表現の自由と文化的価値の相違

イスラム関連を相変わらず追っているが、先ず見られるのが意見として「文明の衝突にしないでくれ」というもの。でもどう考えても価値観の相違からくる現象の一環ではあるわけで。つまりこれは単なる表現の自由と信教の自由の問題だけではなく背景にはイスラム移民を多く抱えるヨーロッパの戸惑いと、アメリカ的、あるいは欧米とひと括りにされるグローバリズムに対する、イスラム社会側の不信とがもともとベースに在ったがゆえに騒ぎが拡大しているという印象。畢竟やはり文明というか文化の衝突の構造であり、これはなにも大袈裟なことではなく、又イスラムなどの問題に限らず、我々の身の回りにも見られる現象でもある。
また「イスラムが不寛容」などという批判も散見出来るが、そうではなく、寧ろ逆なんじゃないのか?という気がしなくもない。つまりリベラルを気取る側の不寛容さというものがあるということを散々述べては来た。
表現者として、表現するものに対し制約があるというのは馬鹿げている。ことに何かを訴えたいとき、あれもダメこれもダメというのは嫌である。日本に於いても公共的な印刷物におけるタブーは異常に多い。創る側が自主規制してしまう場面のほうが多い。
日本には被差別部落の問題があり、かつて、これら被差別部落の人々を差す言葉として「よつ」などという隠語があった。これらはさげすみをもって使われる言葉であり当然NGワードとなるのだが、過剰な表現の自主規制は人間表現における4本の指をタブーとしはじめる。被差別部落の運動家はけしてそのような意味不明な批判や要求はしていない。あくまでも意図が差別を以て、あるいは差別を喚起するものとして用いられた時に抗議するのである。しかし企業や出版社は抗議されること自体を恐れ、通常の人物画における指の数までを問題にした。かくして企業の仕事等をするとこの手の変な制約で没になることが多かった。
デンマークムハンマド肖像画の件もことの発端はこういう背景であった。
しかし、ここで重要なのは「対象そのものを描く」のがいけないのではなく、対象を差別的に扱う、冒涜する、悪意を持って描く。といった時に生じる。掲載されたムハンマドの肖像は単なるムハンマドの姿ではなくムハンマドを引きずり降ろすような、揶揄に満ちた描き方がされていたのである。「ムハンマドは果たして描いてはいけないのか?」という問題では既になくなっていたわけである。
風刺画というものは難しい。ピーター・ブリューゲルの絵には多くの障害者が登場する。「盲人が盲人を導く」という慣用句をそのまま絵にしたものもある。これらの絵は今日では表現の自主規制に引っ掛かるであろう。弱者を笑いものにするというのは通常忌避すべきものとして倫理的に排除される。風刺画において揶揄されるものは大抵は権力者、強いもの、もしくは敵対する存在である。
社会のマイノリティであるイスラムの人々を多く抱える社会において彼らの心のよりどころであるムハンマドを風刺画として描くということが、例えばイエスですら揶揄して描いているのだからいいのだ。ということにならない状況は、結局、それがマイノリティの問題を克服しきれていないからであり、そういう状況下で風刺するというのは単純にやはり拙い。社会共同体の一員としての彼らの信頼を得てはじめて出来るワザではあろうが。
しかし少し踏み込んで考えると、例えば私などはやはり日本においてマイノリティであるキリスト教徒だ。正直日本に於いてイエスが冒涜的に描かれているモノは多く、我々にして見ると、悲しくもなる。多くの誤解、無知、揶揄に晒されてはいるが、しかしまぁ正直そう見られても仕方ないだろうという意識がどこかに働く。つまり批判慣れしてしまっているのであるが、やはりそれは違うんじゃないか?という時は意見を言いにいくし、こういう場でそういう主張をしてみたりする。それで納得してもらえなくても、まぁいいか、いつか判って貰える。と諦める。数を頼みにして圧力をかけるという行為には及ばない。どこかで醒めきってしまった感覚がある。ただ、イエスを冒涜的に描かれようとそれを宗教的タブーと見做さないのはおそらく画像というもの自体を畏怖しないからであり、これは聖像を破壊されようが同じでもあり、そのもの自体に神秘的な意味を見いださないからである。それ自体は単なるツールに過ぎない。だから必要以上にタブー視することがない。キリスト教的文脈ではそのようになる。それがキリスト教の考える偶像崇拝問題への有様ではあろう。

