ユベロン地方続き

メモが役に立たないうえにロマネスクの資料は全部島にあるので再び、記憶を頼りに書く。
ゴルドから足を伸ばしていった街は前述の通りのようだ。
◆ルション
ルションという街に行ったのだがなんで行ったのか企画者に聞くのを忘れた。しかしこの街の土は確かに固有の赤やオレンジの色をしていて、いい顔料が昔から採れたらしい。ロマネスクの教会、ことにフランス南部あるいはポアチエ近郊のショービニーなどの教会に見られる固有の色使い(赤を基調とした素朴な色彩)の起源は此処にあったのかもなぁ。などと感心したよ。
ロマネスクというと石作りを想像するかもしれないがかつては色彩が施されていたものも多い。ロマネスクの代表としてよく取り上げられるコンクの教会の石彫も彩色が施されていた。また多くの巡礼教会では柱に(つたない柄ながら)彩色模様が施されている。これらの彩色はイタリアのあの絵画とはまた違う独自の雰囲気を持っている。
その赤い顔料が採れるというこのルションの街の台地は真っ赤で怪しいんだが、寒さで街を歩いている人が誰もいないうえに、犬しかいなかったよ。典型的な丘の上の町であった。
◆ラコスト
サドの町。実は数年前に南仏ロマネスクを回る際に候補に挙がった町だったのをリベンジしたんだな。ロマネスクなのにサド・・・。関係ないんだけど、サドの町というだけで行きたくなったんだな。しかしこの街も典型的な中世の街の面影を残している。崖の上にはサド侯爵が住んだという城(半分以上廃墟化している)があり、その城の下に街ががけにへばりつくように存在しているのであるな。
サド侯爵の子孫が日本に来たとき「佐渡島に行きたいで〜す」とか言っていたらしいけど、「この街はどこか佐渡島に似ている」などと旅の仲間が言っていた。ほんとかなぁ?
この二つの街を見ているだけでも「石の文明」という言葉を想像してしまう。とにかく秩序などない形状で行き当たりばったりに石を用いて家を建てている感じ。でも同じ質感なので不思議と街が統一されて見える。街の道は迷路状で方向がよく分からなくなるのも城下町として要塞の機能を兼ねているのかも。日本の地方郷士の家なども農村の集落それ自体がそのように形成されているのがありますが、それと同様かも。(ようするに領主の盾となる領民という按配)
◆オビエンヌの教会
ノートルダム寺院としかメモに書いてなかったのですっかり忘れていたが、此処は単なるクソ度田舎なオビエンヌ村のはずれの畑にいきなりぽつんと立つ巡礼教会。観光案内で鍵をもらって見に行く。素朴な典型的ロマネスクつくりの教会。
ロマネスクとゴシックを分ける境というのは実は曖昧でもあるんだけど、顕著なのは天井の構造である。ロマネスクの場合、天井はドーム状、もしくは円筒状のカーブを為すが、ゴシックはヴォールトによってその重さを柱に逃す構造である。石の天井を支えるにはロマネスク様式では壁の構造が非常に厚くなってしまい開口部を広く持つことは不可能である。そこから崩壊が始まってしまう。柱に逃すことによって解決されたゴシックでは窓を広く採る事が出来るためにステンドグラス文化が次第に花開くようになる。パリのノートルダムも、壮麗なサント・シャペルも、シャルトルもそうした技術の発達によって誕生したのである。
これらは石文化だからこそ生まれたものであり、比較的木材に恵まれていたイタリアと違い、南仏のロマネスクにはこの石の土地に住む者たちの苦肉のあとが見られる。オビエンヌの小さな巡礼教会であるノートルダム寺院もこの一つである。
オランジュのローマ建築
ローマ人てヤツは行く先々で劇場を作るんだな。あと凱旋門。それが未だにこの街に残っている。劇場にいたっては未だに稼働中であるよ。すごいねぇ。アウグストゥス帝の時代に建てられたらしいこの劇場はローマ式の円形ではなくギリシャ式の半円形で、ユニークではある。しかし舞台側の壁面の高さたるやすごいもので、アウグストゥスの彫像が観客席を睥睨しているあたり、ローマ人ってムカつく。とか思ったりした当時の人もいるだろうなぁ。
南仏にはこうしたローマ時代の遺跡がぼこぼこ残っているけど、銃弾の痕なんかあったりしてこれらの土地の記憶を色々と刻んでいる。多くの革命と大戦を経験した土地であることを改めて思い知らされたわけだな。
凱旋門の意匠は盾やら剣やら勇ましい武器がレリーフされている。かなり面白いよ。でもそれ以外ナニもないところなうえに劇場の周りは犬の糞だらけだよ。