テレビという媒体

実家に帰ってきてテレビを見る機会が増えた。というよりわたくしにはテレビを見る習慣がないので、テレビそのものを見ていなかったうえに島のテレビ番組は貧弱である。衛星でも入れればいいんだろうが、チューナーがない。
そもそもテレビを見るというのは子供の頃からあまり習慣づいていなかった。我が家は前時代的な家父長制であり、フェミな人々が激しく怒りそうなほど父権は絶対である。その為チャンネル権は父にあった。風呂も父が初めに入る。食事も父が初めに箸をつけないと食べられない。こう書くとすごそうだけどそれが普通だったので別になんとも思わないです。
で、そのチャンネル権が父にあると当然、ニュースか、ドキュメンタリーか、野球か、ゴルフか、大河ドラマしか見ることが出来ないのですね。友達が「ゲバゲバ90分」の話をしていても見ることが出来ないわけです。そういうわけでテレビを見る習慣がなくなりました。高校ぐらいになると父は忙しすぎて不在ですから、その時だけは歌謡番組などもよく見ましたが、結局、身につかなかったです。FMラジオを聴くほうが多かった。
が、何故か妹がテレビ局に入社したので両親は親馬鹿ぶりを発揮してテレビを見るようになってしまいました。「仕事で関わった番組は見ないと。」などと以前はけして見ることのなかった馬鹿臭いバラエティ番組まで真面目な顔をしてみておりました。なもんでいまやテレビは点けっぱなしです。しかしわたくしは習慣がないので、妹の手がけた番組を見ることもなく、一体何をしているのかもよく知らずに結局過ごしてしまいましたです。
で、久しぶりのテレビを横目で見ていたのですが、最近はお相撲さん家の兄弟げんかの話ばかり。すこぶるつまらん。だらだらとプライベートを話すこいつらもだが、それを垂れ流すテレビもどうかしている。なんだか久しぶりにテレビ文化に接したというのに、いっそうテレビは馬鹿になっている気がするですね。どこまで崩壊し続けるのだろうかと思います。
しかし枇杷さんのところにも書いたが、花田家の結婚式の案内状はでかかった。普通の2倍ぐらいはあった。すごいでかい。お相撲さんの世界のかような招待状の書式の大きさには決まりがあるのだろうか?寧ろそちらが気になります。こういう伝統のある社会のお作法というのはそれぞれギョーカイによって違うのだろうと思うのですね。でかい招待状はともかく、あほな喧嘩などしていないで、お相撲さんたちには固有の文化の伝承のために頑張っていただきたいものです。