死者と生者の間にあるもの・8

先日に引き続きpaf/pafさんへの応答です。
昨日のエントリで丁寧なコメントを戴いたので、それへの回答を兼ねてということで、このシリーズの続きをば。

キリスト教靖国神社の違いが判りました。まず「英霊に特化しているか否か」ですね。それゆえ、弱者の救済とかといったものは靖国神社には無いのでしょうね。

靖国」は数多ある神道の信仰の中の一つで、それのみが独立して一つの教団というわけでもなく、日本全国に数多に存在する神道のうちには弱者へのまなざしというものも存在していると思います。昨日のコメント欄に置ける一輝師匠の指摘通り、「英霊」は英雄に特化されるものではなく、あまねく戦争というものに関わり国の為に命を落とした方を祀った祈りの場であると認識しています。
ただ、神道は非常に多様性がありキリスト教的な中央集権化した教義を持たない為に、言語化する場合、判り辛い側面も多いと思います。いかんせんわたくし自身がよくわからないので、これに関してはuumin3さんのブログが参考になると思います。[靖国]で紹介されたエントリをお読み戴ければ。
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/

おそらく「全ての死者の為の祈り」や「意向ミサ」には信者以外(イスラム教とか)の人々も含まれているのでしょうが、いつ頃からそうなったのでしょうか? つまり宗教としての(他の宗教や信者に対する)「寛容さ」が確立された(原点に回帰した?) のはいつ頃なのかと? 意外と歴史が浅いのではないかと?

これらは長いヨーロッパ史の説明を要しますね(面倒くさいのでここではやらないです)
そもそも「全ての死者」という場合、かつてはキリスト教徒のみが対象でした。ヨーロッパは永らく一種の中華思想があり、異教徒は「想定外」の存在だったわけです。もうほんとに近代までそんな感じ。ヘーゲル辺りなど読むと「こいつってば、ゴーマンかましてむかつくぜ。」というぐらい。そもそもこういうのは単なる無知から来る偏見ですが、「靖国」も外国の偏見に晒されているとはいえるでしょうね。
現代ではバチカンも諸宗教との対話を打ち出し、他の宗教の方の為に祈ったりもしますが、原理主義イスラムの方などはキリスト教徒に祈られたくないという方もいるかもしれません。この諸宗教間との交流は始まったばかりであり、これからでしょう。神学的には実は解決していない部分が多いのです。しかし民間レベルではそのように祈る場面も多く見られるようにはなってきましたね、ヨハネ・パウロ2世は、アッシジで諸宗教との交流の場を設け、そこで全ての方の為に祈りました。

>聖なる死者は天国にいて生きている者の為に働いていると考えられていました。
了解しました。いわゆる守護神ですね。以前簡単なヴェネチアの本を読んだ時に、街の「聖人」をだれにするのかとか「聖遺物」はどうするかという記述があったので、なんとなく「聖人」=「守護神」というイメージがありました(それぐらいしか知らないのであります)。

そうですね。聖人の場合、あくまで神の被造物であり、死者では在るが現世に働きかけることが可能な人、つまりあの世とこの世を行ったり来たりして、祈りを聞き、それを神に届けてくれる存在である。神には我々の声は直接届くのですが、更に力添えをしてくれるという位置づけでしょう。ただそのようなへ理屈はともかく、祈る側にしてみるとそれに期待するのは結局「守護神」的要素には変わりなく、異教的であるということで、プロテスタントはそのような存在を持ちません。

靖国のような御霊信仰も見方を変えるならば、死者が生者のために働く(鎮護)ともいえるので一種の聖人と言えるかもしれません。
靖国神社の英霊は『先に靖国で待っているぞ!』とか『靖国の英霊にご報告する!』という感じだと思うので(私が書くと言葉の重みがゼロとなりますが)、キリスト教の『守護聖人』とは違うのではないでしょうか? 靖国神社の場合、死んだ後の後顧の憂いを払拭する感じだと思うのですが。

これに関しては先述のuumin3さんのブログなどが参考になると思います。
尚、「鎮護」の概念そのものは古く、平安の都などにも見いだされますね。荒俣宏などがこの手の話題が好きでよく東京を守る霊的な施設について本を書いています。

