言語コード・その3

レオナルド・ダ・ヴィンチは鏡文字を書いていた。それは未だ美術史家や歴史家の頭を悩ませる謎のようだが、私も実は記憶の再生のときに鏡文字のごとく全てが左右に反転する。「画像の再生」という遊び、つまりおぼろげに記憶している商標を再現するとか、過去の名画を再生するマニアックな遊びで、そこで思い起こした画像が何故か私のはみごとに反転している。花王石鹸のマークが逆をむいていたり、モナリザの顔の向きが違っていたりしてしまうのだ。そういえば中学生のときにアルファベットを逆に書く癖があった。その性で英語の点はすこぶる悪かった。こういうのは間違っていると意識し根性で修正するものだが、もしかしたらレオナルドは修正する努力がめんどー臭かったのかもしれない。それに左利きだし。鏡文字のほうが書きやすいもんね。
それから、アラビア数字が苦手である。漢数字のように一、二、三と棒が増えるならまだしも、1、2、3には・、:、∴という量の多寡との関連を感じないからだ。お陰で手に持ったお金と数字がとっさに結びつかない時がある。1万6千420円です。といわれると、諭吉1枚と稲三1枚と銀色の丸いのを3つと銅を2こ。とヴィジュアルに置き換えてからでないとお金が出せない。イタリアではカラバッジオ1つとパラーディオ3つとか計算していた。それで「あ〜カラバッジオしかないけど、いいですか?」などといってイタリア人に変な顔をされたよ。今はユーロになったのでバロックが2にロマネスクが1。とか考えるんだろうな。
このように絵思考の人間はあらゆる側面でかなり馬鹿である。特に買い物でとっさの場面で掌の上のお金を数えられずに呻吟しているとほんとに馬鹿っぽいと思う。請求書を書くときも後ろから一、十、百、千、万と桁を辿っていかないと正確な数字が書けない。千の単位にコンマをつけようが何しようが不安になるのである。とにかく絵頭脳な人間であるわたくしは記憶は反転してるわ、数字は読めないは、ろくなことはない。
で、言語中枢を司る脳みそを鍛えるにはブログはいいのかもしれない。ただ、あまりやりすぎると左の頭脳が疲れてきて不健康である。ほんとに疲れる。頭が重くて必要以上に眠くなったり、変に冴えたり、不自然である。アラビア数字に強くなったりしなくてもいいから「適度にやって、ボケ防止♪」にとどめ置くのが一番かもね。