ハンセン訴訟

ニュースを漠然と聞いていたら驚いた。

「台湾」勝訴、「韓国」敗訴 ハンセン病訴訟
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051025-00000025-san-soci
東京地裁 判決真っ二つ
 日本の統治時代につくられた台湾と韓国のハンセン病療養所の入所者ら
が、「ハンセン病補償法」に基づく請求を棄却した厚生労働省の処分に対
して、取り消しを求めた訴訟の判決で東京地裁は二十五日、台湾訴訟で請
求を認める一方、韓国訴訟の請求を棄却した。当時、日本の法律が適用さ
れた台湾と、総督府令が隔離の根拠となった韓国の状況が判断を分けた。
敗訴した韓国訴訟の原告は控訴する方針。

同じ内容の訴訟で明暗が真っ二つに分かれたというお話。こう結果が分かれるのはどういうこと?テレビでは韓国側原告が「差別だ」と語っていたが、差別というより、裁判官の解釈の相違でしょう。敗訴側のハンセン患者さんが気の毒ですが。
ハンセン氏病は聖書にも出てくる業病で、欧州でも隔離され、死人として扱われたそうです。常に鈴を持ち歩き、通るときは鳴らしていないといけない。感染力が薄い病気ではあるのだが、当時の人にはわからなかった。わが師父、聖フランシスコはこのハンセン患者さんを抱きしめるというなんだか唐突なことをしているが、彼らは人間である。けして死人ではない。寧ろイエスそのものだと、考えたようだ。変なヒッピーみたいな兄ちゃんにいきなり抱きしめられた患者さんは面食らったと思うけど。
人類の長い歴史のなかで数千年にもわたって社会の無知による偏見によって苦しめられてきたこれらの人々にはやはり温情が欲しいと願うのですよ。

しかし、きっと韓国の反日思想なマスコミは「差別ニダ!」などと書きたてるだろうなぁ。憂鬱。

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釈然としないので調べてみた。

韓国定着村とエンマ・フライジンガー女史
カトリックにおける救らい事業―
http://www.mognet.org/hansen/korea/enma.html
過去、日帝統治時代において、韓国のハンセン氏病患者は日本における
管理政策と同様に強制隔離を強いられて来ましたが、日本敗戦後、祖国
の解放とともに、その状態がそのまま改善の方向に向かったわけではあ
りませんでした。それというのも、解放後に相次いだ社会的な混乱、そ
して朝鮮戦争での国土の壊滅的な破壊を経験する中で、以前よりももっ
と悲惨な日常生活を送らなければならなかったのが実情だったからです。

何故か祖国解放後はもっと悲惨だったようです。社会混乱ゆえ仕方ないのか。
ここのサイトは日本批判がすごいのでもう少し客観的な資料がないとよく分からない。

で、2ちゃんねるを見に行ったら当時の日本政府の資料が紹介されていた。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/007/0790/00702150790005c.html
先日――一月十六日でありまするか草津において凶暴な患者がおりまして、これを朝鮮の多数の患者が撲殺したというような前代未聞の犯行がありましたことは、まことに遺憾なことでありますけれども、今かような凶暴な者を取締るところの方法がないのであります。院の者もやはりまる腰でありますし、またこれを警察の方に伝えましてもどうすることもしないので、そのためにかような凶行が起つたことはまことに遺憾なことでありまするが、今後においてかような者は何とかして制裁をしていただかなければならぬ。癩患者は病人とは申しますけれども、手足はまだきくような者が多いのでありまして、院内においてもいろいろの相当な作業もいたしまするし、労働能力も相当ある者が多いのであります。それでこれを療養所に入れておきますと、多数の、八千三百人の安寧秩序を害するというような結果になりまして、また彼らが数人団結して院内の治安を撹乱するという場合において、前から申しましたように、職員はまる腰でありまするから、何ともこれを懲戒することもできなければ、実に危險な状態になつております。それで近年、ことに朝鮮人の内地に移動する者が多くなりまして、これはあたりまえに査証を受けて入る者もございますが、密航する者も多数にある。これが山口県とか福岡などの炭鉱とか製造工場に人りまして、そして軽いうちは労働に従事しておりますが、次第々々に重くなつておる者がたくさんございます。こういうような朝鮮から密航した者が今どのくらいあるかと申しますと、全国の療養所に五百人ほど入つております。また外部で朝鮮人の癩が自由に行動をいたして、あるいは酒を密造するとか、あるいはやみをやる者が、さような患者の中にも五百人ぐらいはあるのであります。今日は日本内地における一万三千人の者について一は、八千人だけは療養生活をすることができるのでありますが、朝鮮の安寧、秩序が維持できないために、せつかく日本人が向うに行つて、宇垣総督時代にこしらえたところの六千人を收容できる世界第一を誇る療養所が、終戰のときに日本人の管理者はみな追い出されまして、ほうぼうの体でまる裸で帰つたというような状態でありまして、院内の秩序が乱れて来まして、逃走が相次いでおります。そのために内地にたくさんの潮鮮人の患者が入つて来るので、日本は朝鮮の癩患者まで今日はおせわしなければならない。これは人道上でありまするから当然ではあるようなことではありまするけれども、こういうような荷やつかいなものが中に入るために、またこの院内の安寧秩序を維持のできないような状態に今日はなつて参りましたことは、まことに遺憾なことであります。

