死者と生者の間にあるもの・5

uumin3さんとDr,マッコイさんが宗教の定義を巡って対話をしておられる。
なかなか面白い。日本人の宗教観というものを、靖国という装置から広げてお二人がそれぞれ再考している。お二方とも靖国参拝に対する中国のもの言いには腹を立てておられるものの受け止め方に若干の差違が見られるのが面白い。

Dr.マッコイのお話を受けて
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20050525#p2
ご存知のように「宗教」という言葉は江戸末から明治にreligionの訳語として現れた比較的新しい言葉
です。その点で宗教という概念自体は、未だ日本の中でもきちんとした位置づけをもっていないのかも
しれません。
 にもかかわらず確かに「宗教」にあたると考えられる行為・感情・働きなどなどは明治以前(という
より往古より)もちろん日本にも存在しておりました。たとえばそれは「信心」であり、「ご先祖」で
あり、様々な生活習慣の中に溶け込んだ「儀礼」であり、「験かつぎ」であり、「死生観」なのです。
宗教的な行為
http://d.hatena.ne.jp/drmccoy/20050526/1117067506
私は「宗教」という言葉が含む様々な要素をすべて対等に扱うのではなく、分けて考えたいと思っていま
す。「特定の宗教・宗派の信仰に基づく行為」と「多くの宗教や文化に共通した観念に基づく(宗教的)
行為」はどちらも宗教的行為に違いありませんが、あきらかにその性質は違うと思います。私にとって
尊重すべきなのは後者です。そして戦死者の慰霊・追悼は明らかに後者ですよね。こういう行為、宗教的
な行為であっても、人類にとって普遍性を有するような行為であるかぎりは、場所が神社であってもアー
リントン墓地であっても、その作法に違いがあったとしても、自分の信仰する宗教に関係なくもっと寛容
になっても良いのでは、お互いに共有しても良いのではないかということです。
靖国と宗教
http://d.hatena.ne.jp/uumin3/20050526#p1靖国神社は宗教ではない」、お国のために亡くなった方を慰霊するのは国民として当然のことだから靖国
は宗教ではないんだと言うのは、そのまま国家神道のもの言いにつながる気がします。「国家神道は宗教で
はない」、それは皇室崇敬と同様に日本人なら当たり前に持つ基底的なものだ、と言う言説が昔あったので
す。
 そしてこれはむしろもともと神社神道が持っていた宗教性を、結果としてだめな方向に導くものだったと
私は思っています。

さて、わたくしはずっとこのタイトルのシリーズで死者と生者を繋ぐということをだらだらと書いてきた。あの世にいる者のために祈るという行為には死者とのダイレクトな交感があると思うが、もう一つがあくまで「思い起こし記念する」という自らのうちに完結する思考運動もある。