しかし、いまやアフガニスタンにも東南アジアにも飛び火したらしく、どうしてそうなっていくのか不思議ではあるが、論点は表現の自由と宗教的タブーの戦いではなく、今度は欧米対イスラムに変わりつつあるようだ。こうなるとことの発端の是非などどうでもよくなっているんじゃないか。
しかし、イスラムの人々は元気だなぁ・・・・。

バチカン放送局
http://www.radiovaticano.org/japanese/japnotizie0602a/japcronaca060204.htm
教皇庁「人類共存には相互尊重必要」
宗教風刺画問題で
(2006.2.4)

 イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を欧州の新聞社らが掲載した問題で、教皇庁は信者たちの宗教的感情を害するために表現の自由が主張されるべきではないとの声明を、広報局をとおして発表した。

 「人権宣言に裏づけられた思想と表現の自由は、信者の宗教的感情を侮辱する権利を含まない。これはあらゆる宗教について言えること」とするこの声明では、「人間の共存は、民族と国家間の平和を促すための相互尊重を必要とするもの」であり、「他者に対するある種の行き過ぎた批判や嘲笑は、認容しがたい挑発ともなりかねず、このような道は民族間の傷を癒すことにつながらない」とも述べている。

 また、一方で「ある個人、ある報道組織からもたらされた侵害の責任が、そのまま関係国の公共機関に負わされることはない」とし、「暴力的な抗議行動は遺憾」であり、宗教の真の精神を欠き、平和への脅威ともなりうる不寛容を、どちらの立場においてもあってはならないものと訴えている。

バチカン様もマスゴミに文句。
あと「暴力で訴えてはダメ」と、無難な声明。
しかし4日の時点で声明出しているのにマスコミはこういうのは伝えないんですね。

ムハンマド風刺漫画-なぜイスラムは怒るのか 
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kok/20060208/mng_____kok_____004.shtml
デンマーク紙がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画を掲載した問題は、欧州紙の再掲載を受けてイスラム教徒の抗議行動が各地で拡大、事態は悪化を続けている。なぜイスラム教徒は怒り、抗議が収まらないのか。イスラムスンニ派最高学府アズハル(カイロ)の宗教間対話委員会代表、ファウズィ・ザフザフ師(73)に聞いた。 

  (カイロ・萩文明)
??なぜムハンマドを描いてはいけないのか。
ムハンマドを含む預言者たちに神は特別な地位を与えた。顔を想像して描くことは、預言者たちに特定のイメージを与えることにつながる。結果、描写により預言者への敬愛が徐々に薄れることになる。私たちはこのドアを開けるべきではない。これがイスラム教の基本的な考え方だ」
 ??顔を「描いたこと」が問題なのか。
「善意で肯定的に描いた場合でも容認はできないが、そうした例は過去にもあった。その都度、対話を通して私たちの考えを主張し、平和的にお互いの理解に達することができた。今回は預言者を爆弾テロリストに見立て悪魔のように描いた。ムハンマドを信じる全イスラム教徒がテロリストだという悪質なメッセージと、われわれを傷つける意図を含んでいる。見た瞬間、私も嫌悪感を抱き『反イスラム勢力があらゆる機会を利用して私たちを侮辱しようとしている』と感じた」
 ??掲載紙は「表現の自由」と主張している。
「表現や信仰の自由の大切さは認める。だが信仰の自由と、信仰に関する表現の自由は別だ。信仰に関する表現が信徒を傷つけてはならないことは国際社会の常識だ。今回の事態は表現の自由とはまったく別次元で、悪質な冒とくだ」
??欧州人の拉致や大使館への放火など暴力的な抗議が続いている。
「賛同しない。暴力は何も解決せず、イスラム教への誤った印象を強めるだけ。私たちは暴力や脅迫に訴えないことと、デンマーク製品の不買運動を呼び掛けている」
 ??デンマーク紙は一月末に編集長が「謝罪」した。
 「あれは謝罪ではなく単なる遺憾の表明だ。私たちは飾りのない真剣な謝罪だけを求めている。それがあれば聖職者は『終わり』と呼び掛ける。それが、事態解決への唯一の道だ」
 ??ならば政府への謝罪要求は筋違いでは?
 「デンマーク政府への要求は風刺漫画への謝罪ではなく対応への謝罪だ。問題視しているのはラスムセン首相がアラブ・イスラム諸国の大使の面会要求を拒絶し、掲載紙を擁護したこと。首相の立場は理解する。例えば首相が『政府は表現の自由に介入できないが、他者を傷つける表現をすべきではないと思う』といえば、問題はここまでこじれなかった。首相の対応も怒りを増幅させた大きな要因だろう」
??イスラム社会と西欧の対立なのか。
 「違う。キリスト教有力者も私への書簡で『風刺漫画は表現の自由の原則をねじ曲げている』と述べている。米政府や英紙などは私たちの主張を理解しているし、英BBCも放送で漫画部分を隠す配慮をしている。これが知恵だと思う。西欧対イスラムではなく、西欧の一部の問題だ。(欧州紙の転載は)編集長更迭など代償も払っており一概には言えないが、最大の問題は依然、デンマークにある」

