イタリアから帰ってきたはいいが、寝込んでいた。

イタリアから帰ってきた。
・・・つっても、もう先週帰っていたんで、ネト世界に帰ってきたと言った方がいいと思う。ただ帰ってきてから体調を崩し、風邪を引き、更に歯の治療で神経を大量に抜かれて余計に衰弱し、まぁとにかく寝込んでいたので、ぱそする気も起きねーやと放置していたが、流石に「年末進行」が迫ってきたのでそうもしていられなくなった。複数あるんで混乱しないようにしないと。風邪に甘んじただらけ体質を脱して仕事脳に切り替えないといかんスな。

先ほど、某カトリックギョーカイ誌の編集さんから電話があってすげータイトなスケジュールを申し渡されたので駆け引きをしていた。校正(←今気付いたが、「校了」の間違いだ。我ながらナニ書いてんだ?)にぶち込めばいいじゃん的な暴力技をごり押しして迷惑をかけて正直すまんかったが、まぁマジ年末進行でタイトなんですびばせん。
なんせカトリックギョーカイというと、年末のこのくそ忙しい時期にイエスが生まれたもんだから教会行事で糞忙しい。ギョーカイの編集社は教会行事を優先し24日25日とかっちり休む。そのうえ天皇陛下もこの糞忙しい時期にお生まれ遊ばしたので、23日が祝日である。更に加えて今年の年末は26日27日が土日である。つまり、まぁカトリックギョーカイ外の某大手出版社でもこの土日の性で年末進行が大変なことになってるんだが、カトリックギョーカイの編集社はそれに加えてクリスマスである。要するに年末進行の圧縮度合いは更に酷い有様なようである。
わたくしのごときいい加減な信者であり、ヤクザな自由業人間は世の祝日とか行事と関係なく生きているので、土日だろうが祝日だろうが夜中だろうが仕事をしているのだが、労働者の権利に敏感で安息日もよく守る欧州が本家なカトリックギョーカイ人は当然ちゃんと休むのであろう。
かくして、世の中のカレンダーと共に生きていないヤクザな自由業人と、安息日はちゃんと休むカトリックギョーカイ人との駆け引きが生じたというわけだ。こちとらまぁせんだってバカンスしていた身なんでほんとは大変に小さくなんなきゃいけない立場であるが、こういう時だけは己の権利を言い募る勝手な労働者に成り果てるので、ご迷惑をおかけしたという按配。
えろうすんまへん。締め切り守って、仕事頑張りますんで、お許しくだされですよ。
つーか、不良信徒過ぎて、クリスマスとかすっかり忘れてたんだよ。。。。
そもそも、主イエスはなんでこんな糞忙しい時期に産まれやがったんだ?善なる神ならもう少し配慮して欲しいもんである。

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ところで、イタリアはというと、「北イタリアにはビザンチンの特色を色濃く残した物件が多数あるのでそれを見物しに行ってきた」という感じ。ビザンツ・ロマネスク、いいよ。マジで。モザイクとかね。アクレイアとか最高だったっす。ポンポーザやトルチェッロもえらく大変にすこぶるよかったのである。
それとトレント。はじめて行ったんだがドイツ的な要素が強いこの司教都市の彩色木彫美術品がドイツ的でよかったづら。某ミクシのコミュ主さんにおつたへしたいぐらいの物件であった。但しデジカメがぶっ壊れたんで画像なしで、おつたへ出来ないのが哀しい。ちなみにここはカトリックの保守派がこだわるトリエント公会議の会場である。

北イタリアではたまに背面ミサをやってるの見かけましたよ。目撃したときはおおお!と興奮してしまいました。やっぱいいっすね。んでも、向こうでわたくしが与ったミサは対面のミサでした。背面のほうはミサ途中で出くわしたんで拝領だけ受けるのもな〜と、思ってやめた。残念であった。

