旅についてのまとめ

今回は他人任せのスケジュールについて行っただけなので、なにも考えていなかったんだけど、ぐりちゃんという中世キリスト教史オタクの出没のお陰でいろいろ再発見がありましたですね。やはりこういう旅はオタク・・いや学者と行くに限る。なんせ学者というのは目の付け所が違う。細部にこだわる。普通の人は買わない変な本や重い本を買う。とにかくだらくさと見る。そして心強いことにおフランス語やらラテン語がわかるので辞典とガイドブックがいらないよ。便利だよ。小さいぐりちゃんをポケットに入れてまた旅をしたいものだ。本人は嫌だろうが(笑)
・・というわけで色々有難うございました>ぐりちゃん

◆ロマネスク
南仏ロマネスクは昨今流行で色々な本が出ているけど、やはりフィールドワークする必要はあると思いましたね。というのもその周辺に広がる大地が、そこに生活する人が作り上げていったものなわけで環境を見ないとそれが見えてこない。たとえ1000年前のことでも脈々と受け継がれているなにかは肌で感じないとダメダメだなと思うのです。
ことにロマネスクは思想統制のされない自由な形の信仰がそこにある。或いは大衆からの熱狂が生んだ痕跡がそこにある。そうしたものはスペインにも広がって点在していて、特にスペインロマネスク、それもカタルーニャに存在する図像は独特で、ピカソにまで受け継がれているし、なによりも強さがある。(バルセロナにある美術館で見ることが出来るがかなりイイだよ。これとパリのクリュニー美術館をあわせてみると最高だよ)西ヨーロッパの信仰の形は南に行けば行くほど骨太な形状となり大地へと根をおろすような信仰、或いは情念を感じる。それらはやがてアヴィラ聖テレジア霊性イエズス会霊性を生み出すことになる。そうした信仰の「かたち」が、西ヨーロッパのロマネスクから或いはゴシック、ルネッサンスバロックと連綿と映りゆく様式のなかに、それぞれの土地固有の形を産みだしているそのダイナミズムが面白いなどと思うのですよ。視覚芸術は大衆と共にあり、音楽もまた大衆と共にあった。文字では伝わることのない大衆の息遣いはそれらの中に読み取ることが出来ると思うのですね。
しかし、今度はゴシック爆撃もしてみたいや。でも下流人間なので¥がないよ。そのうちリベンジしてやるですよ。

ところでこの旅の間にミサに出たのは一回だけだったよ。おフランス語だからなにがなんだかわかんないよ。現地語主義もいいけどさぁ・・・なんか寂しいよ。きっと日本にいる外国人の信者さんも同じことを思っているかもしれないよ。
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そういえばパリでのトランジットはドゴール空港であったよ。ここは以前崩壊したからなぁ。信用置けない空港だ。建築はすごく好きだけど構造計算ちゃんとしてくれよな。それで昨今はテロの性で色々厳しい。チェックが異常に厳しくなった。もうどんどんどんどん厳しくなってる。これからは海外行くときは色々面倒が起きないように注意しないと。重い荷物とかもご法度だな。預ける荷物は20キロまで。手荷物は6キロまで。本を沢山買う人は注意しましょう。
しかし、乗り換えに5時間も間があったのですごく暇だった。つまらないのでぐりちゃんに電話したり、仲間と茶をしばいたり、挙句にはもう床に寝ていたよ。暇すぎ。空港にはマッサージ屋さんとか、風呂屋さんとか欲しいね。

で、シャルルドゴールとか、エールフランスの機材の工業デザインとか見ていて思うけど、フランス人って楕円が好きなのか?微妙なカーブ。正円ではない微妙な曲線。この辺りイタリアンデザインのなにがなんでもまっすぐだぜ!とかいうのとかと微妙に違うような気がしますがどうなんでしょ?フィアット的な、或いは未来派ファシズム建築に見られる真っ直ぐデザインを採用するのがイタリアで、妙な心に引っかかるようなカーブの有機性をどこかに残したがるのが現代フランス。この有機性はロマネスクに通じるよね。イタリアのはゴシックの形而上な直線じゃなく、ローマの身体的なマッス(量)を伴うような直線性というか。どうなんざんしょ?