イスラムと近代・文明の衝突

寝込んでいる間にイスラムの衝突は深刻なものとなったようです。

デンマーク大使館放火、風刺漫画にイスラム圏の抗議激化
http://www.asahi.com/international/update/0205/001.html
イスラム教の預言者ムハンマドの姿を描いた風刺漫画が、デンマークなどの新聞に掲載されたことに
対するイスラム圏の反発が激しさを増している。シリアでは4日、デンマーク大使館が放火された。
イラン政府が欧州との貿易契約の見直しを指示したほか、これに先立つイスラム教の休日にあたる金
曜日の3日には、各地で大規模な抗議デモがあった。

 シリアの首都ダマスカスで4日、デンマーク大使館前で数百人が集まり、大使館の入っているビル
に投石。内部に押し入って放火した。警察によると、少なくとも5人が負傷した。デンマーク大使館
員かどうかは明らかになっていない。

 朝日新聞のシリア人助手によると、建物の内部から炎が上がっている様子が確認でき、消防車や警
官隊が周囲を取り巻いたという。

 ビルは3階建てで、チリとスウェーデンの大使館も入居しており、いずれも被害を受けたという。
ダマスカスでは「デンマーク右翼団体コーランイスラム教の聖典)を焼こうとしている」との
携帯電話のメールが出回り、イスラム教徒らが抗議のため大使館前に集まったという。
(中略)
中東のメディアは批判一色だ。アラブ首長国連邦紙ハリージュは3日付で「欧州にはホロコーストユダヤ人虐殺)の否定を禁じる法律がある。ならば、他宗教の侮辱を禁止する法律もつくるべき
だ」と論じた。

 一方、中東のキリスト教徒の間では、この問題が宗教間の争いに発展することを懸念する声も出てい
る。イラク北部キルクークにあるキリスト教会の大司教は、1月29日に地元の教会を狙って起きた連
続爆弾テロの引き金も風刺漫画問題だったとの見方を示した。ロイター通信に対し「我々は欧州で出版
された漫画に何の責任もないはずだ」と嘆いた。

もともとデンマークの新聞に載せられた風刺画。それも掲載は昨年9月であったそうだ。デンマークにもイスラムの移民達が多数いるそうで、彼らはこれに対し不服の意を唱えたが新聞社は拒絶。政府は動かず新聞社もまた彼らの声を無視しし続けた。そしてイスラムの人々はイスラム諸国に訴え、他のイスラム社会と連帯していくことになる。デンマーク政府は「表現の自由」を盾に撥ね付け他のヨーロッパ諸国の新聞社がこれまた連帯する。ノルウェーをはじめ。騒ぎが拡大するにつれて、フランス、イタリア、ドイツ等のいくつかの新聞社がこちらも連帯し「表現の自由」を主張する。かくして対立はより拡大し、騒動はどんどん大きくなり、ついにシリアでのこの暴挙と相成るのであった。

●ヨーロッパ政府の苦悩

イスラム風刺漫画 苦悩深める欧州 メディア規制できず、自制頼み
http://www.asahi.com/international/update/0205/001.html
【パリ=山口昌子】デンマーク紙などがイスラム教の預言者ムハンマドマホメット)の風刺漫画を
掲載した問題をめぐる欧州とイスラム世界の対立は、シリアでの大使館放火事件や、イランによる欧
州企業との契約見直しなどに発展し、収まる気配が見えない。故ホメイニ師が一九八九年にロンドン
で出版された「悪魔の詩」の著者サルマン・ラシュディ氏らに対し、「死刑宣告」を下して以来の激
しい反応に、表現の自由の問題も絡み、欧州各国政府は、対応に苦慮している。
(中略)
 フランスでは大衆紙フランス・ソワールが一日、デンマーク紙が掲載した漫画全十二点を転載した
のに続き、リベラシオンも三日に二点を掲載。フランス・ソワールはエジプト系社主が編集長を更迭
したが、リベラシオンムハンマドのターバンを爆弾になぞらえた作品以外は「悪意よりたわいなさ」
が目立つと指摘。その「証拠物件」としての転載であると述べ、社を挙げて「表現の自由」と他の掲
載紙との「連帯」のために闘うことを宣言した。これに対し、イスラム原理主義組織などから反発の
声が上がった。

