正義と平和

正義と平和って、聞こえはいいよね。でもうちの師匠、濱ちゃんは「正義」が嫌い。「正義」を振りかざす人間に出くわすとものすごい嫌な顔をする。顔に出るたちなのですぐ判る。宗教者のくせに・・・と言わないように。彼は「平和」は好きだ。フランシスカンなので一応「平和の祈り」も祈ったりする。政治的思想のない平和活動にはなんとなく参加してみちゃったりする。

この差違、実は微妙そうにみえて全然違う。「正義」は定義付けないといけない。あるなにがしかの行為を善悪で判断しなければならない。しかし人の世は簡単に善悪を判断できるような単純には出来ていない。だからキリスト者は「神の正義」を信じることは出来たとしても、それが具体的になにでどのようなものか、ほんとうは定義付けることは出来ない。濱ちゃんは「正しい」という言葉が嫌い。本当の正しさなど実は判らないと思っているから。だから簡単に口にしない。「正義」を御旗に捧げた戦争は山のようにある。でも「平和」を御旗に捧げた戦争はそれ自体が矛盾するので、存在しない。

「平和」は普遍の願いだと私も思う。互いの関係が平安に満ちている状態は誰もが幸せだ。

しかしその普遍の平和を正義とセットにして語りはじめるといきなり剣呑な人が現れる。自分は正しいことを説いているのだという自信の元に、賛同しない他者を裁きはじめる光景はよくみる。そこには既に「平和」は存在しない。