友人のこと

昨日は師匠のメールと旅日記のアップやらでなんだか疲れて不貞寝してしまいましたよ。お陰で疲れもとれて体も元に戻ってきた感じ。
ただ、友人の命日ってのをすっかり忘れておりまして、祈ったりするのを忘れておりましたよ。仏教なら月命日とか命日を大切にしてお経をあげたりするよね。カトリックでもミサを奉げるとか死者を心に留める習慣があるのだな。
・・・というわけで、なんとなく昨日もちょこっと書いたけど思い出して寂しくなったりしましたね。その時間の経過に。多くの時間を共に過ごせなかったことに。旅の日記にも書いたけれど、いまやメールやネットで遠くに離れた人とも話せる時代で、さほど距離など感じないように思えるのだけれども、やはり長く合わない時間を、彼らと久しぶりに会って実感したと申しますか。特に友人Hとは大学からの友人でいつもよく行動していたのだけれどお互いの生活圏が変化し、なかなか会えない。久しぶりに会った彼女は昔とナニも変らない。髪が伸びたくらいか。だけれどいつの間にか彼女の過ごした時間が彼女を取り巻く空間に蓄積されていて、あああ、離れていたんだなぁ。と実感したよ。ボルドーで。
死者との分かれはそれが永遠にあるわけで、自分が過ごした時間の長さを感じてしまうのです。12月6日が来るといつも考えてしまう。あの時、あの日、彼が死んだその時間にあったことは鮮明に覚えているのだけれども、あの時と現在という時間の、その間に流れてゆく出来事はどんどん増えていくんですよねぇ。
この季節はそういうわけでなんとなく寂しくなりますよ。
ただ、新しい出会いもあったり、新しい友人も出来たりしてまた違う歴史がそこに重なっていくわけで、一年の季節に刻まれる想い出はやがて複合的になっていく。人はそういうことで過去を乗り越えたりできるものです。師匠の焦りまくったケータイメールもこの日の思い出になるとかね。そんな感じ。
ただなぁ、やっぱり隣にいてくれる人が欲しいよねぇ。
・・・とか、つくづく思った今日一日であった。