沖縄県民大会無事終了

昨日は沖縄タイムスの中継ストリーミング放送見てました。はじまる前はまばらだったのだが、大会の本番の映像を見るとウッドストックみたいに人が会場にびっちり詰まっていた。9万人が集まったそうです。たどり着けなかったという人もいたそうで、沖縄の交通事情がもっとよかったらもっと人が集まったと思います。

伊波宜野湾市長、稲嶺名護市長、翁長那覇市長、仲井眞県知事が雁首そろえて並んでいるってのはすごいなと。革新保守関係なくついに政府に対し、切れた沖縄の人の声という感じであった。

普天間移設問題についての政府の迷走については語るまでもない。そこでの構図は「沖縄への配慮」をいいながら、漏れ聞こえてくる「案」は沖縄県内移設ばかりであり、徳之島という県外移設案も沖縄の移設を含む抱き合わせ案であり、更にそれらについては決定事項なのか、単なる案に過ぎないのか、米軍の普天間機能がどれだけ動きどれだけがグアムに再編成されるのか?という話も公式にはまだ政府から話されていない状態で、関係者や、マスメディアがどんどん情報を流す。不明確な情報の波のに翻弄される沖縄の人の不安を軽減させる言葉も政府からあまり聞こえてこず、それなりのことを口にしてもかえって不安を誘うような有様であった。

沖縄タイムズのストリーミング放送は面白かった。ツイッターと連動しているので、実況コメがどんどん流れる。市長達が登場するたびにエールや野次が飛ぶが、概ねは好意的な応援が多かった。2000人前後の人がアクセスしていた。2000人を超えると不安定になり切れてしまうので、システムキャパが多かったらもっと多くの人が見ていたかもしれない。応援ツイッターをしていたら、フォロアーが増えた。成る程、こうやってフォローする人が増えてくんだなぁなどと思った。

個人的には漁協のおっさんがもずくの心配していたのが一番印象に残ったというか、もずく、島ではたいへんに重要な食い物なので、採れなくなったら困る。うちの島は今年もずくが採れなかったので沖縄から買ってるんで。生活から来る不安というのはリアリティがあるなーと。

ツイッターでは応援の合間に憂国国士様がたまにケチ付けに来ているのだが、いつものお約束の批判で、まぁ、新鮮味がなかったが、うちなーのツイッターさんが「本土人は所詮沖縄の痛みなんて判らないし判ろうともしない。沖縄は本土に片思いしているのが哀れだ」などとつぶやいていたのがすごく印象に残った。
「ナイチャーは沖縄になんか興味ないんだよ」と。「沖縄は日本政府に期待するな」とつぶやいていた。
彼の言葉を裏付けるように本土の放送局はほとんどこの県民大会についてさらっと流して終わったらしい。

★沖縄が抱えてる危険な日常

http://togetter.com/li/16477

上記は防衛ブログのzyesutaさんがまとめてくだすったつぶやき。
先日zyesutaさんと沖縄問題を話してたんだな。


なんとなく勢いで知りうる限りの沖縄話をつぶやいていたんだが、私は隣の島、沖縄本島が家から見えるが実は鹿児島県に属する小さな島に在住である。だから沖縄にすごく詳しいわけでもない。沖縄に住んでる方のリアル情報も欲しいところです。


わたくしは沖縄に行く機会はあるが、仕事とか家建てた時に打ち合わせに何回か行っただけで、那覇空港から那覇港から久茂地にかけての辺りしかよく知らない。観光名所はあまり行ったことがない。観光したのはうちの島から行ける本部ぐらいである。今帰仁美ら海水族館は行った。ほどよくのんびりした田舎でよかった。うちの島の規模がでかくなった感じ。

あとは家を建ててくれた建築士さんの別荘がある東村と、まだ那覇空港がすごくちっさかった時代に残波岬まで行ったぐらいだ。

サミット前の沖縄はまだ開発の手があまり為されておらず高速道路も通ってなかった。残波岬など那覇から20キロ程度のところなのだがすごい渋滞に巻き込まれ何時間もかかった。何故か?嘉手納と普天間が交通の要衝となるべきところにでんとある為で、とにかくこりゃ酷いなと思うしかなかった。渋滞が死ぬほど嫌いな父は、実は極右で学生運動の安保反対な人々を罵っていたくせに、渋滞の酷さと、基地の中は快適そうなのに、基地以外の沖縄の街の密集度に驚き、基地の存在に怒りまくっていた。「こんなことしてたらあかん。沖縄の基地はなんとかせんとあかんな」と呟いていたのを覚えている。父は極右な国士様のくせに沖縄基地反対派に転向していた。