 この動きにシラク大統領は三日、在仏のイスラム教指導者、ダリル・ブバクール師と会談後、「表
現の自由は共和国の原則」としたうえで、「責任と尊敬と方法に関する最大の精神」を訴え、メディ
アをはじめ各自に自重を促した。しかし、サルコジ内相は、「過剰な検閲より過剰な風刺」が好まし
いと述べ、大統領とは意見を異にしており、政権内も一枚岩とは言い難い。

 一方、欧州連合(EU)では、フラティニ副委員長が「イスラム社会が感じる侮辱を理解」と述べた
ほか、マンデルソン通商担当委員も「転載は火に油」などという声もあがる。ただ、「表現の自由」
があるだけに、各国ともメディアを規制することはできず、同時に政府として謝罪する立場にもない。
それだけに、欧州としては、メディアとイスラム諸国の双方に対し、自重を促すしかなく、苦悩の色
を深めている。

多くの人はこの衝突の構造を「ヨーロッパ対イスラム」と考えるようだが、違う。マスコミという一つの世界対イスラムである。
●宗教界の苦悩

風刺漫画掲載への同調広がる フランス
http://www.asahi.com/international/update/0203/004.html
イスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画を転載した日刊紙の編集長が解任されたフランスで、
漫画の掲載に同調する動きが広がっている。3日付の高級紙ルモンドは1面で別の風刺画を掲
載した。サルコジ内相も編集長の解任を批判した。逆に、カトリック教会からは掲載に異を唱
える声が出ており、メディアと宗教界の対立の様相も帯び始めた。
(中略)
カトリック教会のリヨン大司教は2日、AFP通信に「イスラム教徒が受けた傷は理解できる」
と発言。フランスの司教協議会も「表現の自由には個人の信仰への敬意が伴うべきだ」と表明した。

 在仏イスラム団体は漫画に反発しているが、抗議行動は自制するよう信者に呼びかけている。

イスラムが多数占める国々でキリスト教徒はかなり辛い立場におかれつつある。教会が焼かれたりシスターが襲われたり、まぁ色々。キリスト教徒とイスラムが衝突しているところもある。先にあげたニュースでもとばっちりを食うことを恐れているキリスト教徒の恐怖が伝わってくる。

ヨーロッパメディアの多くは宗教界とは距離を置く。寧ろ教会の批判者として存在する。コンクラーベの時の報道にも見たように宗教と言うものを彼らの視点を通じて理解する為に、保守派であるラッツィンガーに決定したときの落胆などがあの時伝わってきたのは面白かった。宗教界とはそういう話法や論理で動く世界ではないので、まぁ欧州マスコミもマスゴミ要素を内包しているんだねぇ。などと傍観させてもらったが、今回に関してはニヤニヤと傍観していていいのか?という深刻な問題になりそうだ。

●誤解と懸念
この衝突はそもそもがマスコミという思想の自治的な存在とイスラムの人々の価値との衝突である。政治・経済の争いでもなく、宗教の争いでもない。よく日本ではこういう光景にすぐ「キリスト教イスラム」といった単純な図式化をするがそりゃはっきりいっておおいなる無知だ。勘違いする方が馬鹿だ。何故ならばキリスト教会も上記の通りマスコミとは対立関係にあるからだ。ところがまぁ地球の反対側の我々にゃぁ無知だろうがナンだろうが別にどうでもいいのだが、困ったことにイスラム社会で勘違いする馬鹿が激しく沢山いる為に、ことは深刻である。そしてそれを煽ろうとする人々もいる。ベネディクト16世はこうした光景を見越して、就任以来、宗教対話を彼の重要な課題としているようで、動き回ってはいるが、その尽力も虚しく憎しみはこのようにして拡大している。
また多くの政治家は自国のマスコミに対し無力である。かつて中国が日本に対し報道規制を申し入れたときに日本政府は「そりゃ無理」と撥ね付けたことがある。隣の中国では報道規制が敷かれているのは見ての通りである。NGワードだらけである。日本もヨーロッパ近代からの価値を踏襲するがゆえに報道は権力機構からの独立した存在が望ましいという価値はどこかにある。まぁどこぞの政党の御用新聞になっているものが数社あるが、各支持政党が違うようなので読者は選ぶ自由がある。正反対の論考を並べて読むことが可能である。これは欧州でも同様で読む新聞でその人の思想や地位が判るなどと言われている。右翼は右翼新聞しか読まず、左翼は左翼新聞しか読まない。労働者は労働者の新聞を読む。という傾向があるようだ。別のを読んでいるといぶかしがられるようで「なんでそんなのを読むんだ?」などと言われてしまうらしいよ。
とにかく、マスコミという言論世界が一つの自立した権力となっていることはこうした光景からもあきらかである。しかし彼らにその自覚があるのかは疑わしい。自分達の価値が正しいと信じて疑わないあたりはもう宗教化しているとも言える。
ちょいまえにぐりちゃんが教えてくれた歴史家達の宣言を記する