イスラム指導者からの主張。
やっぱり、あのトルコ人に殺された神父はかわいそうだなぁ・・・・。
●風刺画関連ブログリスト
リンクして下さった方がいたので、他のブログを色々みて来た。読んで面白いのがあったら、みつけ次第増やすつもり。
小林恭子の英国メディア・ウオッチ
(URLは敢て記さない。理由は以下の通り)
デンマーク風刺画 英風刺画家はどう見たか?
→このエントリだけではなく遡ってかなりの情報が載せられている。
 情報量では一番多いのではないか?

*当該ブログには問題画像へのリンクがあり、この時点でそれを掲載しているブログの是非は如何か?ということを、文野さんからご指摘を受けた。小林さんの意図はムスリムへの告発ではなく寧ろジャーナリズムの問題を探求しているがゆえに、多くのメディアの意図とは違う。問題はあくまでも「意図」なのだ。しかし当該画像についてムスリム側からの「嫌悪」が上記のようにある。その為、削除ではなく、ブログタイトルを記すに留める。

○Living with the Sun
http://blog.livedoor.jp/chau07/archives/50358430.html
表現の自由と宗教
→同じようなことを考えておられる方がいらした。
○KIYONOBUMIE
http://d.hatena.ne.jp/kiyonobumie/20060205
マホメットカリカチュア事件
→かなりまとまった推移。判りやすい。
○ダイアスパー 〜 ここには全てがあり、そして多分何も無い 〜
http://daiaspar.seesaa.net/article/12882989.html
キリスト教徒の傲慢、イスラム教徒の短慮
→おお、ガンヲタさんだ〜・・・・・・と、
 キリスト教の性にされているですよ・・・・・・・_| ̄|○<やっぱり
 こういうものの見方も多いので困る。ある種その通りでもあるのだが、微妙に違う。
○やぶにらみトーク
http://blog.livedoor.jp/hontino/archives/50404561.html
ムハンマドマホメット)の風刺画騒動の拡大は?
→こちらもキリスト教イスラム
 「キリスト教徒はイエスとかマリアを描かれたらどうよ?」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・との疑問。
 お答えしましょう。自らやっている人たちが沢山います。→例「モンティ・パイソン
 まぁ「ヘルシング」愛読者、「女神転生」ジャンキーだった私にとっては屁でもない。
○木走日記
http://d.hatena.ne.jp/kibashiri/20060207
[与太話]日本一わかりやすい朝日社説の解説を試みてみる
→今回の風刺画騒動が見事に風刺されている。風刺というのは本来このような高等戦術なのだ。
佐藤亜紀日記
http://tamanoir.air-nifty.com/jours/2006/02/200526.html
ムハンマドカリカチュア事件について
→得意の毒舌で欧州の「無神論者」をすかっと切って捨てている。
 佐藤亜紀を怒らせると怖いんだよ。
内田樹の研究室
http://blog.tatsuru.com/archives/001547.php
原理主義と機能主義
→正しいか正しくないかの問題ではない。どっちが馬鹿かってことか。
 とはいえ手打ちをどこでつけるかにしては、どんどん大事になっている。
 こうなると落とし所はどうするかが難しくなる。
○uumin3の日記
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20060208#p1
[宗教」 ムハンマド風刺画について1
→今回の問題となった「ムハンマドの肖像」に関して取り沙汰された
「聖預言者ムハンマドは描いてはならないのか?」への回答。
○eirene
http://d.hatena.ne.jp/eirene/20060208/p1
[思想]ムハンマドの漫画 4
パレスチナ問題にみる欧州の態度との差異、欧米の二重規範
○+ C amp 4 +
http://d.hatena.ne.jp/swan_slab/20060208/p1
[寛容書簡][憲法]宗教指導者の風刺画と表現の自由多文化主義と文化的多元主義
→法からみた問題点。現代西洋が抱える限界点。
 ロックの「寛容書簡」についてはこれもどうぞ↓
 http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/dialog/act2_keta.html
→宗教的寛容は17世紀においても課題であった。
◆◆◆◆◆
○あんとに庵の風刺画関連バックナンバー
■[社会・時事]偶像とはなにか?表現の自由とはなにか?
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20060204/1139036267
■[社会・時事]イスラムと近代・文明の衝突
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20060206/1139194922
■[社会・時事]表現と宗教的タブー
http://d.hatena.ne.jp/antonian/20060206/1139233103