日本政府側からみたハンセン患者の問題。こちらも割り引いて読む必要があるもののかなり具体的な状況の例が出ている。どうも戦後混乱期に朝鮮の多数のハンセン患者が日本に密航してきて、ハンセン病院などもかなりの混乱に陥ったらしい。ここではどうやら院内で事件があった模様。また朝鮮半島におけるハンセン患者への差別も相当であったようだ。(日本でも同様に差別は根強かった。)そこから逃げるようにしてかなりの数の患者さんが日本に密航してきたらしい。草津のハンセン施設にも多数の朝鮮人患者が収容されていたようだ。しかしかなり暴力的な患者さんが一部にいて、他の患者さん達の生活に混乱を引き起こしていたようでこの文書にも「不良患者」という文字がある。ここでは朝鮮人の患者と、沖縄の患者さんがやくざ者で、困ったとかぼやいている。
またこのようなこともあったようです↓

朝鮮では人の生肝を食えば癩病はなおるという伝説がございまして、朝鮮では殺人というものを調べてみると、たいがいそのうしろに癩病があるということがわかつたのであり寓す。そういうようなことで、朝鮮人の殺人犯罪は年々多数に上つております。この癩病は朝鮮の南部には非常にたくさんあるということがわかりました。しかしながら日韓併合のときには、内地に渡航するものが非常に少かつた。ただ内地だけの癩病を收容しておつたのであります。しかし自暴自棄になつておつたところの患者の中には、療養所の安定した生活によりまして非常に打つてかわつた人間になつた者もあります。しかしその千二百人の病歴を探つてみますと彼らはかつて浮浪する前には、首をくくつて死に切れず、あるいは海に入水して死に切れないという経歴を持つていない者は一人もなかつた。さように癩患者というものは恵まれない、悲惨な生活を送つで来たということは、御承知のことだと思います。しかし大部分の患者は生活の安定を得て、療養所を一つの楽天地としようとする者がある反面において、浮浪徘徊者の常習であつた賭博がはやりまして、そしてこの賭博で金銭のやりとりをしてまつ裸になるまでも取上げるというわけで、逃走患者が絶えなかつたのであります。

朝鮮人だけではなく日本人でも自暴自棄になってしまう患者さんがいて、院での秩序に苦労していたらしい。これを読むと当時の日本政府は患者さんの立場に立って、なんとかしようとしていたことは伺えます。ただ現場では、現代でも介護施設での事件などもタマに存在するように患者さんへの虐待があったかもしれませんし、偏見の強い病気ゆえに扱いが酷かったりしたことも多く見られたかもしれません。

隔離政策は治療法が発見される前には何処の世界でも当たり前のことではあった為(つまり偏見と差別意識に満ちた大衆から患者を守るための措置でもあっただろう。)それゆえに厚生省が台湾の判決に不服とするのもわからなくもないが・・・日本の施設などでも当時はあまり芳しくない話も聞くのでそれはやはり不満とされる要素があったかもしれないであろうし、すこぶる感情的なレベルで、やはり温情が欲しいなどと思うのである。

難しい問題ではありますね。