この私の住む琉球圏の島は古い神道の伝統が残っているので先祖との交流も、自然の中にある驚異も、リアルに存在するものとして受け止めている。だから幾つかの行事は明らかに宗教的精神によって支えられているといってもいいだろう。それはあきらかにこの島の人たちの生活であり文化であり、uumin3さんのえがく宗教観そのものである。どこに所属しているという意識もなく当たり前にそれは世界なのだ。
こういう地で異教徒であるということはしばしば困惑を憶える。私はあまり気にしないのだが相手が気を使ってくれる。どうもキリスト教で入り込んできたのがエホバさんとかイエス之御霊教会という、新宗教だけだった性もあり、それぞれは厳密に自分の宇宙を大切にしている。なものでなにか特殊なもので、それを貫いていないといけないものだと思われている。
ある一族の法事に招かれた時、ご親戚にプロテスタント改革派の方がいて、神道の形式で行われる儀式には一切参加しなかった。しかしカトリックはわりと無頓着過ぎるのか、今までそういうことを気にしたことがない。榊の葉を捧げ、お神酒を掲げ祝うという行為はミサにも似ているので精神的に入り込み易かった。だから何も考えずに参加したのだが、カトリックは「他宗教に寛容なんだね」と感想をいわれた。
家を建てる時の地鎮祭や棟上げ、新築祝いといった行事はここでは重要な存在である。地元の施工屋さんが「カトリックの司祭を呼んでもいいですよ」と気を使ってくれたが、関係者でカトリックは私一人。あとは皆地元の伝統宗教だ。施工までの安寧を考えるならば現場に携わる大工や施工屋の宗教の方が重要だろうと思い、神道式でやった。棟上げは屋根の上でこの土地を守る神に祈り、米と酒を捧げる。祈祷文のあと、神に捧げた酒を杯に注ぎ、家主と建築士、施工屋の棟梁が回し飲みをする。ミサのようで面白いと思った。その後、屋上から餅やお捻り、お菓子などを投げる。近所の子供に宣伝しておいたのでたくさん集まってきていた。
建物が引き渡され、無事家財道具が収まった時の新築のための式は、我が師匠、濱ちゃんを呼んでカトリック式にやった。カトリックには「祝別」という概念がある。建物も祝別してくれる。神父はどのように式を行うか悩んでいた。なんせミサを立てようにも信者は私とお客として招いたシスターしかいない。他のお客さん(近所の方や大工さん、施工屋さん、建築士)は全員カトリックの文化に触れたことがない方ばかりだ。「どうしようか?」と神父が聞くので、「まぁ、福音宣教にもなるし、ここは一発、派手にかまして下さいよ」と言ったら、祈祷書をめくりながら更に悩んでいた。結局、お客さんに祝別の意味を説明し、全員で家の外を回り各方角に向かい祈り、更に家の中を巡って祈りを捧げた。私とシスターはそれぞれ聖水と塩を持って従い、司祭はそこから祝別の祈りの度にそれを撒いた。あとで地元の方が「カトリックの式は神道のに似てるねぇ」などと感想をおっしゃっておられたが、たぶん神父の工夫もあったんだと思う。他でどのようにやっているのかは知らない。
このように一見すると共通するものがあるので、あまり気にならないにせよ、やはり宣教というものを考える時、気を使ってしまう。島の伝統行事が無くなるならばそれはこの島が育んできたよいものがなくなることに繋がるからだ。だから最近「福音を述べ伝える」というイエスの言葉について考えざるを得ない。伝統は島の大切な遺産であり家族を繋ぐ大切な糸でもある。それは奪えない。
しかし逆に、洗礼を受けようと来る人が家の宗教を理由に反対されるということは多い。カトリックの洗礼希望者が口にする多くの悩みはそれである。友人のイスラム教徒がイスラムに改宗した時、彼の母親が私にぼやいた。「墓をどうするんだ。跡継ぎはあの子しかいないのに。」祖母は毎日教会に通っていた。宗教観はほとんどキリスト教で、友人達もそう思っていた。しかし家の宗教のために洗礼は受けられなかった。日本人は宗教を持たないというが、本当はものすごい壁がある。この島のわずかなカトリック信者も「家の宗教」に遠慮し、ほとんど棄教状態だ。嫁ゆえの苦しい立場のようだ。
日本ではなんでも採り入れるといいながら実は壁がある。その壁こそが実は日本の伝統的な宗教観だ。多くの日本人は「排他的ではない。」という。もしくは「自分は宗教がないから」と言いつつ、我々との間に線を引く。その線を引くという行為において実は排他する。しかしその自覚を持っている日本人は実は少ないと思う。
靖国はその無意識の宗教観を今、日本人につきつけているのかもしれない。
私自身はこの無意識の宗教こそが日本の伝統だと思いつつも、外交という場面によって引き起こされた文明の衝突と、それぞれが自らのうちにある「靖国」に見て来たものへの戸惑いを、自らの内面の問題をかき回される不安や怒りはなんとなく判る。辛い局面だと思う。

実のところ、他宗教に寛容ということは果たして本当に寛容なのか?と、疑問ではある。たとえば幾つもの宗教的儀式へ参加してきたこと。これは私が単にナニも考えていないだけだが、もともとカトリックは確かに煩くない。いいかげん過ぎると他教派からの批判もある。それにも道理はある。ここでは「他を尊重するなら他の宗教的祭儀に参加してはいけない」という逆説を考えざるを得ない。ラッツィンガーは寧ろ後者の考え方だ。このこともあらためて我々も考えないといけないのかもしれない。壁を作らないということと、他宗教を尊重するということ。実はとても難しい。