島は梅雨になった 先日のエロネタの所感

今週頭。梅雨に突入した。
しけていて電化製品がやばい。パソコンの調子も悪くて数日ダウンした。
困ったぞ。
もっともぱそは湿気の性ではなく、すでに6年も使い続けていていい加減へたれてるだけなんだけどね。
先日からブラウザの調子が悪いので、休ませてみた。
わたくしのMacはどーもブラウザに脆弱な箇所があるらしく以前から落ち気味だったんだけど頻発するんで、クイックなんちゃらの設定をいじくったら治った。まだ予断は許さないが仕事に差し支えるので、ぱそはタマに休ませておかないと恐い。

なので落ち気味です。済みません。

せっかく、わたくしのはてな生活史上最高レベルのぶくま数を獲得したのに。お返事も書けないじゃないか。

とはいえ、それがエロネタってのはなぁ・・・・_| ̄|○


にしても、今読み返すと文書がまとまりついてないんでお恥ずかしい。

そもそも、エロゲ世界を知らなかった。だがエロゲ自体はまぁそういうのを愛好してるからといって、別に変な奴と思わんし、寧ろ「健康な青年男子たるものエロゲの一つでもしとけ」ぐらいにしか思ってなかった。

しかし今回、やたら、はてなホッテントリにエロゲとか痴漢とか、陵辱とかレイプとか穏やかならん言葉が踊っていてつい読んでしまったのが運の尽きであった。

まず「陵辱」分野が一定人気あるという事に実は驚いた。その辺りの驚きがあってつい反応してエントリを書いたんだが。ブコメやトラバで色々な意見や批判をいただいて勉強になった。私のつたない文書や意見に応答してくださった方には感謝している。

で、ブクマで紹介していただいた、レイプモノを愉しんでしまう心理というのを読んで、改めて色々考えさせられた。
これね↓
http://www.asyura2.com/0401/health8/msg/815.html

わたくしはどーもフェミ系が苦手で、この手の男女に割り振られた役割に縛られてしまう系の話ってのは避けて通ってきたんだが、どうやらそうした男女の役割的な問題が根底にあるようで。女性に暴力を振るう事が快感に繋がる心理というのを事細かに説明しているのが上記の記事なんだけど、男性というのはこうあらねばならないということに縛られた悲しさというか、男性が潜在的に持つであろう不能、不感への恐怖というものが根底にあると、上記の記事を書いた人は述懐している。グレートマザーに支配された、去勢された男という説明もある。
しかしこれはわりとステロタイプな分析ではある。

男性性に縛られた男根主義的なものがDVを生み出すってのは日本以上にDVが問題となったりするアメリカのあのステロタイプな男性イメージが産み出した弊害というのを思い出すし「母親を憎む」という事柄は藤原新也がずっとテーマにしてきた問題でもあるなと。自己の弱さを他者にぶつけるってのは駄目過ぎる典型と言ってしまうのは簡単だが、しかし人類はそれをなかなか克服出来ずにずっと来ている。そんなに簡単に克服出来るものなら、宗教は産まれなかったし、哲学は発達せず、芸術も存在せず、心理学も生まれなかっただろう。
気になるのは他者の関係において常に受け身なところや、相手となる存在への想像の欠如など、自己中過ぎやしないか?という辺りか。ただ、この場合、敢えて自己の「エゴ」なるモノに焦点を当てているからそう見えるだけだとは思う。

兎に角、簡単には括れないような根が深い問題があるなぁと、思いましたです。

陵辱系エロゲを愉しんでいる人の多くの人がこれに当てはまるのかどうか判らない。中にはなんだか明るくネタとしてやってるのもいるかもしれないし。「うへぇ!こいつってば超鬼畜だな。氏ね」とか突っ込み入れてる人とかいそう。

ただ、まぁ、とにかく、性におけるすこぶるデリケートな心理というのが絡んでいるということだけは判った。
ちょっとまとまってないんだけど、己の中にある「ミノタウロス」とでも言うべきものがあると。そういうのは形が違えど誰もが抱えているナニかだったりもするなと。そういう人の悲しみみたいなモノを感じてしまいました。

いずれにしても、棲み分けておきたいという一定の人々がいて、そっとしておいて欲しいという意見が多い。
それに関してはその通りだなとは思う。