閉ざされた園

島の大きさは小さい。
今日は晴れていたので島犬カナを連れて少しだけ遠出をしてみる。家から見える清掃工場を越えて目的もなく歩いてみる。天空から見ると平べったく小さな島で、神様がうっかり垂らした土塊を指で押しつぶして出来たようなそんな島。だから小高い丘の上に立つと四方に海が見える。海に閉ざされたささやかな南方の楽土。それが我が島だ。
島を巡る道はくねくねと入り組んでいる。遠方に臨む大きな山があるとか、いずれかの方向に向かって流れる大河があるとかそういう方角の目安になるものがない。行き当たりばったりに歩いていると、方角を見失う。そういう時は空を仰ぎ太陽の位置を確かめるしかない。もっとも方角を見失ったからといって困る事もない。小さい島ゆえにがむしゃらに歩いていればいつか知っている道に出くわす。
とにかく適当に歩いていたので或る地点から家のほうに戻ろうと方向を定めたのだが、農道には入り込んでしまいこれがまたやっかいで背の高いサトウキビ畑に入り込むと視野が遮られるし、農道そのものがくねくねとまるで計画性もないように曲がっているので気がつくと振り出しに戻ってしまったりする。ちょっとした探検にはなる。
そういう午後を過ごした。
島でこういう生活をしていると外界と接する事がない。テレビも見ない。新聞も読まない習慣の私にとって、唯一の外界との接点はネットである。接続しないでいると本当に一人である。島犬カナがいるだけである。
実験的に1ヶ月ほど外界との接触を断ってみるとどうなるんだろうなぁ。と、ふと思った。こんな辺境に一人でいてもとことん淋しくないのは結局ネット上で話をする相手がいるからかもしれない。話を交わせる相手がいるってのはいいものだ。ネットで知りあった方の多くは実存を知らない。ここで話しのやり取りをしているだけだったりする。けれど不思議とすこしお休みしてると、どうしているのかなぁ?と気になったりする。その顔も見た事のない人がトラブルに巻き込まれたり、或いは落ち込んでいたりするのを読むと、わが事のようにはらはらしてしまったり、すごく心配になってしまったりする。実存の友達以上に気になるときがある。インターネットというのは不思議な空間だと改めて思う。
ただ、なにか創作に向かおうとするエネルギーを溜める時は、思い切って外界と完全に切ってしまうというのも一つの方法かなぁ?などと思う。
そんなことを歩き乍ら考えていた。
展覧会が近づいたら閉ざされた園に自らを置くことは必要になる。孤独が溜まっていくときに語りたいものが産まれる。