へ理屈をこねるわざ

先日バール・カルト先生(カール・バルトではない)が模擬裁判というエントリで面白いことを書いていた。
裁判という現場での心得らしいよ。

http://d.hatena.ne.jp/Barl-Karth/20051215
弁護士は,司法試験に合格しているわけだし,年に数件は刑事弁護をやっているはずだから,
後は訓練次第だろう。面倒そうな否認事件や外国人の刑事事件を積極的に受任し,腕を磨く
ことは不可欠であろう。
 「厚かましさ」・「冷静さ」・「毛が生えた心臓」・「難しい理屈をその場で思いついて
意見を述べ関係者を煙に巻くテクニック」等々も必要だろう。

実際のやり取りの例の「論文」とかミステリー小説のラストみたいだよ。

ところでうちの師匠濱ちゃんは、教会世界の判事である。どういう仕事をするかというと昔は異端審問とかしていたりもしていたりするようなところみたいで、現代はもっぱら「離婚」問題を取り扱う。他にも司教の推薦とかあった時に評価するとか、なんかとにかく「教会法」というのがあってそれに則したことがちゃんと行われているか?とかまぁ色々やってるみたいだけど私も良く判らない。でもとにかく話を聞いているとほとんど離婚屋。カトリックの場合、一応離婚は出来ない・・というか「重婚」が出来ない。民事で離婚しても別にいいんだが次に結婚したいときに教会で結婚出来なくなる。結婚はカトリック信者にとって秘跡となるので、おいそれと臨めないのだ。結婚は当時者同士が遂行する秘跡であり、結婚式はその秘跡の始まりといっていい。当事者の二人はその結婚の秘跡を死ぬまで二人で完成に向けて努力することが必要となる。神は秘跡を通じて恵みを与えるという按配か。秘跡の解消は本来的に出来ない。(神父だってカトリック教会をたとえ離れたとしても秘跡的には神父の身分のままだ。)だから二度目の結婚をしたい時に、前の結婚は無効であった証明をしなくてはならない。その手のことを扱った小説で有名なのが佐藤賢一の「王妃の離婚」である。

王妃の離婚 (集英社文庫)

王妃の離婚 (集英社文庫)

トンでもな王様が身勝手さから「うちの女房、不細工だし〜〜。きれいな女の方がいいし〜〜」などといきなり離婚をいい出す。その離婚を言い渡された気の毒な王妃を弁護する弁護人が主人公。物語のクライマックスはこの弁護人が反撃にでる裁判の光景だ。こういう場面では弁護人には上記のバール先生の挙げたような資質も必要とされてくるだろう。

うちの師匠浜ちゃんは、学校で教えていたりするので授業などもするが、この授業がちょいとつまらない。教科書を読んでるだけ。教会法の授業はでたことないけど、カテキズムの授業がそんな感じだった。しかし聞けば教会法の授業もそんな感じ。あの「教会法典」をだらだら読む授業は悪いけどつまらなそうだ。けれど質問などするといきなり上記の様な才能を発揮する。理屈でハイパーな解釈を人に納得させてしまうテクニックは天下一品である。目からうろこの解釈をよく聞かされたものだ。そのお陰で教義理解の幅がすごく広がった。師匠はとにかく「正統」な立場からいかに幅広く解釈を持っていくかのテクニックに長けているようだ。「教会法」「正統教義」というリベラルな人からは嫌われる代物を駆使してリベラルな人以上の結論にまで持っていってしまうとか、そんな感じ。勿論、根底は筋が通っている。「神への信」「愛」といったイエスの教えからはぶれない。まぁとにかくへ理屈の権化である。こういう場合、解釈がものをいう様だ。法律やっている人は「毛の生えた心臓」じゃないとつとまらないのはその通りかも。
だから師匠の使い方は「質問しまくる」のがいいと思う。へ理屈のコネ具合が面白いから。
・・というわけで、久しぶりに師匠に近況報告と祖母の洗礼式の準備の報告も兼ねて電話でもしようかと思ったけどせっかくなのでなにかへ理屈を聞かされるような質問でもしたかったんだけど・・今んトコないなぁ。思い付いたら電話しよう。