歴史は宗教ではない
歴史は道徳ではない
歴史は時事問題の奴隷ではない
歴史は記憶ではない
歴史は司法の対象ではない

これは昨年の12月にフランスで出されたマニフェストだそうだが、時事問題を扱うマスコミ自体、時事的な権威者としてなにかに対して影響を与える存在であることを歴史家達は知っている。
逆をいえばマスコミもまた、この歴史家のごときなんらかに対する距離をとっていることを厳しく自問しているとは思う。報道は宗教の奴隷ではない(然り)報道は政府の奴隷ではない(然り)報道はアカデミズムの奴隷ではない(然り)などとやっているとは思うが。とにかく欧州マスコミにはこの意識は強くそれ故に非常に信頼がおける報道を我々は目にすることが出来るわけなのだが、イスラムにとってこれが驚異に映るというのはどういうことであろうか。欧州でマイノリティである為に受ける侮辱。彼らの文化に対する敬意の欠如。それらは彼らの価値そのものへの無知から来るのか、無理解から来るのか。
今、アルバニアの作家、イスマイル・カダレの「砕かれた四月」を読んでいる。

砕かれた四月

砕かれた四月

20世紀初頭のアルバニアの高地。この地域の人々の生活は、復讐を核とする古い掟によってすみずみまで支配されている。70年前から連綿と繰りかえされてきた復讐により死を宣告された男と、彼を想う人妻との出会いと別れ。荒涼たる高地を舞台に、錯綜する生と死のイメージが織りなされる。

掟に縛られる人々を描く幻想小説である。アイスキュロスから発想されたという。この世界の人々は生活のあらゆる面における規範を「カノン」という形でもつ。その掟は彼らの生活全てを支配し彼らはそれに従って生きる、逆らうということはありえないのである。彼らは掟から自由になることは出来ない。
主人公はその掟に従い、「血の贖い」を実行する。70年前に発生した事件から彼の一族に課せられた掟。70年前に彼の一族の家に訪れた客人を別の一族の男が殺した。客の血は殺人者の血を以て贖わねばならない。殺人者は彼の一族の男の手によって殺される。しかし殺された側の一族に今度は殺された殺人者の血を贖う為に、主人公の一族の男の血を流さねばならないと言う掟が科されるのだ。かくして互いに殺し合って70年。合計44人の死者が出たところで主人公の番が回ってくる。既に一族には男は彼と父親のみであった。滅び尽くすまで血を求める掟に縛られるという恐怖。
カダレの小説の設定は極端ではあるが、掟を大切にして生きていくという光景はイスラムも同様であろう。彼らはそれを非常に大切なものとして生活に採り入れている。厳格でも穏健でもどこか無意識にその掟は畏怖すべきものとして位置しているのかもしれない。こうした感覚は私には判らない。
●背景にあるもの
イスラム暴動で不思議なのは、デンマークのことをナンでシリアのイスラムが怒るよ?という国境を越えた世界が存在することである。カトリックも数では負けていないが全然連帯しない。中で喧嘩ばかりしているのが関の山である。教皇が呼びかけても聞きやしないのも多い。「だからナニ?」ってなもんである。真面目に受け止めるのから、そっぽ向くのまで、およそ全世界のカトリック教徒が連帯してデモしましょうなんて光景はありえない。一部の人間同士が固まっていることはあっても、全体にはならない。
日本でも酒井新二という共同通信上がりの左巻きに巻いたジャーナリストじいさんが「世界の12億のカトリック信者を連帯させて〜〜〜」などとほざいて左巻きな理想世界の政治ネタを展開していたが、「ジョーダンじゃない。そんな全体主義なことはやめてくれ。」という信者が多く、反発を食らっていた。松浦悟郎という司教があちこちでピース・ナインとか無防備地域宣言とか講演行脚をしているが、「政治家にでもなれ。俗物司教め。」などと一部の思想を同じくする同志以外からは馬鹿にされている。まぁカトリックの歴史を見てみるとどうも教区の司祭達というのは政治権力や権謀術数の世界がお好きなようで、揚げ句の果てに神秘の担い手であることを忘れてしまう為に最終的に修道会に客を取られてしまうというまぬけを繰り返しているようだ。
ところがイスラム社会となると政治も宗教も同じで切り離せない。その状態で延々やって来たのだからたいしたものである。中世などでは彼らは西欧よりずっと高度な文明を保っていたわけだ。もっとも男尊女卑の宗教なので感心はしても傍観させていただくのが丁度よい存在ではあるが。しかしその状態で安定しすぎたために気がついたら西洋に追い越されてしまった。
もともと西方ヨーロッパは政治と宗教を切り離しやすい土壌があった。教会は皇帝と対立し、2つの権威が並列で存在していたからだ。どちらがどちらに屈するという感じではなく、まぁお互いに主導権を延々に争ってはいたものの、最終的に大衆という第三番目の身分に打ち倒されてしまうという情けないことになるのは周知のこと。東方教会のように皇帝の下にある教会というのは、結局は皇帝が倒され共産主義が樹立した時点で消滅を余儀なくされたり、不幸な経緯を辿ることになる。イスラムの場合どうも宗教的なものの方がうえにあるのでもっと判らないよ。政治と宗教を切り離すことが出来ない状態の国相手に、宗教抜きの感覚で臨んでも理解出来ない部分のほうが多いとは思う。
彼らはそういうわけで国境を持たないアメーバのごとき集団をなす場合が多く、その点では同じ宗教者にたいしての同志愛みたいなものは強そうなんであるが、異教徒からすると困った事態になる。国内問題が国際問題へと発展してしまうのだ。
今回、どうもニュース記事を読むとこの問題を利用し煽ろうとしている人々がいるのではないかという疑念が起きる。折しも