この基地が沖縄本島の北と南を分断しているので自ずと南に人は集まってくる。沖縄は子沢山の島なので自然増加率も高く、戦争も終わり、落ち着いてからの人口増加はすごく高かっただろう。自ずと仕事を求めて人は集まる。

「以前は畑だったのに」とか「あとから住んで文句たれるな」などという批判はこういう事情を判ってないと思う。

ぐぐるアース見りゃ判るが、基地以南以北の人口密度の差は歴然としてるし、中部には基地関連施設が大量で、ここもここも基地?なにそれ基地の間に住んでるんじゃん?という感じ。しかも弾薬庫とかあるし。おっかないことこの上ない。

もっとも中部から北部は山間部が多く畑を作るもままならない。自然に南に人が集まり、基地以南はみっちり住宅街や商業施設である。最南部や東部には畑が広がる。あと基地にほど近い読谷にも畑。


高速道路が出来てから東村まで行ったことがある。建築士さんの別荘がそこにある。彼はその東村の出身だと言う。高速を降り、海岸沿いの331号線をずっと走って行った。この辺りまで来ると家も疎らになる。小さな集落が所々にある美しい浜が続く。
「あそこに米軍のヘリポートが出来るんだよ」
と指差して教えてくれたのが辺野古だった。
「うぇ〜、こんな綺麗なとこに?ちょ、それ、嫌じゃないですか?」と聞いたら「仕方ない」との返事。

嫌と聞く方も無神経だったと思うが、その諦念感と、彼から聞いた、子供の頃の同級生が不発弾で死んだ話と、沖縄に住む人が抱えているモノの大きさが、伝わって来て暗澹となった。

米軍が回収し忘れた爆弾とか地雷とか、そういうので死んだという話も聞く。住んでいるところの隣に演習場があったりするからで、県道に流れ弾が飛んでくるとかシャレにならないところもある。それがいまだそうであるというから、沖縄の人が怒るのも無理はない。

兵隊が起こす事件については、本土では流れないのが、うちの島では琉球放送や沖縄のNHKのニュースで入ってくる。ひき逃げ事件や当て逃げ事件のニュースが記憶に新しい。勝手に人家に入って来た話はよく聞くが、おそらく女性の被害も公表数以上に隠されている数があるんじゃないか?と疑っている。

★あまり本土で知られていない不発弾の話

沖縄の役場のサイトには不発弾情報なんて言うのまである。
上陸戦となった沖縄では、こうした不発弾がいまもあっちこっちで見つかるもんで、日常の情報である。避難勧告が出るクラスのはひと月にいっぺんぐらい。

http://www.city.naha.okinawa.jp/hiroba/bousai/fuhatu/index.htm

これは那覇市だけなんだが尋常じゃない数だよ。
これは沖縄戦が大変に過酷なモノだったかということでもあるのだろうが、その処理を戦後のアメリカさんはちゃんとやってなかったということでもあるかも。米国琉球統治政府はすごくいい加減だったと聞くのでインフラ整備なんかしてなかったのかも。このリストを見ると住宅街も結構ある。一昨年だったか水道工事していて爆発したってニュースが流れた。
過去には小禄にある幼稚園で不発弾が爆発して園児を含む4人が死亡、34人が重軽傷を負ったという事故もある。

そういえば先の沖縄の建築家もタクシーの運転手も、「沖縄は地面掘り返すと色々怖いモノが出てくるんでなぁ」という話をしていた。建築するの難しいんだよと。

見つかる不発弾は米軍のモノや日本軍のモノがある。戦後在駐米軍が使用していた弾薬放置なんてのまである。
最近、米軍がそれを処理しなかったのですごく怒っていたというニュースもあった。結局自衛隊が処理したようである。自衛隊の管轄は戦前のモノで、戦後製造された米軍の爆発物は構造上の問題から米軍が処理して来た為、自衛隊もはじめは技術的な問題を理由に断ったようだ。因みにこの爆弾はどーも40年前に民間人が拾って家に放置していたモノだという話。拾ったおっさんはとっくに亡くなっている。米軍が何故断ったのか謎。結局、この爆弾はこの両軍隊の役所的な仕儀で撤去までに5ヶ月以上要した。うるま市は超激怒中。

この爆弾が何故民間人に流出したのかは不明だという。他にも米軍が放置した弾薬がほったらかしになってたという話も聞くし、なんか米軍さんは爆弾の扱いが杜撰すぎるようで、怖い。

私は軍事のこととかよく判らないし、国際がなんたらとかも結局なんだかよく判らん。
ただ、沖縄の人が置かれた危険な日常生活ってのは知っておいた方がいいんじゃないか?と思う。