>聖堂にそういう人が葬られていることは街の誇りだったのですね。
なるほど。村の英雄が葬(祭)られているわけですね。うちの村にはこんなすごい人がいたんだと。

まぁ、かつては民衆が誰でも入ることの出来る公的な建造物(公民館みたいなもの)だったわけです。ご自慢の偉人が葬られるのはすごく重要だったらしく、フィレンツェが誇るダンテはフィレンツェの政治闘争に破れフィレンツェから追い出されてラヴェンナで亡くなりましたが、フィレンツェが後に遺体を返せと言ってもラヴェンナは応じませんでした。同じようにルネッサンス期の画家、フラ・フィリッポ・リッピも仕事先のスポレートで亡くなり、この時はロレンツォ・メディチが「フィレンツェに返してくれ」と、かなりお願いしたのですが、スポレート市は「嫌だよ」と言って返しませんでした。リッピは放蕩が過ぎてフィレンツェを追い出されたようなものでしたから、いまさらねぇ・・という気持ちはあったかもしれません。彼らは別に聖人ではありませんが、やはりこういうことは重要だったようです。

>この「貴族」と「教会」は時に協力しあい、時に対立しながら歴史を刻んできました 〜 ですから彼らの政教分離は徹底しています。ここに到るまでに実に数百年近くかかっていると言ってもいいかもしれません。

政争と戦争ですね。権威や権力を失ってはじめて宗教としての本来の姿に回帰できたということでしょうか?

フランスの民衆のほとんどはキリスト教の信者ですよね。彼等は政策の支持と自身の信仰とのバランスをどう取ってきたのでしょうか? 1番わかりやすいのは、先のローマ法王は戦争に全面的に反対していましたよね。ですが実際には湾岸戦争とかでクウェートを侵略したイラクと戦わなければならないといったような。

バチカンが現世的な領土や政治の直接的介入権を失ったのはよいことであったと思います。勿論ここに到るまでの歴史のなかで、中世という社会状況では有効であったと言えますが、近代では難しいと思いますね。ですから革命は必然であったと個人的に思っています。神道と違い、ロゴスの宗教であるキリスト教は、世俗の法とぶつかる場合があり、混乱を生じさせる側面も多いと思います。

尚、ヨーロッパのキリスト教は日本の伝統宗教同様、かなり無意識的存在になっています、無神論者も多く、しかし習慣には密接に関わったり、「無神論」といっても「反教会なだけ」とか「マジな不可知論者」とか色々ありますね。何も考えていない信仰者でも葬式宗教化しているともいえます。

ですので政策と信仰は別とわけて考えている人も多いでしょう。信者ですら「教皇がこういった」からとそのいうことを聞くとは限りません。現にアメリカのカトリックの司教団などは911テロの時の報復を(ヴァチカンが批判しているにも関わらず)支持しました。矛盾するのが人間だという考えを持っている人も多いからですね。聖域の概念と世俗の概念という二つの位置を持っている。

靖国参拝問題の要点もキチンと整理していただき、判りやすかったのであります。
>5・この問題は内政問題か?
>6・戦犯に祈ることは戦争を反省をしていないということなのか?
法の範囲外の問題が残されているのですね。「○○の理由より本問題は日本の内政問題である」といったかたちの対応する国際法も無いでしょうし。国連安全補償理事会付託とはいかないのでしょうか(笑

私は法関連はよく判らんちんなのですが、一輝師匠のコメントに同意。そういうわけで再括。

主権の自由に属する問題は内政問題。一国家の慰霊様式を「国連安全補償理事会付託」
(補償→保障の誤字)? いったい主権を国際組織に預けることがどういうことなのか想像できないのだ
ろうか。そんなもん日本を禁治産者扱いしているようなものだよ。しかも慰霊施設を「安全保障理事会」
に!??? 靖国って、軍事的に危険なところなのか? 地下にすごい秘密ミサイル基地でも建造しとるん
ですかね。

師匠のは鼻息荒いコメントになっちゃってますが・・・・(^^;
靖国」は日本という国家のなかに存在するあまたある信仰のなかの一信仰の施設であり、そもそもがそれを隣国が政治に絡めてがぁがぁ言ってくること自体、なんとも私からは理解しがたく、また、国連に委託するような施設では当然ないと考えます。何故ならば政治的施設ではないからです。せいぜい超国家的組織なら、ユニセフ世界遺産にでも登録されるとかそういうレベルの存在でしょう。

キリスト教における寛容さの確立(ないしは回復)、そういったことが重要な気がしました。大げさでもなんでもなく、先に亡くなられたローマ法王の人類に対する大きな贈り物なのではないかと。

キリスト教が寛容とも思えません。傲慢と言える側面のほうが多いし(^^;カトリックは歴史的に世俗と関わり過ぎたために色々不都合を抱えています。先のローマ教皇も世俗にかかわり過ぎたという批判もあります。世俗と関わって来たためにヨーロッパ史には沢山の混迷も生じています、しかし例えば中世でも修道院などに見る組織的な弱者救済の組織が発達したという側面もあります。
ヨハネ・パウロ2世の功績にも是非は存在します。それらはこれから検証されていくでしょうね。