▼ヘッドライン
イスラム諸国会議機構、シリアの2大使館放火を非難
http://today.reuters.co.jp/news/newsArticle.aspx?type=worldNews&storyID=2006-02-06T101533Z_01_NOOTR_RTRJONC_0_JAPAN-202198-1.xml
イスラム諸国会議機構はシリアのデンマーク大使館放火を批判
 イスラム諸国会議機構加盟国は以下の通り。
 http://homepage2.nifty.com/cns/middleeast/oic.htm
イラク、風刺画問題でデンマークノルウェー企業との契約凍結
http://today.reuters.co.jp/news/newsArticle.aspx?type=worldNews&storyID=2006-02-06T141952Z_01_NOOTR_RTRJONC_0_JAPAN-202242-1.xml
イラクはかなり熱い
ムハンマド風刺画、マレーシアにも飛び火
http://today.reuters.co.jp/news/newsArticle.aspx?type=worldNews&storyID=2006-02-06T174655Z_01_NOOTR_RTRJONC_0_JAPAN-202280-1.xml
→マレーシアの新聞社も載せちゃったらしいよ。
デンマークとの通商断絶─イラン商業相=通信社
http://today.reuters.co.jp/news/newsArticle.aspx?type=worldNews&storyID=2006-02-07T074720Z_01_NOOTR_RTRJONC_0_JAPAN-202328-1.xml
イスラム諸国会議機構の呼びかけ虚しく、イランもそっぽ向き。
 というかイスラム〜機構は経済封鎖は推奨か?
 しかしデンマークだけが悪いのか?
○<風刺画>フィリピンでも集会 デンマーク紙に抗議
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060207-00000081-mai-int
→フィリピンまで近づいてきました。
○米紙も掲載、抗議デモ 有力紙は静観、問題拡大も
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060207-00000191-kyodo-int
アメリカはやっちゃったらやばすぎるんではないでしょうか?
○【中国】ムハンマド事件:中国外相「国際法守れ」安全確保を強調
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060207-00000008-scn-int
→宗教弾圧国中国様は国内と、台湾と、日本以外にはいい顔をする。
ホロコースト風刺画コンテスト開催=「表現の自由」に当て付け−イラン紙
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060207-00000176-jij-int
→目には目を・・・はいいんだが、ずぶずぶの泥沼だ。大半は元連合軍だし。
○<風刺画>抗議のアフガン人デモ参加者4人が死亡
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060207-00000160-mai-int
→デモ隊死亡。祭状態になってしまったようで。本来の目的がずれていく。
○トルコの高校生、神父殺害 風刺漫画への「復讐」と供述
http://www.sankei.co.jp/news/060207/kok099.htm
バチカンは早々とマスコミへの批判を公言していたのだが、とんだとばっちりである。