嫌韓流

先日のエントリで嫌韓流について取り上げたら幾つかコメントや反応をいただいた。にしてもいつから韓国とこんなにこじれてしまったんだろうか?昔からさほど仲良くない国ではあったが、嫌うというより長い間、無関心に近い状態だったとは思う。近い国なのにナニも知らない国、過去に遺恨がある国、唯一最も国境の近い国であるが故に色々あり、親父の子供の頃まで差別を受けていたので気の毒だったとかぐらいの認識で、子供の頃はチマチョゴリの学生に対しても朝鮮の学校の女学生の制服は可愛いなぁとかそんな程度の知識しかなかったと思う。(韓国も朝鮮もあんまり区別もついてなかったし)
日本と韓国で開催されたワールドカップの時、取材の為にイタリアにいた。イタリア人にとってのワールドカップは日本以上にかなり重要であり、私がローマに向かった飛行機の途上では丁度韓国とイタリアの試合が行われていた。これからイタリアに向かおうという私はイタリアを応援していた。イタリアは私にとって縁の深い国であり、向こうについてからしばらくイタリア人のサッカー騒ぎを見たかったから生き残って欲しかったのだ。
ローマに着いた時、フミチーノ空港は何故か暗く沈んでいた。なんとなく空港全体の空気に元気が無い。情報が得られないまま出迎えたリムジンに乗り込んだ。リムジンの運転手にどちらが勝ったのか?と聞くと彼は不機嫌そうに「イタリアは負けた」と答えた。まさか負けるはずも無いと思っていたイタリアチームが負けたというのは信じられなかったが、空港のあの珍しく重苦しい空気がそれを裏付けていた。その後あちこちの街でワールドカップを楽しみたかったイタリア人の思いの残骸を発見する。田舎町のレストランに大きなモニターがすえられていたが店の中は閑散としていた。あきらかに数日前までは町中の人がそこに集まって馬鹿騒ぎをしていたという名残が見られる。店の人はなんとなくやる気がなさそうだった。
取材を続けているうちにどうも韓国の試合には不正があったらしいとか、公平で無かったとか、韓国のやり方は汚いとかそういう情報が断片的に飛び込んでくるようになった。ラ・ヴェルナ山で出くわしたイタリア人が「お前らは韓国人か?」と聞いてきたので「日本人だ」と答えると、彼らは韓国の悪口を言い始めた。かなり怒りまくっている。私たちに言ってもしょうがないのになぁ・・と思いつつ、コトの真偽がわからないまま再びローマに戻る。
ローマにいる司祭から、テルミニ駅で韓国人が殴られたりしているらしいという話を聞く。日本人もとばっちりを受けているようで注意を呼びかけられた。韓国人たちはおびえて「日本人だ」と答えているようだ。「気の毒に。イタリア人ってサッカーのことになると尋常じゃないなぁ・・」などと思ったものだった。結局、いったいどういうコトが起きていたのかは日本に帰国してようやく知ることになる。
嫌韓流」という漫画は日本で大手のマスコミ、特にテレビ関係が力を入れていた韓流ブームや日韓ワールドカップでの表面的な親交に日本の多くの人が疑念を抱いていたあのことから発端が始まっているらしい。そもそも日韓で行う試合という前提自体に大きな不満があっただけに、テレビの表面的な偽善ムードに?という思いもあったらしい。私はサッカーそのものにあまり興味が無いのでどーでもいいよ。と思ってはいたものの腑に落ちないことでは同じ思いはあった。
結局、韓国にどうこうというよりも、マスコミ不信がこういう事態を招いてしまったんじゃないかと思う。大手の新聞社やテレビという媒体のもつ力は以前から無視できないものになっている。国民を馬鹿にしたような下劣な報道姿勢や番組、その影響力の大きさに酔いしれながらも、薄っぺらな情報や番組しか作らない。そして大衆を操作しようという意図が見える陰に報道利権の問題が透けて見える。実際彼らが批判する政治家とたいして変わりのない。しかも責任を取ろうとしないそのずるがしこさに、ある種の不信を感じているのだろう。「韓国」への反発はそのマスコミが育て続けたといってもいいのではないかなどと思うよ。
わたしは韓国にはせいぜい「料理が旨い。」「李朝の工芸品は一級だ」「韓国の古い建物はかっこいい」ぐらいしか興味が無く、現代韓国には日本のカリカチュアライズされた現代が存在するという程度の認識しかなく興味も持てない。中国には色々な意味で面白みを感じるが、韓国はどーでもいい。韓国人にも韓国に対しても嫌いも好きもない。マスコミが伝えてくる韓国像や、韓国のマスゴミや、韓流ドラマや、ネットで暗躍する嫌韓ネラーのごとき嫌日家などには嫌悪を感じるものの、現実の韓国人は好きも嫌いも無く同朋と同じような気持ちしか抱かない。つまり個人として気が合うかどうかだけ。生徒に在日の子がいたけど、彼女は好きだったし、学校の同僚にも在日の人がいるが仲がいい。そもそも民族を意識したことすらない。
とにかく韓国の状況がほんとのところどうなのかはわからない。伝え聞こえてきる韓国人像はおよそ友達になりたくないようなものばかりだが、ほんとのところは結局そこに行かないとわからないだろう。(でも、そのためにわざわざ行く気もしないなぁ・・・・。)
とにかく周りが盛り上がっているときは気をつけておいた方がいいとは思っています。韓流ブームもそうだけど、嫌韓流もそう。感情論にはのらず、それぞれの事例に関して冷静に判断しないとよろしくない気がする。そのうえで「やっぱりどうかとおもう」というコトだけはやはり突っ込みは入れておかないといけない。
で、正直、漫画「嫌韓流」などは全然興味ないし、この手の政治漫画はゴーマンかますアレもそうだけど読後感が悪くて好きになれないのだけど、批判するにしても評価するにしても読まないと始まらないかねぇ。ただ、あのような表現媒体を用いるならもっと文学的とか、芸術的にやって欲しいとは本当は思うです。