ネオリベラリズム

・・・・・・・・という言葉を学んだよ。「新自由主義」とかいうそうだ。ホリエモンみたいな考え方をする人々のことらしいよ。いわゆる弱肉強食の社会ということか。どちらにせよ能力のない人は落ちていくしかない。

それと反対なのが運動会などで一番とか順番をつけるのはよろしくないとか、公教育で一番能力が劣ったものに合わせるとかいう考え方でしょうね。人間に高低をつけるべきじゃないという平等の考えから生じた教育の現場の判断なのだろう。これもどうかと思う。

そもそもわたくしは高校の勉強がぜんぜん出来なかった(英語と数学と科学と物理はいつも赤点であった)為に美大に行ったくちだが、小学校のときはそれなりに成績がよかった。超劣等生と優等生を体験しているという按配である。小学校の先生は何故かテストで高得点を採ったものの名を呼ぶ習慣があった。馬鹿馬鹿しい習慣だと思っていたが、これが同級生の妬みを買う。いじめられない為には名を呼ばれないようにしなければならない・・というわけでテストの回答を全て書き出してから、配点を参照して、満点にならないレベルの点数になるように調節などをしていた。まったくアホ臭い作業である。こんなアホ臭い環境からは早く抜け出したかったので、教区の中学にいくと将来は目に見えているし、中学受験をした。行きたい学校は自分で選んだよ。ほどよく進学校ではあるが程よく呑気な学校を選んだのが当たりでしたが、その後は上記の通り。

とにかく早いうちに悪平等というのは辛いということを学んだので、確かに新自由主義な人々がいいたいのも判らなくもないが、社会構造として、営利優先の大企業に全て牛耳られていってしまう社会になるのはそれはそれでつまらないと思うのでありまするよ。コンビニとファーストフードとファミレスとブックオフは嫌いなので。

そもそも最高学府、しかも大学院まで出た私が、税金を払えるかどうかとか歯医者にかかれないかもとか悩んでいる社会ってな・・・・というのは単なる八つ当たりか。怠け者な自分が悪い。ただ、美術業界が衰退している昨今、社会の無駄で生きているこういう価値は、新自由主義の社会では最終的にグローバル化の中で押しつぶされていく結果となるのですよ。一見矛盾するようですが、結果としてそういうことになる。もちろん共産主義悪平等社会ではそれ以前に芽がつぶされてしまうので、隣の中国とか、ロシアのように、とんでもなく遅れてしまう(どころか潰されてしまう、幼稚化する)ことになるので、よくないですが、極端な経済重視の自由主義でも同じ現象が起きるのでございます。
文化というのは無駄でも保護しなきゃいけないときがある。