背面ミサでも信徒はみんなベールかぶってなかったな。あと、拝領も普通にスタンディングで受けてた。手で受け取ってる人も口で受け取ってる人いたけど、その辺はどっちでもいいよ的に自由な模様であった。日本でのごとく、いちいちその辺りに細かくこだわって、「口は絶対駄目」「手は絶対駄目」とかいってるような典礼原理主義人はイタリアにはいなさそうである。普通に背面も対面も、ラテン語も現地語もやっていそうでいいなぁ。

日本みたいに典礼までいちいち中央集権化させ、上意下達して、統一したルールや形式を守らせたがる体質は戦前意識の名残かにょ。しかもかつての伝統壊すことが暗黙のうちの上意下達なんてな。これこそまさに、先人の成果を破壊するわりに実は権威主義というガメさんが指摘するような団塊世代的なアレ的意識の賜物が教会に満ちているような気がしなくもないぞ。そんな風だから反発して原理主義保守な人々が生まれちゃったりするんじゃね?などと愚考する。んで、概ね反発するもの同士は実は似たもの同士だったりする。どっちも権威主義つーか、排外主義というか。とはいえ「それは嫌い」とか「すげー嫌」「なるべく自分は採択しない」は普通だと思うけど、「それを組織から排除したい」「それをやめさせ、尚且つ統一させる」となった場合が問題といいますか。
カトリック教会ってのは国も民族も習慣も文化も違う人々が集ってるんだし、異質な価値同士、共存しようやと思うのだがな。

閑話休題。イタリア報告。
あとは近代の建築家カルロ・スカルパが手がけたブリオンさんちの墓をトレビゾから車ぶっ飛ばして見に行ってきたのと、パドヴァでザハ・ハディットの展覧会をやっていたのが今回の新しいネタだったな。
カルロ・スカルパヴェローナの美術館の内装もやっていてこちらもすごくよかった。展示品よりそっちの方がいいくらいだった。
ザハ・ハディットは現代建築家でバクダット生まれ。トンでもない建築デザインをするんでほんとにこれが建つのかよ?という建築物を作ることで有名。ゴミのような建築エスキースをするフランク・ゲーリーと双璧を為すトンでも建築家であるが、個人的に気になる人だったので、わが守護聖人であるパドヴァのアントニオの聖堂など行かずにそっちに行っちゃいました。(一応、あとで挨拶しにはいったけどね)
なんでもローマで21世紀現代美術館ってのを手がけているらしいので、次にイタリアに来るときはそれを見に来るぐらいの勢いでいいかもしれんな。
ただ「飛行機に乗りたくない病」がすごいのでもう欧州に行かないかもしれないです。ほんとに飛行機は嫌いだ。狭いし人間扱いされてない気がするし。ありゃ家畜輸送機だ。今後、欧州行く場合はビジネスクラス以上でなくては行かない。そう決めたので一生行かないかもです。第一、下流のくせに欧州なんか行ってる場合じゃねーっての。ああ、「行かない」でなくて「行けない」が正解だな。

それにしてもまったくイタリアって変ってなくってほんといいところだ。「変ってない」というのが大切である。フィレンツェの変わってなさっぷりには脱帽した。地下にワインを大量に隠している乾物屋も、以前トランク買ったかばん屋も、美術本屋も、画材屋もちゃんとそのまんまあったよ。東京は変りすぎてもうついていけませんや。上海もだけど。アジアの都市はよく変るよね。

ただ、イタリアで赦せんのは夕飯の時間が遅すぎることだ。イタリアの皆さんは7時半過ぎ、概ねは8時頃からご飯を食べますんですが、最近、年寄り家庭で6時とか5時に夕ご飯を食べているわたくし的にはそれは辛い。第一、8時過ぎにご飯を大量に食べたら太る。飯食ったら6時間経たないと眠れない体質に成り下がってるんだ。なもんで結局気軽な簡易定食屋で済ませる羽目になったです。昼にちゃんと食ったからいいやってことで。

ちなみに今回は下流過ぎて買い物を結局ナニもしなかった。本買おうと思ったけど重いしな。くいもんだけ余ったユーロで買ってきたよ。欧州のチョコは旨いよ。