銀祝

・・・・というわけで教会の人と一緒に飲み会。
久しぶりの師は相変わらず声が小さい。飲み屋のほかの席の親父の胴間声にかき消されるので聞き取るのに苦労するよ。聞き取れないので耳を寄せていると自分がばあさんになった気がする。
師匠は神父になって25年。いつもラーメンを食べている小池さんのように25年。カトリックではそういうのを「銀祝」とかいってお祝いする習慣があるんですね。ラーメンの小池さんにとって「教師生活25年」が重要だったように、濱ちゃんにとっても「神父生活25年」は長い道のりだったわけです。司祭になろうと決意した瞬間について聞いたら、微妙に涙ぐんでおりましたよ。(涙ぐんでるのをはじめて見たかもしれない)ただ、その時点でかなり酒が混入していた。
でもまぁ自分的には微妙に感動したよ。こういう人だとは思ってはいたが、ほんとにこういう人だったとは。詳しくは個人的なことなので本人に聞いてくださいって。。。ここ読んでいる方はそんなおっさんのことは知らんよな。まぁ、神父になるというのは色々大変なのです。捨てるものも多すぎるし、世俗の誘惑も多すぎるし、なにより24時間勤務。土日なし。信徒の小間使いと化している上に、威張れば叩かれ、小心者過ぎると馬鹿にされる。馬鹿は文字通り馬鹿にされ、頭がよすぎると、理屈っぽいなどと叩かれる。こんなお仕事、神様と仲良くないと全う出来ないだろうなぁ・・・などと他人事のように思いましたです。
とにかく25周年おめでとうございます。