平和教育
某友人が私的な日記でこんな記事を取り上げていた。
「元ひめゆり学徒の話は退屈…」青学高の入試で出題 http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20050609i515.htm 私立青山学院高等部(東京都渋谷区)が2月に行った入試の英語の問題で、沖縄戦に看護学徒として 駆り出された元ひめゆり学徒の証言を聞いた生徒が「退屈で飽きてしまった」との感想を持ったとい う文章を出題していたことが9日、分かった。 元学徒で語り部の津波古ヒサさん(77)(那覇市)は「私たちが無駄なことをしているようで、や りきれない」と話した。 英文は1057人が受験した一般入試で出題され、修学旅行で沖縄を訪れた生徒の感想文という形を とった。「正直に言うと彼女の証言は退屈で、私は飽きてしまった。彼女が話せば話すほど、洞窟で 受けた強い印象を忘れてしまった」などとしていた。文章は、問題を作成した教師が体験をもとに書 いていた。 大村修文(ただふみ)・同学院高等部長の話「ひめゆり学徒を非難する意図はなかったが、配慮を欠 く言葉で不愉快な思いをさせてしまい、大変申し訳ない」
2月の入試問題が今ごろになって取り上げられるというのもおかしな話だが、それをわざわざ語り部のおばぁに注進にいった馬鹿がいるようだ。高校生や中学生なぞ修学旅行は友達と楽しくやる機会であって、学の為にいくなどという脳は持ち合わせていないのが現実だろう。私のいた大学は何故か修学旅行があった。古美術研究の一環の為に京都と奈良の神社仏閣を回るのだ、普段見るところが出来ない場所にも入れるという、国立の学校法人ならではの特権付だった。しかし学生は馬鹿である。飲み会もかなり重要で二日酔いの頭を抱えて、国宝に相対するわけだ。しかしほとんどその価値はどうでもよくなるくらい酒で気分の悪い学生までいた。今考えればもったいない。もっと真剣に接すればよかった。とはいえ流石に大学、しかも専門の学校なもんで、それなりの教育効果はあったとは思う。
だが、中学高校での平和教育、確かに色々見聞を広め、特定のテーマで旅をするのはいいことだが、やはり「友達と旅行」の方が価値が高いだろう。こういう感想も出てきても不思議ではない。
おばぁの証言は大切だ。戦争の記憶者は年々減っていく。彼女達の体験を生で聞けるチャンスは貴重だとは思うものの「修学旅行」という制度に組み込んでいくやり方はどうなんだろう?
この入試問題がどんな文脈で為されていたかというと、コレ。
http://www.inter-edu.com/kaito2005/high/aoyama/pdf/eng.pdf
IVの問題文のようだ。件の感想は様々な考察の中の一文である。
英語の成績が10段階で2だった私はこんなものを読む気はしないが、(おばぁの戦争話の方が聞きたいぞ)それでもどういう文脈で出された問題がどのように記事になったか知っておいたほうがいい。
(どうやら、慣れきってしまった口伝という方法は馴染まないとかそういう話か?なんだかなぁ・・・)
この問題をおばぁにちくった記者が一番思いやりがなく、それに一番腹が立つ。とはいえこの論文を入試の出題に使うというのはどうなんだろうか?みんなどこかずれている気もする。
そういえばずれているといえばコレ。
被差別少数者に“沖縄人” 推薦入学条件で明記 四国学院大学 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-2078-storytopic-1.html キリスト教系の私立大学四国学院大学(香川県)が実施する特別推薦入学選考の中で「被差別少数者」 枠があり、「沖縄人(ウチナーンチュ)」も出願資格の条件となっている。在日韓国人や在日朝鮮人、 アイヌ民族、奄美諸島出身者も併せて明記されている。同大は「学生同士が人種などにとらわれず、 相互理解を図ることが目的。根深い社会的差別のなかで大学教育を受ける権利を制限されてきた人々 への格差是正処置の一つ」と説明しているが、人権の専門家や受験生を持つ父母の中には「違和感」 を指摘する声もある。
この記事を読んだ沖縄の人が「えええ?うちら差別されていたのぉ〜??知らなかった」とびっくりしていた。現代では寧ろ沖縄は憧れの土地だ。確かに戦前は色々あった。別のエントリで書いたように、言語の問題もあった。けれど今奄美にしても沖縄にしても多くの若者が本土に行き頑張っている。沖縄や奄美出身の歌手が頑張っている。南の島に住んでいるというと羨ましがられる。与論の人はプライドも高く、自分の島に自信を持っているし、多くの人に遊びに来てもらいたいと思っている。そんななかでいきなり上記の記事を読んだら、若い人はびっくりするかもしれない。いろんなBBSなどの書き込みを読むと、島出身者というと馬鹿にされることもあったらしいけど、それは「ダサいたま」などという意地悪な言葉がはやったレベルで受け止めているようだ。