今日は天気がいいよ。でも寝坊したので病院に行けなかった。10:00までって案外と難しい。
天気がいいと暖かいので変温動物なわたくし的にはいきなり活動的になる。洗濯をして先日届いたが寒くて体調不良で放置していた荷物の整理をやっととりかかる。5箱もあるもんなぁ・・・・。で、掃除機をかける。洗濯機を回す。暖かいっていいねぇ。

・・・・というわけでカナを風呂に入れた。綺麗なわんこになったぞ。

いましがた電話があった。
「もしもし、恵子」
・・・・・?誰だ?いきなり?恵子って知り合いおらんぞ。
間違い電話だったらしい。

いつもブログにお邪魔させていただいているuumin3さんの家族、犬のブッタちゃんが具合が悪くなったらしく心配。家族である犬の具合が悪くなるってのはすごく辛い。うちのカナも昨年は体を悪くして一時はお医者さんにも見放され、大変だった。とにかく衰弱していくのをみるのが辛かった。犬は(或いは猫も・・・動物というのは)言葉を言えなく目で訴える。だけにその苦しみがどういうものか判らないのに苦しさだけは伝わってくる。そういう時は何をしてやっていいのか判らず悲しい。
ブッタちゃんが元気になることを祈ります。
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時々ふっと「いけない」発想にとらわれるときがあります。気持ちがイマイチな時ね。なんとなく仕事がなくて、カナと父の世話だけしてる。大切なことなんだけど、衰えていく父、病弱なカナ。自分がいないと大変なことになるから頑張らないと。と思いながらご飯とか造ったり盛り上げたりとかしている。
でも、ふっと魔が差すようにいけない考えがやって来る。
このまま死ねたらいいなぁ。とか。自分を支えて愛してくれる人に巡り合わないでもう何年も来たのに疲れたので、もういいや。などと投げやりになってしまう。自分はあまり自立したような人間でなくてだから誰かに甘えたりとかしたいのだけど、そういう人がいない。辛いときに黙ってだいていてくれるようなそんな存在。それで孤独に疲れてしまったりしていることに気付く。忘れているようにしているけど蓄積されていると感じたりする。なんとなくこれ以上はもう一人なのは嫌だよとか。生きているのはもういいやとか。投げやりになる。
でもカナの顔とか、父が大変そうなのを見てるととり合えずやらなきゃいけないことは思い出すので、日常に戻る。
夜になるとど〜〜んと魔が差す時間が来るのがとにかく嫌だなぁ。
こういう時、同伴者のイエスを思いだすといいなどと言われるけど・・・想像上でないぬくもりが欲しいときってあるよね。ひとは一人でいきることは出来ないと思ったりします。