ワールドユースデイ

カトリック教会の行事に「ワールドユースデイ」というのがある。文字通り、世界の若者達の祭典である。といっても抹香臭いカトリックのお祭りなので抹香臭く行われている。どうもこういうシューキョーに若者が熱心という光景は不健康だとわたくしなどは思ってしまう。シューキョーは年寄ってのち、或いは中高年が人生を振り返り、もしくは社会にでて、ふと気がついた時、新たな価値を模索してみたいときなどのたどり着く果てにあるシロモノのような気がするので若いうちに宗教に熱心な人を見ると「ニーチェでも読め」などと言いたくなったり、幼児洗礼者などは10代20代は反抗期になったりして「キリスト教?けっ。だせぇよ」とか言って欲しいなどと思ってしまうわたくしは、やはり不良信徒であるなぁ・・とは思うが、どうだろうか?とまれ、若い人でも悩めるときはあるだろうから、そういう風に決め付けてもいけないとは思ってはおりますが・・・うーん。
さて、世界中の信者の若者達が集うこの祭り。毎年世界のどこかで行われるんだが今年はケルンである。教皇ベネディクト16世を生み出したドイツでやるということでケルンに頬の赤そうな真面目っぽいカトリックな宗教君たちが集まっているようだ。
それでこのニュースをローマ在住のぐりちゃんが観ていて「日本人がいないなぁ」と不審がっていた。世界中から来るわかもんたちはそれぞれ自分達の国旗を手に参加するんだが日本の国旗がない。日本からも団体で来ているはずなのにどうしたんだ?というのだ。
実はカトリックの司教団がたいそう左巻きで、日の丸君が代に反対をしている。だからこういう機会ともなると日の丸を持っていかない。
こういう理屈↓

http://www.ignatius.gr.jp/~ig_wyd/html/wyd.htm
全世界からの信徒が集う大会なので、 いまだに侵略のシンボルのイメー
ジがあり、嫌悪感等を与えるおそれのある日の丸は使わず、 ローマ大会
で全国の青年達に公募され採用された公式団体のシンボルマーク を引き
続き使用していました。 
(2000年部分は削除)

このシンボルマークは日の丸を下敷きとしつつも、 日の丸から平和の象
徴である鳩が平和と神の契約の象徴であるオリーブの枝を口にくわえて世
界に飛び出してます。また 円とハトの上部が5色のストライプで彩られ
ていて、世界の5大陸を意味しています。

日本公式団体のマークなんだ!という視認性もあり、福音的なメッセージ
も込められており、移動の際、目印となる旗や、Tシャツにもプリントさ
れ公式団体参加者の心を一つにまとめる大きな役割をしていました
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/committee/wyd/symbol.htm
ここ数年、日本の社会に新しいナショナリズム国家主義)が芽生えつつあ
ることと、その背後にさまざまな要因が働いているとはいえ、昨年、国旗と
しての「日の丸」の掲揚と天皇制に結びつく国歌の斉唱を教育の現場に義務
づけた法案が国会を通過したことです。
 私たちは国家が国歌と国旗を持つことに異議を唱えるものではありません
が、法制化された国歌も国旗も、第二次世界大戦中にアジア諸国の人々とそ
の文化を踏みにじった軍隊の戦意を鼓舞するために使われたものです。今な
おアジアの人々の心には侵略の象徴として受け取られています。残念なこと
ですが、日本はこれまでに過去の歴史の過ちに真摯(し)に目を向けること
なく歩んできてしまいました。

どうも「中学生が考えたような平和のマーク」を日本の国旗と変えて持ち歩いているらしい。他の国は全て国旗を持ち歩いている中で、日本の巡礼団だけがこんなダサい旗を持ち歩いているという光景は情けないというか恥ずかしいというか、友人が彼の友人のカナダ人にそれを説明したら「ナニ考えているんだ?」とかなり馬鹿にしていたらしく、どーもよその国の人にはそのナイーブな思いはぜんぜん伝わっていないようである。そもそも政治の、しかも内政の問題をこういう場面に持ち込まれてもなぁ・・・日本人ってわかるようにしといてくれないと困るよ。というのがそこでの現場の正直な感想だろうね。

我が師匠濱ちゃんは、昔ローマに留学していたときに、街を歩くときはフランシスコ会の修道服を着て、自分のバッグには日の丸のシールを張っていた。何故、日の丸のシールを?街を歩いていると日本人であることを言わなければならない場面が多かったんでしょうか?それまたすこぶる謎ではあるが、大学で「どこの国から来たの?」と聞かれるのがめんどくさかったのかもしれない。で、彼は日の丸に反対する司教たちの意見に対して批判的である。

前にも書いたと思うが、カトリック教会は歴史の中で大変に評判が悪い。十字架の旗をおったてて「十字軍」という軍隊を率いて中東で暴れまくって帰ってきたからである。先の教皇ヨハネ・パウロ2世がそれについて謝罪はしたものの、十字架の旗はかの地では悪魔の侵略者として記憶されているだろう。
司教の理論に従うならば、その十字架の印はイスラムの人々にとっては侵略者の象徴なのだから、使ってはならない。ということになる。しかし「日の丸は侵略のシンボルであるから使用しない」という司教たちは十字架の印をあちこちで使用しているわけで、彼らは既に論理矛盾をしている。
日の丸などターゲットにしないで正直に「天皇制反対」などといい、東京カテドラルで行われた教皇の葬式に皇太子殿下が「参列したい」と申し出られても拒絶するぐらいの気骨でもあるなら少しは見直すが、(まぁそしたら私はカトリックから出て、正教にでも移るけど)とにかくこんなばかげた幼稚な理屈に基づいた行いにつき合わせられる若い人々も気の毒である。しかしどーもこういうシューキョー行事に参加する若者は若者の特権「親父に反抗する」という気質がないのか、司教たちの教えに粛々と従っているようである。わたくしならワールドユースデイの場に日の丸を自分で持っていくよ。
日の丸君が代問題に関しては、市民として色々な意見をお持ちの方もいるだろうし、それは自由である。しかし、それは俗なる政治の場での話であって、ましてや上記の理屈からカトリック教会はそれを言える立場ではないと思う。(天皇制に対して神学的な意味から批判するというのはあるのかもしれないけど)だから日の丸君が代を問題にしたいのなら「カトリック教会として」語るのではなく、一市民としてそれぞれが主張せよなどと思うよ。

世界的に認知されている国旗ではない「ロゴマーク」では、「日本」という存在が
分かりにくいという声

どうも以前もそれで「わかりづらい」と批判されたらしい。現行の国際社会では日の丸が国旗として認識されているんだし、個人的な政治信条など少し棚上げにすりゃいいのにとも思うんだが宗教者は原理主義化しやすく、左巻き原理主義な司教は現場の困惑よりも政治的な自己主張を優先しているようです。

そもそも政治云々以前にこんなデザインセンスのかけらもない旗を日本の代表団の旗とされるほうがもっと苦痛だよ。そっちのほうが寧ろ屈辱的だな。
(デザインに関しては、上記のサイトに出てるので見てやってください。かなりダサいよ)
宗教がダサいのは仕方がないか。宗教って言うのはダサいもんだ。だから余計に若者が宗教を嫌うんだろうな。漫画なんか見ていても宗教な人は大抵ダサい服を着たりしているよね。カトリック教会の人々はよく「若者が教会に来ない」と嘆くけどこういうダサいことしているから余計に来ないんだと思うよ。