060209-04240637-jijp-int.view-001
→英国は紳士的に振舞ったのに・・・・イスラム側にも問題あり。
○仏2紙が風刺漫画を掲載、シラク大統領が非難
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060209-00000002-yom-int
→マスコミの暴走止まらず。シラクは苦境。
○宗教保守派が米政権に反旗 「神の地球」温暖化防げと
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060210-00000205-kyodo-int
→この騒動のどさくさに発見。アメリカのプロテスタント福音派がブッシュに文句。
 ムハンマドには関係ないけど宗教>政治関連。
 これに関してはブッシュは批判されていいとは思う。
○【中国】ムハンマド事件:香港でイスラム教徒がデモ計画、暴力回避か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060210-00000004-scn-int
→中国までやって来ました。全世界同時デモ。トロツキーもびっくり。
預言者風刺画は「無神経で侮辱的」=国連総長、メディアに自制要求
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060210-00000045-jij-int
国連総長も青筋立てて激怒。メディアっていったい何なんだろう?
○イラン、ムハンマド風刺画問題でスペインに助力要請
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060210-00000817-reu-int
→スペインは中立?流石融合文化を持つ国だけある???