薔薇の名前

名付ける。という行為は非常に重要である。神はその創造の業を「名付ける」という行為によって行ったといわれている。エデンの園の動物達の頭として、人間がはじめに行った仕事は動物達を名付ける事であった。新約においてイエス・キリストは言葉(ロゴス)であると言われている。日本の伝統文化においても「言霊」というものがあるように、言葉はとても重要である。名を示すことによって呪を払えるモノがあったりとか。
中世においてはこの名付けられるもの。すなわち個物の名を巡って激しい論争があった。普遍論争。ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」の冒頭は弁証法の騎士ピエール・アベラールの論考が応用された会話が出てくる。ここでウィリアム修道士は状況観察から見てもいない馬の性質を推論し、その性質から想像されるふさわしい名前を導き出す。
名付けられるものは名付けた言語によってその性質が固定されるという発想によって、聖人の霊性にあやかる名を付けるキリスト教文化圏も、姓名判断が盛んな日本でも、名付けは非常に慎重に行われてきたわけなのだが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・セントレアねぇ。

過ぎにし薔薇は ただ名前のみ
虚しきその名が 今に残れり