イラン大統領、ウラン濃縮再開を命令
http://www.asahi.com/international/update/0205/007.html
イランのアフマディネジャド大統領は4日、国際原子力機関IAEA)がイラン核問題の国連安保理
付託を決議したのを受けて、同国の原子力庁に対し、ウラン濃縮の本格的再開と、IAEAの抜き打ち
査察への協力を打ち切る「査察制限法」の執行を命じた。

同大統領は国営イラン通信に対し5日、「どれほど多くの決議を出しても、イランの進歩は止められな
い」と語った。
アッバス議長、ハマス幹部とガザで交渉へ
http://www.asahi.com/international/update/0205/002.html
パレスチナ自治政府アッバス議長は4日夜(日本時間5日未明)、自治評議会(国会に相当)の議員
選挙で過半数を取ったイスラム過激派ハマスの幹部とガザで交渉を始める。組閣を要請する見通しだが、
議長は時間がかかることを示唆している。当面はハマス側の意見や、自治政府の主流派だったファタハハマスに協力できるかどうかを探り、交渉条件を詰めていくと見られている。

 議長は3日にガザ入りした際、「まず第1党のハマスと評議会をいつ招集するか協議する。組閣の中
身の話はその後になる」と述べた。新評議会の招集は今月中旬になる可能性が高い。

 議長はまた、新政権を任せる条件としてこれまでのイスラエルとの和平合意を尊重することを挙げた。
ハマスは反対する姿勢を見せており、交渉は難航すると見られている。

・・・・・・・といった状況がある。
いずれもイスラム社会に関わる大事が大詰めを迎えている。
こういうのも関わりがあるんだろうか?
イスラムとの共存

○とりかごさんのフィリピンレポート。
http://d.hatena.ne.jp/torix/20060205
ダバオのイスラム教徒融和策

ダバオ市カトリック教徒が多いこの市の市長はカトリックだそうだ。かなりファンキーな親父みたいで、まぁとにかく記事を読んで下さい。

ムスリムと積極的に付きあっている。自分の息子もムスリムの女性と結婚したようだ。家族ぐるみのお付き合い。こうなると家族的宗教でもあるムスリムは弱いようだ。ムスリムの琴線に触れこの市長さん人気だそうである。
どうも変に言論をこねくるより、ずっと早い和平の道だったり。